でも女性が集まると、すぐ話がずれてゆくのが悪い癖。予定したとおりの「読書会」にはならず時間切れ(苦笑)。また別の日にわが家で集まったのですが、ワインのせいか、話はどんどん横道にそれてしまいまたも10時間おしゃべり大会(大苦笑)。
そのなかで唯一真面目に感想を答えてくださったのが、塚本晶子さん。
受け取った後、すぐに『ボールのようなことば。』を読みまして、
読み始めて、「これはざっと読むような本ではないのだな」と気づき、
文字通り ”ボールを手の中で転がして遊ぶ”ように (これをうちの方では、手まぜ、と言います 笑)
少しずつ、考えながら、楽しみました。
勇気付けられたり、子供の頃を思い出して泣きたくなったり、今の自分を反省したり。
示唆に富んだ、深い、ハッとさせられることばの連続で、
たくさんの腑に落ちることばとの出会いでした。
どの文章も、読むときに、糸井さんの声で聞こえるんですね。(笑)
かるく、やさしく言われているのに、結構キツイ、痛いこともある。
それがイヤに感じないのは、糸井さんのお人柄が透けて見えるからでしょうか。
すべてのメッセージの中に、今の自分を正直に見つめることを説いてあったと思います。
心に残ったものは数多くありましたが、
「おもしろい」と「食えてる」P138 に、納得。
「できちゃうこと」P156 は、まさに、と思い、
「打席に立つ」P273 は、心に留めておこう、と思いました。
そして
「負けたい」P253 には唸りました。
「あんたがやってみろ」妖怪には、絶対会いたくないですが、見方につけるくらいの勢いがないとダメかしら。(笑)
娘たちにも読ませたいですが、
おそらく随分と心に響く重みが違うのでしょうね。
このボールを、どのように受け取り、感じてくれるのか楽しみです。
ところで、ふたたび手に取って思ったことですが、これら二冊は2人くらいで語り合うのがちょうどいい本なのですよね。
誰かと語り合ってみたいのだけれど、沢山の前では語りたくない。
特に『夜は、待っている』でそう思いました。
ちょっとお茶を飲みながら、他の話をしているときに、さりげなく「あれについて、私こう思うのよ」という感じで。さりげないけれど、実は本音を出してる。そのときのやりとりで「この人とは長く友だちになれるかどうか」が見えたりするんでしょうね。
とっても真面目に考え込んじゃうことばの合間に「ぷっ」と吹き出すことばがあるのも「人生らしい」と思うのですが、次なんかは、説明の必要がないほどしっくりくることばです。
「だれにでも通じることばというものを、ぼくは持っていない。
通じるひとに通じさせるようにするのが、せいいっぱいだ。」
装幀もすごくいいし、中のデザインもさりげなく考え抜かれていますが、何よりも、言葉の選び方と配置に感心しました。構成と編集をされた永田泰大さんの才能に感服。
『ボールのようなことば。』は、若い世代の人にただ読ませるだけじゃなくて、ネタにして真剣に語り合ってみるといい本です。
語り合う、というよりも、彼らが考えていることを全身全霊で聞いてみる機会にするといいと思います。
私たち大人は、子どもの言葉を真剣に聴こうとせず、すぐに説教したり、教えたりしたくなります。心を通わせようと思ったら、自分は黙って「どう思う?」と訊ね、どんなに未熟だと思っても、最後までしっかり聞くことです。
そして、「なるほど、そういう考え方があるんだ」としっかりとらえてから、「私が若いころはこんな風に考えていた。それが今はこうなった」と率直に語ってみるといいかもしれないです。
そうやってはじめて、『ボールのようなことば。』を若い世代の人と共有できると思うのです。
高校生くらいのお子さんに、プレゼントして「どう思ったか教えて」と言ってみるといいかも。きっと、びっくりするほど「教えて」くれますよ。
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