12章 守るべきもの
レキシントン公立学校高校生と卒業生を取材したとき、「記憶に残っている良い教師」として名前があがったのは、独自のユーモアがあり子どもと心を通わせるのがうまい先生たちでした。けれども、なれなれしい態度で接するわけではなく、生徒の人格を尊重しているのが伝わっているのです。
意外だったのは、「教える教科に実際に興味を持ち、知識があり、教えることに情熱を抱いている」のが子どもたちにとって最も重要な教師の資質だったことです。
「あの先生は良い人だけれど、教える教科の知識が不足している(あるいは、教え方が下手)」というネガティブな評価を受けた教師が山ほどいたところをみると、やはり教師の本質は「教える」ことにあるのでしょう。
「わが子の学校にもそういう先生がいたら…」とか「そんな公立学校にさえ通うことができたら…」と不完全な自分たちの環境を嘆く人もいます。
でも、それはまったくの誤解です。
私の娘もレキシントン公立学校で何人もの困った教師に出会いました。小学校では「1年ごとに悪い担任にあたる規則がある」と冗談を交わしましたし、高校1年では娘が間違っているところを指摘しても理解できない新任の数学教師をあてがわれてしまいました。中学で三年間フィンケルスタイン先生に教わった娘は最初のうち「気が滅入る」とがっくりしていましたが、じきに「レキシントン公立学校でもこういう教師がスタンダードであり、3年間フィンケルスタイン先生のクラスで学べたことのほうが幸運だったのだ」と悟り、そういう教師に当たってもあまりひるまないようになりました。
ですが、そのフィンケルスタイン先生も完全無欠の人格者ではありません。
ダイヤモンド中学以外の学校からは教師として雇ってもらえなかったし、たとえ雇ってもらえていたとしても教職を維持するのは無理だったでしょう。
ロシアで高校の数学教師だった彼女がダイヤモンド中学に就職したのは、「16校に応募して、採用してくれたのがここだけだったから」なのです。アメリカに移住したときには英語が話せなかったフィンケルスタイン先生には今でも強い訛りがあります。応募したのは移住から4年しかたっていない頃ですから、訛りはもっとひどかったでしょう。
彼女は規則に従う扱いやすい教師でもありません。
子どもには人気がありますが、「大人は好きじゃない」と同僚の教師ともつきあいません。保護者が主催する「感謝ランチ」ではタッパーを持参して食べ物を詰め込んで去るか、子どもたちとサッカーや数学をやっていて欠席するかのどちらかです。
州や学校のカリキュラムに沿った教科書を使いませんし、「解き方」は教えません。生徒に自分で考えさえ、たとえ答えが間違っていても面白い考え方をしていれば褒めて点を与えます。自分で考えるのが好きな子にとってはこれほど素晴らしい先生はいませんが、解き方を学ぶ方法で良い点を取って来た生徒が突然数学の自信をなくすケースもあります。教科書を使わない授業ですから親が家で助けてやることもできません。
「うちの子はあなたの教え方では学べない」と抗議に来る親をなだめる努力もしません。
「このクラスに入る前からすでに『このやり方では学べない。学ばない』と決めている子は、聞く耳を持たないから学ぶチャンスもありません。たいていは、親が『学習とはそういうものだ』とすでに洗脳しているケース」とフィンケル先生は決めつけています。
そこでどう対応するかというと、親に「あなたの子どもを教えることはできません」とはっきり伝えるのだそうです。
「そういう人はどこにもいるんですよ。ひとりの要求で他の子が迷惑するような変更はできません」と平然としていますが、もちろんこういう態度への苦情が出てきます。それらはすべてヘネシー校長(現在は引退)のところに殺到するのです。
ヘネシー校長が取材をかわし続けたので本人の口から直接聞くことができなかったのですが、フィンケルスタイン先生や保護者たちの証言を総合すると、彼女と校長の間には緊迫感が常に漂っていたようです。
けれども、ロシア語訛りが強く、大人と接する態度に問題があるフィンケルスタインさんの中に特別なものを見いだして雇用し、個人的に仲が良いわけでもないのに親の苦情から守り、他の学校だったら決して与えない自由を与え続けているのは、ヘネシー校長なのです。クラーク中学では数学が特にできる「ギフティッド」の子どもたちに高校で授業を受けさせる飛び級で対応していたのですが、ダイヤモンド中学ではフィンケルスタイン先生のクラスに入れることで対応しており、こちらのほうが効果的だったのです。
