いま、Kindle Unlimited(読み放題)を試しているのですが、残念なことにPRに使われている目玉作品はもう殆ど読んでいます(『ジャンル別 洋書ベスト500』に入っている作品が沢山あります)。
そこで、以前からよく目にするティーンや若い女性読者の間で人気がある作品を試してみることにしました。
驚いたのは、連続して読んだ次の作品(ひとつは読み切り、もうひとつは三部作)に多くの類似点があったことです。
どちらにも親(親代わりの親族)から虐待(child abuse/neglect)を受けて育ったティーンが登場します。ひとりは男の子で、もう一人は女の子です。最初の作品は、その男の子を愛して突き放され傷つく女性主人公のストーリーで、後者は愛してくれる人を突き放し続ける女性主人公のストーリーです。
そのうえ、どちらでも女性主人公が「走る」んです。私の処女小説でも女主人公が走りましたが、この感覚、なんだかすごくよくわかりました。
その二つの作品です。
1.Left Drowning
著者:Jessica Park (Flat-Out-Loveなど)
Paperback: 416 pages(日本ではキンドル版のみ)
出版社:Skyscape
ISBN-10: 1477817158
発売日:2013年7月
適正年齡:R+(成人向け。エロチカに近い性描写あり)
難易度:中級〜上級(内容そのものは難しくないが、心理を理解するためには読み慣れている必要あり)
ジャンル:NA(ニューアダルト)/ラブストーリー(ロマンス)
キーワード:児童虐待、児童虐待の犠牲者の心理、人間関係、回復
胸が痛くなる度:高い
四年前に両親を火事で失ったBlytheは、三歳年下の弟とも疎遠になり、深いうつに陥った状態で大学生活最後の年を迎えた。誰とも言葉を交わさずにいたのに、Chris Shepherdという同級生に出会い、絆が強いShepherd四兄弟(男3人、女1人)に引きずりこまれるようにして明るくなっていく。
だが、心の闇から助けだしてくれたChris自身が、Blytheを苦しみに突き落とす。明るくて楽しいSheperd兄弟は、表面には見えない暗くて重い過去を引きずっていた。それが原因で、大切な人々との人間関係が保てないのだ。
最近話題になっているNA(ニューアダルト)に属する作品。NAとは、YAの内容に(描写が露骨な)性的コンテンツが加わったようなもので、ティーンより年上の大学生から30歳くらいまでの読者をターゲットにしている。
恋愛だけでなく兄弟愛や友情が重要なテーマになっていて、読者に「こんな形の家族っていいな」と思わせてくれる。
2.Reason to Breathe (Breathing #1)
著者:Rebecca Donovan
ペーパーバック: 544ページ
出版社: Penguin
ISBN-10: 0141348445
発売日: 2013/1/17
適正年齡:PG15+(高校生以上。それほど多くないが、性の話題と性的コンテンツあり。特に三部)
難易度:中級程度
ジャンル:YA(ヤングアダルト)、ラブストーリー
キーワード:児童虐待、児童虐待の犠牲者の心理、人間関係、回復
胸が痛くなる度:高い
学業もスポーツも万能な女子高校生のEmma Thomasには、誰にも知られたくない秘密がある。だから、それを知る親友のSara以外とは口もきかない。感情のかけらもみせず、同級生たちからお高くとまっていると思われていた。だが、転校生のEvanの発言につい逆上してして攻撃してしまう。家庭で虐待を受けているEmmaは、大学に行くことでそこから逃げ出そうとしている。それまでがまんすることだけを目標にしているのに、それが上手くいかなくなってくる。
親友のSaraとEvanはEmmaを救おうとするが、未成年の彼らにできることは少ない。そして、Emma自身が、助けようとする人々を拒否してしまう。
著者のデビュー作品で、USA Today紙のベストセラーになった作品。ドラマチックな展開なので、読み始めたら、どんどん次を知りたくなる。だが、同じような悲劇が何度も続き、一部と二部の終わりが「どうなったのかを知りたい方は続きをどうぞ」というショッキングな感じなのも、主人公の崩れ落ち方も、メロドラマ的すぎる。そこが私には気に入らなかった。
けれども、基本的に人間の良さを信じるところは良いと思うし、ページ・ターナーであるのは事実。女性読者が「こんな愛を信じたい!」と思って良い評価を与えるのは理解できる。
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今日ご紹介した作品に共通するのは、虐待の犠牲者が抱く「僕/私のような壊れた人間と付き合うと、相手も壊してしまう。相手のためにこの愛は諦めたほうがいい」という歪んだヒロイズムです。でも、これは著者たちの創作ではありません。そういう心理になる犠牲者は多いようです。
創作に過ぎませんが、虐待の犠牲者の人間関係が維持しにくいのは、心理セラピーでもよく知られていることです(日本語の児童虐待,netもみつけました)。
日本では児童虐待がそれほど話題にならないので「他国に比べると少ない」と思い込んでいる人は多いと思います。でも、それは性犯罪や性虐待、ハラスメントと同じで、報告されたり、記録されたりする数が少ないにすぎないと思います。虐待を与えているほうも、受けているほうも、それが「虐待(あるいはネグレクト)」だという認識がないケースもあるでしょう。「ない」のではなく、「表面に出てこない」だけなのではないかと思います。
どちらの作品でも、犠牲者たちを救うのは、どんなに傷つけられても、辛抱強く手を差し伸べ続ける人たちです。でも、現実の犠牲者たちには、そんなに優しい人々が周囲にいないことでしょう。いても、手に負えなくて去っていくことが多いと思います。だから、助け合うグループや専門家に出会う機会がある社会が理想的です。
また、犠牲者であっても、必ずしも問題を抱えているというわけではありません。普通に結婚して、仲良し家族を作っている人もいます。だから「愛されていない人は、愛せない」というステレオタイプは信じないほうがいいです。愛されて育っても自己チューで他人を愛せない人もいますから。
下記の二つの作品(三部作)を読んでいるときに思い出したのは、ボストン郊外の小学校のボランティアで本の読み方を教えた7歳の少女のことです。
無責任な母親が、突然現れて祖母の家に置き去りにしたということで、そこの学校に転入していたばかりでした。教育熱心な親が多い学校なので小学校1年生(6歳)でアルファベットが読めない子はほとんどいません。でも、一つ年上の彼女は、学校に行ったことがないようで、Aをエイと読むことも知らなかったのです。子どもたちは6歳でも違いを嗅ぎつけます。同級生に馬鹿にされているその子には誰も友だちがいませんでした。
私の個人レッスンでAppleやBananaが読めるようになったときの少女の嬉しそうな顔は忘れられません。
でも、現れたときと同じように、突然少女は姿を消しました。母親が現れて連れ去ったのだそうです。
あの少女は、これらの主人公たちと同じくらいの年齡になっています。彼女がちゃんとした人生と愛を見つけていますように。。。と祈ったのでした。
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