ですから、楽しみのための読書も「勉強」になりがちです。
特に自国語ではない英語の本を読むときには、分からないと自分の英語力のなさを悲観して読む気をなくしますし、他人と比べたり、”向上”しようとして努力を始めます。
でも、それをしている限りは、「読書が好きで好きでたまらない。毎日読みたい」というレベルには達することができません。
私はもう15年以上ジョギングをしているのですが、レースはしません。どんなに調子が良くても距離は1日に12kmまで(わが家から町の中心街までの往復の距離)と決めていますし、調子が悪いときには、途中でUターンします。
鉄人レースにまで出てしまう同年代の知人がいますが、彼女たちと比べて悲観することもありませんし、私より遅い人と比べて得意になったりすることもありません。
ジョギングを始めてすぐに「マラソン大会が目標」とおっしゃる方がいます。それを否定するつもりはありませんが、最初に張り切ってどんどん距離を伸ばし、スピードを上げていたのに、挫折してすぐにジョギングをやめてしまう方もとても多いのです。
私が誇りにしているのは、距離でもスピードでもなく、「他人と自分を比較せず、私自身の楽しみを大切にしている」ことです。小学生のとき体育で5段階評価の2を受け取り、体育が大嫌いだった私が、「走るのが楽しい」と感じ、運動好きになったことに、純粋に喜びと誇りを覚えているのです。読書も同じようなものだと思います。
米国の小学校で読書と数学のお手伝いをした経験からも、早くから親が上達を促した子供達が、後で読書や数学が嫌いになったり、自発的に読書や勉強するのが苦手になったのを観てきました。逆に、小学校の低学年で読解力が低く、計算が遅かった子供たちの中で、読書/数学を「遊び」として楽しむことができた子は、高校生になってそれらが良くできる生徒になっています。それは、楽しいから自発的に本を読み、数学の難問にチャレンジするからです。
繰り返します。向上のため、目標達成のための努力と勉強は、かえって読書の楽しみを奪い、読書嫌いを育てかねません。「徹底的に他人と自分を比較せずに努力を楽しむ」というのは簡単ですが、競争社会で「比較」から自分やわが子を守るのは、普通の競争よりもずっとずっと難しいものです。子育ての体験からも、よく知っています。
でも、難しいからこそ、これを読んでくださっている皆さんにチャレンジしていただきたいと思います。
洋書の読書を楽しむためのコツ
1)基本的には、多読三原則に従う
2)完璧に理解することを目指さない。期待しない。
娯楽で読んでいる日本語の小説でも「この熟語の意味がよくわからない」ということはある筈です。それをいちいち考えていたら小説を楽しむことができない筈です。英語であっても読書は同じです。だいたい分かって、読むのが楽しかったら、それで十分です。
3)読書を楽しむ習慣をつけることを目標にし、英語力のことは忘れる。
積極的に忘れる努力をしてください。力を抜いて楽しみ始めたときに、びっくりするほど読めるようになっている自分に気付くことでしょう。
4)以前よりも洋書を楽しめるようになった自分を褒めてやる。
以下は読書をするのがお子さんの場合です。
5)両親がお子さんと一緒に本の批評をするのは奨励。だが、お子さんの英語力については批判してはならない。せかしてはならない。
それだけで、意欲をそぎますし、自信をなくさせます。また自立心を押さえ込むことにもなります。また、速く読むよりも、内容を楽しむことのほうが大切です。沢山読めば、そのうちスピードはつきます。
6)ご両親は、(自分のほうが英語力があっても)「内容を教えて」とお子さんを教師役にする。
これをすると、自信もつきますし、自立心もできます。批判よりも、「お父さん、お母さんに教えてやろう」と意欲がわきます。
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