生徒ですら校長としての手腕を褒めたヘネシー校長ですが、「独裁的」、「情報公開が少ない」という保護者の苦情はありました。度重なる私の取材要求に、「あとで連絡するわね」と笑顔で答えて忘れたふりをする間接的な取材拒否には困りましたが、「校長として守るべきもの」をきちんと決めている彼女にはひとりの親として尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
9章をお読みになった方は、全米から非難を浴びたときに勇敢に生徒と教師を守ったジェイ校長に聖人君子のような印象を抱いたことでしょう。
けれども、暖かい人柄で保護者とも友だちのようにつきあう前任のホートン校長が引退したとき、ジェイ校長のビジネスライクな態度に反感を抱いた保護者は多かったのです。
ジェイ校長は、就任してすぐさま学校の安全を強化するために新しい規則を取り入れてゆきました。いつでも保護者が入り込むことができた建物の裏と横のドアは内側からしか開けられないようになり、正面のドアから入って事務所で署名する規則になりました。オープンだった学校の雰囲気が変わったことに憤り、ジェイ校長を辞めさせようとする保護者も出てきました。
人気があったホートン校長でさえ、強く批判する保護者も少なくはなかったのです。
すぐに怒りを爆発させて生徒を怒鳴りつける女性教師を怖がって学校に行くのを嫌がった生徒が続出したとき、保護者数人が一緒に談判に行きました。けれども、ホートン校長は保護者たちの「辞めさせるか、せめて担任を変えて欲しい」という要求を退けたのです。息子が登校拒否になりかけた保護者のひとりは、「彼は、生徒より仲の良い教師を守った」と今でも苦々しく語ります。
ジェイ校長になってからは、その教師を含めて悪評があった教師が次々と「早期引退」してゆきました。
パーカー事件が起こる1年ほど前に「親が教師について苦情を申し立てたときに、どう対処するのですか?」とジェイ校長に質問したことがあります。
彼女はこう即答しました。
「まずは両者に話し合いをさせます。子どもが悩んでいることに教師がまったく気づいていないことが多いのです。たいていの教師はそれを知りたいと思っていますから、話し合うことで大部分の問題は解決します。けれども、複数の両親が苦情を申し立てたときや保護者が『教師には言わないで欲しい』と頼んだ場合は、私が教師と話し合います」
面倒なのは労働組合法です。最初の3年間は毎年一年ごとの契約更新ですから容易に解雇できますが、その後は非常に難しいのです。
「けれども、子どものために解雇が必要だと思ったら、その方法に従って面倒な手続きを開始します」とジェイ校長はきっぱり言いました。
問題があった教師たちが次々と「早期退職」していったのは、水面下でジェイ校長が対応したからでしょう。こういった彼女の毅然とした態度を「冷淡」と評価するかどうかは、人によって違うと思います。
学校と保護者の関係についてもジェイ校長は率直に語ってくれました。
「教師がどこまで努力しても、親は『十分ではない』と思うものなのです」
「よい学校」を求める教育熱心な保護者の困ったところは、それぞれが自分にとって重要なことを「これを学校で教えるべきだ」と要求してくることです。
家庭でスペイン語を話す保護者はスペイン語の授業を求め、中国系の保護者は中国語の授業を求めます。前章でのアルメニア系アメリカ人やアフリカ系アメリカ人のように自分の民族の歴史をもっと学校で教えてほしい保護者もいます。アジア系の保護者は母国と同じレベルの数学の授業を求めます。わが子に学習障害があると主張して法が保証する指導教官の配置を求めた保護者は、テストで息子に障害が認められなかったのを不服として学校を訴訟しました。
「自分の子ども以外にもほかの子がいることを忘れる親がいます。けれども、私にはすべの子どもたちのことを考える義務があるのです。また、小学校は競争する場所ではなく人生のスキルを学ぶ場所なのですが、そう思っていない親もいます」
こういったいろいろな保護者、教師、生徒、それぞれのアドボケイトになり、恊働しなければならないのが校長であり、「人柄がよい」だけでは勤まらないのです。なのに、「人柄」を何よりも重視する保護者もいます。そして、「辞めさせよう!」と意欲を燃やす人も出てきます。
でも、レキシントン町では、自分が守りたい教師、校長、教育長、教育委員を守ろうとする保護者も存在します。長年いろいろな企画を通じて恊働している彼らのネットワークと結束はかたいので、その場かぎりの「辞めさせよう!」を跳ね返すパワーがあります。
人間は、どこかに欠陥がある生き物です。
自分のことを考えればそれは明らかなのに、なぜか私たちは公的な立場にある人に過剰な期待を寄せてしまいます。
そして、欠陥がひとつ見つかると「失望した」と言い、ひとつミスをすると「その仕事をする資格がない」と非難して辞めさせます。
でも、そうしていたら、フィンケルスタイン先生も、ヘネシー校長も、ジェイ校長も、ずっと前にレキシントン公立学校から姿を消していたでしょう。
