7章 「なにができるか、やってみようじゃないか」の時代
先の章でお話ししたように、1950年代から60年代にかけて、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学の教員たちが緑の多い環境を求めて郊外のレキシントン町に移住してきました。
この町の住民で元エスタブルック小学校校長のデイヴィッド・ホートン氏は、その時代を懐かしそうに振り返ります。
「当時の米国東部はみなそうだったのですが、子どもの人口が増加し、州のスタンダードというものはなかったのです。非常に革新的な時代で『何ができるか、やってみようじゃないか』という自由な熱気に満ちていました。レキシントン町が独自のカリキュラムを持っていただけでなく、それぞれの学校がカリキュラムを自分たちで作っていたんですよ」
1961年に開設されたこの小学校はハーバード大学との提携で企画された「チーム教育」が売り物でした。
この「チーム教育(team teaching)」では、教師がいくつかのチームに分かれ、ひとつのチームがそのグループの生徒全員を一緒になって教えます。学科ややることによって生徒の人数は異なり、大きな講義では全員が一緒に、小さな実習では数人のグループになります。チームリーダーの教師は指導者の役割で、得意分野により教師の役割を振り分けたりします。つまり全教科をひとりで受け持つ「担任制」ではなく、数人の教師が支え合うやり方なのです。
60年代に小さなブームをもたらしたチーム教育を全米で最初に導入したのが、レキシントン町のフランクリン小学校(現在では廃校)であり、この教育法に沿って作られたのがエスタブルック小学校だったのです。
エスタブルック小学校の建物は「チーム教育」を念頭にデザインされ、音楽室と美術室はU字型の講堂でした。それらの教室がアコーディオンカーテンで区切られているのは、カーテンを取れば大人数の講義にも使えるからです。
この新しい教育方法に惹かれて、教育熱心な若い両親たちがフランクリンとエスタブルック学校区に引っ越してきました。
その中には前述のハーバードやマサチューセッツ工科大学の教員だけでなく、他の大学の教員や教育熱心な専門職が多く、そのためにさらに教育熱心な環境が生まれたのでした。
チーム教育をやっていたのは、エスタブルック小学校と(現在は廃校になった)フランクリン小学校だけだったのですが、それらの先進的な小学校のおかげで、周辺地区に「公立学校が良い町」という評判が広まったのです。
評判が広まったのですが、それぞれの小学校が提供する教育レベルには差があります。教育者の間から「町の学校全体である種の統一性、スタンダードがあるべきではないか」という意見が生まれ、町のすべての小学校のレベルが一致するように、教師が夏休みの間に会ってカリキュラムを一緒に作ったというのです。
「教育というのは非常に孤独なものです。けれどもチームであれば、そんなことはありません。それまで教えていた(隣町の)アーリントン町ではチームで力を合わせて働くことはありませんでしたから、レキシントンのやり方がとても好きでした」とホートン氏は懐かしそうに語ります。
私たちは何かができないときに「あれがない、これがない」と環境が整備されていないことを言い訳にしがちです。けれども、ホートン氏の話からは、混沌としていて何もない状況だからこそできることがあるのだと感じました。
「チーム教育」の流行はすたれてしまったのですが、「教育に熱心な町」の評判はそのまま残り、ホートン氏のような教育熱心な教師と保護者たちを魅了し続けたのです。
1950年以降にこの町に移住してきた人に「なぜレキシントンを選んだのですか?」と訊ねると、「公立学校が良いから」という答えが戻ってきます。
けれども、その人によって「良い教育」の定義は異なります。
ユダヤ系の保護者は社会科学や人文科学、そして音楽や演劇などの芸術を重視するのですが、アジア系の保護者は「数学」にこだわる傾向があります。そして、必ずといっていいほど「学校が良いと聞いたから越して来たのに、小学校の算数は母国より遅れているじゃないか。これで大丈夫なのか」と愚痴を言うのです。なぜアジア系の保護者がそれほどレキシントン公立学校の数学に期待をかけるかというと、レキシントンの中学校と高校には全国的に有名な「数学チーム」があるからです。
高校生に訊ねると、ムッとしたように「数学チームなんて、高校の小さな、小さな、小さな一部分でしかない。音楽教育のほうが充実しているし、多くの生徒が恩恵を受けているのに、なぜ他の学生がまったく気にもしないことにこだわるのか?」といった反応が戻ってきます。討論チームの子は討論チームのほうが数学チームよりも有名だと主張しますし、テニスやラクロスをやっている子とその両親にとってはそちらのチームの活躍のほうが重要です。
いずれもそれなりに正しいのです。でも、レキシントン公立学校の数学教育の歴史には、音楽教育や討論チームの歴史にも共通する「なにができるか、やってみようじゃないか」の精神が反映しているので、わかりやすい例としてそれをご紹介しようと思います。
少々退屈ですが、レキシントン公立学校の数学について簡単にご紹介しましょう。
1994年の「国際数学オリンピック」で優勝したのは、国際数学オリンピック35年の歴史で初めてチームメンバー6人全員が6問全問正解するという快挙を果たしたアメリカチームでした。そのミラクル・チームのひとりが、レキシントン高校のジョナサン・ワインスタインだったのです。そして、2003年の東京大会で3位になったアメリカチームにも、レキシントン高校のマーク・リプソンがいました。
この「国際数学オリンピック」の出場者を決めるのが「全米数学オリンピック(USAMO)」です。数学競技者の間では予選を通過するだけで栄誉あることだとみなされていますのですが、1996年から2002年までの予選通過者の累積数を見ると、普通高校のなかでレキシントン高校は全米で一番なのです(*2004年の調査の詳しい内容は文末の注釈を参照)。
