The Correctionsで米国文学界での地位を確保したJonathan Franzenの新作Freedomは、発売前から多くの文芸評論家たちが絶賛していました。マーサズビンヤードで休暇を取るオバマ大統領が休暇中に読むためにARCを受け取ったというニュースも米国の文学界で話題になりました。
もうひとつ話題になったのが、ニューヨークタイムズ紙の名物書評家ミチコ・カクタニの書評に対する女性作家の批判です。
発端になったのは、ベストセラー作家Jodi Picoultの次のようなツイートです。
それに加わったのが、これまたベストセラー作家のJennifer Weinerです。ツイッターで#franzenfreudeというハッシュタグを作って読者との意見交換を始めた彼女は、こんなツイートをしています。
彼女たちの言い分を大雑把にまとめると、ニューヨークタイムズ紙の文芸評論は、白人男性(特にニューヨーク在住)の作家には大変甘く、chick litやロマンスなど商業的な文芸作品を書く女性作家を見下げ、無視している、というものです。
私だけでなく夫もそういったことを感じていたのですが、客観的な数字はどうなのでしょう?
Slateの調査によると、実際にSunday Times Book Reviewは男性作家の作品を女性作家のものより2倍も取り上げているそうです。
Picoultの次の一連のツイートには、ちょっぴりニヤリ。
I actually had to look up a vocabulary word in Kakutani's review.
(カクタニの書評は、私でさえ分からない単語を調べなくちゃならなかったのよ)
と言ったあとで、こんなことを書いています。
( でも、カクタニの書評を読んだとき、lapidary の意味が分かった?書評家は、自分が賢く見られたいだけだと思うわ)
性差別かどうかはさておき、私はニューヨークタイムズ紙あたりが絶賛する文芸小説には懐疑的なアプローチをするよう心がけています。それは次のような理由です。
1)Pretentious であることがゲージュツだと勘違いしている本がけっこう絶賛されている。
高校と大学時代に友人と同人誌を作っていたのですが、そのときに私たちが信じていたのは「読んですぐ分かるような表現は芸術じゃない」というものでした。今振り返ると、「難解であればあるほど良い」というのは若さゆえの幼稚な信念だったと思うのですが、プロの書評家が賞賛する作品にこれを感じることがあります。
多くの本を読めば読むほど、文章や構成の評価が厳しくなるのは事実です。洋書を読み始めた頃にはストーリーを追うだけだったので面白く感じたのに、多くの本を読みこなした今では「文章が酷くて読めない」と感じる作家が何人もいます。
けれども、「わざと読者に努力を強いるブンガクなんて馬鹿げている」というのが私の考え方です。「使い古された表現は使わず、しかも、鮮やかに状況や心情を伝えることができる」それが優れた文章だと思います。
2)文学界の狭い世界(特にニューヨーク市)の狭い人間関係しか知らない人々だけが「面白い」と思う小説が評価される。
編集者、評論家、文芸エージェントは、ほぼ同じ世界に生きている人々です。だからあんまり外の世界を知りません。「内輪のジョーク」のように、この狭い文芸の世界で「面白い!」と思うことが、一般の読者にとって面白いとは限らないのです。
3)文学界の狭い世界(特にニューヨーク市)の狭い人間関係しか知らない人々は、読者の視点を忘れている(あるいは馬鹿にしている)。
上記の続きですが、狭い文学の世界に生息している人たちは、読者の知性を見下しているところがあると(ときおり)私は感じます。
自分が体験してもいない世界を想像し、分かったようなつもりで書いたような作品が評価されるのは、評価する人が共通の狭い世界しか知らないからだと思うときもあります。Gary ShteyngartのSuper Sad True Love Storyは、プロの文芸評論家たちから賞賛されました。本ブログでもご紹介したように、今年おすすめの作品のひとつですが、私は書評家たちほど高い評価はしていません。
Shteyngartの描いたソーシャルネットワーク社会や愛の滑稽さと哀しさは、私には「優等生の書いた非常に優れた創作文」としか感じられなかったのです。「クレバーだ」と感心はしても、「わはは」とは笑えなかったし、心も動かされませんでした。
私の直感は、Shteyngartは「ソーシャルネットワークや人間性、異文化を二次情報から分かったつもりになっているだけで、本当には理解していない」、というものでした。後でインタビューを聞いたところ、やはり私の直感はすべて当たっていたようです。
知人がフランゼンの教え子だという関係から、(めったに人前に出ない)フランゼンの講演を聞いたことがあります。その時の彼の印象は、傲慢というよりもシャイで職人気質、という感じでした。けれども、文学界が好みそうな、商業的文学を拒むプライドの高さも感じました。
これらのことを念頭に、私はFranzenのFreedomを、やや懐疑的に読んでみました。
その感想は、次回のブログでご紹介します。
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