その結果残るのは、無難なことしかしない人です。
教師は差別やいじめがない環境を作る努力はしないでしょうし、校長は子どもにとって良い教師を守ろうとしないでしょう。
いくら自分を犠牲にして良いことをしても、ひとつミスを犯しただけで、これまでやってきたことがすべてゼロになってしまうとしたら、問題が起きたときになるべく隠そうとするでしょう。
そんな学校になっているとしたら、守るべきものを守らず、どんどん切り捨てて来た私たちのせいなのです。
現場で目撃していない間接的な情報を「真実」とみなし、「正義」のために現存するものを「敵」とみなして破壊することに燃える人も、実は現状を悪化させていることがあります。現存するものを破壊した後に完璧なものが自然発生するかのように振る舞うのもそうです。
現状の改革には盲信的なエネルギーが必要かもしれません。
けれども、私が「真実」とか「正義」の名のもとに現存するものの破壊を呼びかける人にどうしても賛同できないのは、現存するものを擁護するからではなく、絶対の「真実」や「正義」などは存在しないと思うからです。
9章や11章のように、当事者としてその場にいた人にも異なるバージョンの「真実」があります。それなのに、(多くの場合はバイアスがかかっている)間接的な情報からどれほどの「真実」が分かるのでしょうか?
エスタブルック小学校での出来事がマスコミで話題になっているとき、香港出身の知人がニュースで得た情報をもとに「私も学校で息子にゲイのことなんか教えて欲しくないわ」と鼻息も荒く語りました。彼女の息子もレキシントン公立学校に通っているのですが、子どもたちの競泳で知り合った人なので、私が事件に関わっているとは知りません。
彼女はさらに物知り顔でこんなことを”教えて”くれました。
「教育委員は偉そうにしているけれど、小遣いをもうけたいからなるだけよ」
彼らが無報酬のボランティアであることを私が説明したところ、彼女は「それ、本当?」と一瞬ひるんだものの、すぐに立ち直って自信に満ちた態度で反論しました。
「でも、選挙運動の寄付で余った分は自分のものにするのよ。そう聞いたことがある」
彼女の「たとえ無報酬でも、きっとどこかに見返りがあるはず」という信念は、どんなに私が説明しても揺らぐことはありませんでした。
彼女にとってはこれが「真実」であり、彼女からそれを聞いた人もそれを「真実」として広めてゆくのでしょう。
これらの「真実」をもとに不信感をつのらせる住民が増えれば、一生懸命に学校やコミュニティを支えようとしている人が批難され、追い出されてしまいます。その結果被害をこうむるのは私たち自身だというのに、無責任に噂をばらまく人々は、自分の行為がもたらす影響を考えることすら放棄しているのです。
11章に登場したボニーは、情にもろく、人は良いのですが、もともと深く考えるのが苦手な人です。複雑な内容は理解できないので、ふだんから感情的な結論を出す癖があります。だから彼女は自分を支えてきてくれた人々を見捨てて、支えてくれないグループを選んだわけです。
そこで私が思い出すのが4章でご紹介したサミュエル・アダムズのことです。彼は住民に知識がないと自由や民主主義を理解することすらできないことを痛感して公教育の重要性を説いたのですが、公教育が普及している21世紀でもまだ問題は解決していないようです。
短くて分かりやすいバーションの「真実」や扇動的な内容の「真実」に踊らされて大切なものを失わないようにするためには、自分自身で多くの情報を入手し、読み比べ、耳をすませ、しばらくは「口」を閉じて考えなければならないと思うのです。
「多くある情報のうち、どれを信じればよいのでしょう?」という質問をよくみかけますが、簡単なハウツーはありません。
コーヒー豆の味の差がわかるようになるためには、インスタントではなく豆のものを沢山飲み比べるしかありませんが、情報も同じです。「これは変だぞ」と気づくためには、ふだんから扇動的でも、簡単でもない情報を沢山読み比べる必要があるのです。
さきほど書いたように絶対の真実は存在しませんが、いろいろなバーションの真実をまずは偏見なしに見つめて自分なりに吟味するのが私たち市民の義務でもあるのです。
もうひとつの義務は、「この行動を取ることで、どういった結果が得られるのか?」と自問することです。
正義感に燃えて怒りの拳を振り上げる人は、その拳を下ろす場所に何があるのかをまず見つめていただきたいと思うのです。
そこには、ジェイ校長やNPFH運営委員長のスマイロウさんがいるかもしれないのです。もしかすると、エスタブルック小学校の反偏見教育かもしれません。