数学チームとしても、1993年から2002年までで行われた数学競技「マサチューセッツ大学ローウェル校数学チャレンジ(UMass Lowell Math Challenge)」では無敵のチャンピオンの座を守り、由緒ある「ウースター工科大学数学競技(Worcester Polytechnic Institute Mathematics Competition)」では22年の間に首位を逃したのは1回だけです。
数学チームのキャプテンだったユンジョン・リュウは、数学と科学での達成とリーダーシップにおいてマサチューセッツ州でもっとも優れた学生として「大統領奨学生賞(presidential scholar)」を受賞し、2000年にホワイトハウスに招かれています。
レキシントンに二校ある中学校ダイアモンドとクラークも数学競技で有名です。
Intermediate Math League of Eastern Massachusetts(東部マサチューセッツ州中学校数学リーグ)では、ダイアモンド中学が1997年度から2009年度まで連続優勝した後、クラーク中学が2010年から連続で優勝しています。
中学生の数学競技では全米で最も重視される「マスカウンンツ」の全国大会まで勝ち残る生徒も多く、1999年にはダイアモンド中学の生徒が中心になったマサチューセッツ州が優勝しています。
注目すべきなのは、数学チームに属する特殊な生徒たちだけでなく、レキシントン公立学校で学ぶ生徒全員の数学の修得レベルが高いということです。
マサチューセッツ州にはMCASという統一テストがあり、得点のよいほうから「Advanced」「Proficient」「Needs Improvement」「Warning/Failing」の4つのカテゴリーに仕分けされます。Needs ImprovementとWarning/Failingのカテゴリーに属する生徒のほうが多い学校が問題化するいっぽうで、レキシントン公立学校は2011年にボストングローブ紙が「MCASテストで大勝利をおさめたのはレキシントン(Lexington was a big winner in the MCAS results.)」と称賛したのは、レキシントン公立学校では「Advanced」に属する生徒が半数から過半数を占めており、「Failing」に属するのが学習障害がある子どもを含めてもたったの1%だったからです。
小学校5年生の算数では、エスタブルック小学校で「Advanced」に属する成績を得た生徒は全体の73%でした。州の平均は25%ですから、その差がお分かりになるでしょう。
中学を終えるときには「Advanced」に属する生徒が65%(州の平均は23%)になり、高校2年生(最後のMCAS)では86%(州の平均は45%)に向上しています(2011年の結果より)。学校の影響を実感させる結果です。
日本でもおなじみの大学進学適性テストSATの平均点でもレキシントン高校は2012年現在まで5年連続で州のトップです(数学の点数ではその前から州のトップでした)。
入試がない普通の公立学校なのに、なぜこれほど数学に強いのでしょうか。
「優れた数学教育」が先にあったのでしょうか?それとも、その評判に惹かれて「数学の才能がある子」が集まったから数学に強くなったのでしょうか?現時点では、どちらもある程度正しいような気がします。
私よりも前からこの町に住んでいる保護者たちに尋ねても、「卵が先か鶏が先か」という問いのように説得力のある答えは戻ってきません。
でも、最初の卵を生んだニワトリが必ずどこかに存在するはずなのです。
問いかけを繰り返しているうちに、私は2人の数学教師に出会いました。
(つづく)
*注釈:全米数学オリンピック(USAMO)1996年から2002年までの予選通過者の累積数
1位から5位までは、トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson,ヴァージニア州)、イリノイ州立数学科学アカデミー(The Illinois Mathematics and Science Academy、イリノイ州)、ストイフェサント(Stuyvesant High School、ニューヨーク州)、科学技術振興アカデミー(Academy for the Advancement of Science and Technology、ニュージャージー州)、ブレア(Blair,メリーランド州)と、いずれも「マグネットスクール」と呼ばれるもので、7位以降に名前が並ぶのもマグネットスクールか、あるいは名門私立「フィリップス・エグゼター・アカデミー」(Phillips Exeter Academy,ニューハンプシャー州)、「フィリップス・アカデミー」(Phillips Academy, マサチューセッツ州)など。
マグネットスクールとは、ある分野で優れた才能を発揮する子どもを広い地域から集める公立学校(多くは大学や州などとの連携で運営され、政府の助成金を受けている)のことで、大学のように入学選考がある。また、「エグゼター」や「フィリップス」は、裕福な子どもたちがアイビーリーグ名門大学に入学する準備のために全米から集まることで知られている。いずれの学校も数学など特殊な才能がある学生を優先的に受け入れている。
次回は、8章 「数学に強いレキシントン」の謎
*注記
この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。
登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。
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