Stephen King
マスマーケット版(320ページ)
2000年10月初版
回想録/エッセイ
実を言いますと、私はホラーとバイオレンスが苦手なんです。
そういうのを観たり読んだりすると1週間くらい眠れません。
そんな私が若いころ観て「二度とホラーは観ない」と心に誓った映画が「キャリー」でした。墓場で手がニュッと出てくるあのシーン、今思い出しても「キャー」っと叫びたくなります。
「キャリー(Carrie)」は、スティーブン・キングが現在の地位を確立するきっかけになった作品でもあります。基本的にホラーを読まない主義の私ですが、キングの作品は(そのたび後悔しつつ)けっこう読んでいます。若かりし頃は理由を深く考えたことがなかったのですが、On Writingを読んだとき、頭の中の霧が晴れたように理解できました。私はキングのストーリーテラーとしての魔力に操られていたのです。
On Writingは題名のとおり「書く」ことに関するエッセイです。
といっても 邦訳版のタイトル「小説作法」から連想できるような「小説の書き方」を説くハウツー本ではありません。
キング自身が書いているように、ものを書くのは金持ちになるためでも有名になるためでもモテるためでもありません。それを読んだ人の人生を豊かにし、自分自身の人生を豊かにし、なによりも幸福になるための行為なんです。この本の大部分は、彼がそれを学んだ過程と、読者がそれをもっとうまく実現できる方法を解説するものです。
だから、このエッセイは、(キングを知りたい人への)回想録であり、(物書きになりたい人への)アドバイス本であり、そして(幸福を求める人への)哲学書でもあるのです。
「孤島に1冊だけ本を持ってゆけるとしたら...」という例の質問への私の回答は今のところOn Writingです。というのは、これほど面白くて生きていることに感謝したくなる本はめったにないからです。何度読んでも新鮮なうえに、読んだ後に「書きたい」というインスピレーションも与えてくれます。ゆえに掟破りですが、紙と鉛筆もできたら孤島に持って行かせてください。
キングのOn Writingは三つのセクションに別れていて、最初は1997年くらいまでの回想記、次が物書きを目指す者へのアドバイス、そして最後が1999年の交通事故後に書き加えた回想記です。
1. C.V. (履歴書)
夫に捨てられたシングマザーの母に育てられた極貧の子供時代からアルコールと薬物中毒から抜け出すまでの回想記です。
異常性格としか思えないベビーシッターにクロゼットに閉じ込められ、無謀な兄の理科の実験の片棒をかついで近所に停電をもたらし、森の中で排便したとき兄の指導に従ってツタウルシ(poison ivy)でお尻をふいて苦悶の日々を送り、恐怖映画の盗作小説を同級生に販売して教師から「こんなくだらないものを書いて才能の無駄遣いをするな」とこきおろされ、実在の教師をモデルにしたパロディを書いて厳格な教師から目の敵にされ、そしてせっかく大学を卒業したのに教職に就けずウジ虫がわく病院の汚染シーツを洗い続け、出版社からの大量の拒否の手紙にも負けず書き続けたキングがついにキャリーで成功を果たす回想記は、何度読んでも笑えるし、泣けます。
特に胸に響くのは母親と妻への真摯な感謝と愛情の表現です。これを読むたびに心がぽかぽかと暖かくなり、「周囲の人々に優しくして前向きに生きよう!」という気分にさせてくれます。
2. Tool Box (道具箱)
良い文章を書くためのアドバイスです。とはいえ、そこはキングのこと、普通のアドバイスではありません。悪文の例といい、動詞の受容態や形容動詞への鋭い批判といい、簡潔で無駄のない表現が良文と信じている私には、うなずくことしきり。賢く見せようとしているのか、学者さんにはキングが批判する悪文が実に多いのですよね。1センテンスが延々と半ページ続き、最終的に何が言いたいのか不明になってしまう文。それから、わざと誰も使わないような難解な単語ばかり好んで使う癖。他にもっと誰でも知っている適切な単語があるというのに...。そういうのを苦労して訳した経験があるので、次のような箇所には拍手喝采です。
The word is only a representation of the meaning: even at its best, writing almost always falls short of full meaning. Given that, why in God’s name would you want to make things worse by choosing a word which is only cousin to the one you really want to use?
3. On Living: A Postscript(生きることについて)
最後のセクションは、1999年の交通事故の後に書かれたものです。実はOn Writingの原稿は書きかけのまま1年半ほど放置されていて、キングはしばらく続ける気持ちになれなかったようなのです。けれども、体中ボロボロに壊れて死にかけたキングは、この作品を書き上げることで精神と肉体の復帰を果たしたのです。
●読みやすさ ★★★☆☆
文章の簡潔さとわかりやすさでは★4つですが、スラングと固有名詞が多く、アメリカのポップカルチャーや文芸にある程度通じていないと何を話しているのかピンとこないことが多いのではないかと思います。
でも、小説ではないので、一度に数ページずつでも楽しめる本です。
簡潔でわかりやすい文を賞賛するキングです。ゆっくりと噛み締めて読めば、決して難しい本ではありません。
邦訳も出ていますが、読者評価を読むと訳がKing自身の飾り気のない語り口とはかけはなれているようです。彼の語り口が魅力の本ですし、良文と悪文の例
などは翻訳では意味が通じません。ですから、ぜひ英語で読んでいただきたいと思います(英語に自信のない方は日本語を読んで意味を理解してからでもいいで
すから)。
●最後にふたたびOn Writingの応援演説
未来に希望を感じない若者や人生に疲れている方は、啓蒙本なんか読まないで、ぜひキングのOn Writingを読んでいただきたいと思います。
書くことに対する幼いときからのキングの情熱を読んでいると、他者が決めた成功の定義を追い求めることのむなしさを感じます。キャリーで成功しなかったとしても、きっとキングなりの幸福をみつけただろうと信じさせてくれる本です。
私は最近久々に手にとったのですが、「夫や娘に優しくして、自分の信じることを続けて、何よりも楽しく生きよう!」といったポジティブな気分が蘇りました。
余談ですが、私は彼が前書きに書いているThe Rock Bottom Remainders の再結成コンサートを、2002年のBEAで観ました。もちろん私のことですからステージの真ん前を確保。事故後初めて演奏するKingの他に、メンバーはDave Barry, Mitch Albom, Roy Blount Jr., Kathi Goldmark, Greg Iles, Barbara Kingsolver, James McBride, Ridley Pearson, Amy Tan, Scott Turowという顔ぶれでした。健康そうなKingのほかにScott Turowのカラフルなカツラ、Amy Tanのミニスカートにフィッシュネットというのが特に印象的でした。音楽のレベルは(別の意味で)「す、す、すごい...」というものでしたが、本人たちはめちゃくちゃ楽しそう。平均年齢が私より上の観客層もそれにつられて踊りまくっていました。
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