たとえ、現存するものがどうしようもなく腐敗していても、破壊した後に素晴らしいものを作り、何十年も維持する具体的なプランがなければ、廃墟だけが残ります。
改善するのは破壊よりも面倒ですし、勝利感もありません。けれども、現実的な解決策としては非常に有用なオプションです。何十年もかかりましたが、エヴァグリオ・モスカ先生は破壊せずして学校を変えました。
破壊するのは、現場で恊働してくれるモスカ先生や、ジェイ校長や、スマイロウさんを探してからでも遅くはないと思うのです。
「やる気がない人がほとんどなのに、こんなに大変なことはできっこない」
そう思われるかもしれません。
私もそう思っていました。
10年前、小学校の質について陰口を言うくせに「手伝って」というと断るアジア系の保護者にうんざりしていた私は、町の小委員会の休み時間に「ボランティアをしてくれる保護者は、たったの10%程度」と愚痴をもらしました。
すると、年配の白人男性が「10%いれば上出来じゃないか」と笑ってこう諭したのです。
「レキシントン町で政治やボランティアに参加する人口は常に2000人から3000人で人口のちょうど10%くらい。でも、10%ってのは全米の自治体と比べるとすごく高い数字なんだよ。10%が動けばたいていの組織はちゃんと機能する」
大企業で重役を勤めていた人の意見ですから、説得力があります。民主主義初心者の私は「なるほど」と思いました。
「やりたくない者に参加を強要するのではなくて、やりたい者がやりやすくなる環境を整える」というのも、ボランティアで知り合った人々が教えてくれたことです。
その後出会ったNPFH運営委員会が、まさにそういう集団でした。
一緒に何かをするのがプレッシャーではなく、楽しみなのです。
彼らから学んだのは、コミュニティのために何かをするのは、自分がコミュニティの一部だと感じさせてくれるからであり、自分の人生に意義を与えてくれるからであり、結局は自分のためだということでした。
つまり、「やらせていただいている」のでした。
アルメニア系アメリカ人の要求に負けて行政委員たちがNPFHプログラムを廃止したときには、ずっと一緒に仕事をしてきた行政委員に裏切られた気がしたものです。けれども、草の根グループLexington CommUnityとして蘇り、イベントを企画したときに、彼にメールで協力をお願いしたところ快く引き受けてくれました。NPFH運営委員だったのにアルメニア系アメリカ人に知り合いがいるために廃止に賛成した人もいたのですが、ウエストボロー・バプティスト教会が2009年にふたたびレキシントン町にやってきたときに「沈黙のカウンター・プロテスト」をスマイロウさんが指揮したら、彼ら全員が援助にかけつけました。
私たちを見捨てた人たちとふたたび恊働するのを不思議に思う人がいるかもしれません。
でも、彼らはたった一度の行き違いで縁を切ってしまうにはもったいない人たちであり、コミュニティにとってはとても大切な「守るべきもの」なのです。
『住民が手作りする公教育』はこれで終了します。
お読みいただき、ありがとうございました。
*注記
この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。
登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。
Tomoq11さん
そうなんです。地味なことをずっと続けて行くしかないのです。継続って一番大変なことかもしれません。
ですから、継続できるように、みんなが楽しくできる環境を作るのが大切じゃないかと思っています。
そういう信じる人が10%集まれば、全体の雰囲気がそうなるんですよね。そう学びました。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2012年8 月 5日 (日) 04:43
学校を、いじめが成り立たないような環境、多様性を受け入れる環境にするために、多くの人の地味な貢献が積み重なっている。出来ることから参加すべきだなあ、と反省しつつ読みました。
投稿情報: Tomoq11 | 2012年8 月 5日 (日) 01:04
アリゾナさん、
ここまでおつきあいありがとうございました。
長年ためてきたものなので、こうしてまとめられたことと、みなさんに読んでいただけることが嬉しいです。
自分自身のモチベーションにもなりました。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2012年8 月 3日 (金) 18:12
ゆかりさん、
連載ありがとうございました。学校についていろいろ考えることがあったので、今この時期に連載を読めてよかったです。
投稿情報: アリゾナ | 2012年8 月 3日 (金) 13:28