昨年11月に糸井重里さんご一行をボストンにお迎えし、糸井重里さんをアメリカ人にご紹介(あるいはご説明)させていただく機会があったのですが、いつも困るのが「こういう方です」というすっきりわかる簡単なまとめです。
だいたい、私自身が糸井重里さんの全体像を把握しているわけではありません。
18年前に日本を離れた私にとって、糸井さんは、「有名なコピーライター」で「ヘンタイよいこ新聞」の人で「TOKIOの作詞家」(埋蔵金のイメージもあり)なのですが、ゲーム好きの姉にとっては「Motherのクリエーター」としての憧れの存在で、米国にもっと長く住んでいる私の友人にとっては「トトロのお父さん」、読書指導をしている生徒さんにとっては「ブイちゃんの人間のお父さん」と、「いったい何人の糸井さんがいるのですか?」という状態です。
その糸井さんのつかみにくさを特集にしちゃったのが、BRUTUS(4/15日号)の、「今日の糸井重里」です。サブタイトルは、「糸井さん、あなたは何者ですか?その答えに迫る密着ドキュメント。」で、まさにそのものです。(まだ「ほぼ日」にて購入可能です)
糸井さんをよく知る方々の「証言」のコーナーを読むと、それぞれ異なるのに、「うんうん」という感じで納得できるところが多いのです。
特に「うんうん」と頷いたのは、谷川俊太郎さんの次の談です。
「これは肩書きではないけれども、糸井さんが自分は『自我が希薄』だと言ったことがあって、私は自分もそうだと思っていたから共感した。糸井さんは自分が楽しみながらも、基本的には人の手助けをしている人だと私は思っている。自我が濃いとどうしてもバリアができるが、薄いとなんでも入ってくる。それが糸井さんを生き生きとアイデア豊富にしているのだ。」
それから、笑福亭鶴瓶さんの次の部分。
「だからこれまで長い間、偉大な存在であり続けているのに、いまいち世間は糸井さんの大きさに気づいていない。ブームにならないブームというか...」
もうひとつ、「鋭い!」と思ったのが、イチローさんが対談で次のように語っておられたところ。
「子供の純粋な目って得体の知れない感じがして怖い。邪念のある目で見てくる人のほうが僕は得意ですよ(笑)。だから糸井さんは怖い(笑)。」
そうなんです。糸井さんの純粋な目は、するどいところをぱっと見抜いてしまうから「怖い」です。
ツイッターで糸井さんの言葉尻をとらえて揚げ足取りをする人がよくいますが、そういう人たちを見ていてつくづく残念なのは「糸井さんの自我の希薄さ」を誤解している人の愚かさです。糸井さんがボストンでHubSpot社を訪問されたときのミーティングに「横やり」参加させていただいた私は、「ほぼ日」のコンセプトがいかに国際的に先進的なアイディアだったのかを実感しました。MITのビジネススクール(スローンスクール)で教えているBrianですら感心するような発想を、誰から学ぶでもなく、自分ですっと思いつき、もう何年も前に実行してしまっているのです。だから、糸井さんという人は怪物的にすごい人なのです。
そのすごさを知らないでツイッターの140文字で「有名人の揚げ足取りできる僕ってすごい!」と自己満足する人に対して、横から見ていて、とても恥ずかしくなってしまうのです。すごいことをさりげなくやることの格好良さって、分かる人にしか分からないのかなあ...と。
軽く読んだだけでは見過ごしてしまうけれど、自分自身が沢山いろんな体験(嫌なこととか悲しいこととかも)をすることによって、深い意味を持つのが糸井さんの言葉の数々です。何度も読んで楽しめるのが、この「羊どろぼう。」
ここから「例」として抜粋する言葉を探したのですが、やりはじめると、全部になってしまいます。
「これ、すごくぴったりの表現!」
「同感!」
「うむ...これは深い」
「私が思っていることそのまま!」
「はははははは(とただ笑う)」
の連続です。
まあ、ともかく読んでください。そして、お好みの言葉をそっと教えてくださいな(私は192と193ページ。フォントも好き)。
ところで、最近アメリカ人用に思いついた糸井さんの説明ですが、「日本人男性版のオプラ・ウィンフリー」というものです。「やっていることは違いますが、アイディアの宝庫で、新しいことを次々と思いつき、面白い人を見つけて才能を引き出すのがうまく、多くの人びとを動かす魔力がある」と話すと「なるほど!」と頷いてくれることが多いのです。
もっとよい表現がありそうですが、これから修業して身につけさせていただきます。はい。
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