5章 差別がないコミュニティ作り
レキシントン町の公立小学校には校長、教師、保護者で構成される、偏見や差別がない環境を守るための委員会があります。
名称は統一されておらず、エスタブルック小学校の場合は「反偏見委員会(Anti Bias Committee)」で、メンバーは「ABC」と呼んでいました。ABCの会議をのぞきに行ったのは、ボランティアで知り合った知人から「加わらなくてもいいから、見学においで」と誘われたからです。「見学」に行ったら、あまりにも和気あいあいとした雰囲気で居心地がよく、そのまま居着いてしまったというわけです。
レキシントン公立学校にはアジア系とユダヤ系の生徒が多いのですが、中南米、ヨーロッパ、中近東など全世界から転勤、移住してきた人も多かったのです。私が転入生とその家族を受け入れる委員会の責任者をしていたその前の年にエスタブルック小学校でアンケートを取ったところ、全校生徒約500人の家庭で話されている言語は20を超えていました。
当時のアメリカ合衆国では、中近東出身者に見えるだけで「テロリスト!」と呼ばれて暴力をふるわれたり、殺されたりする事件が続出していました。レキシントン町ではそのような事件はまだ報告されていませんでしたが、同じマサチューセッツ州でアジア系の住民が多いロウエル市では、インド人の学生が「テロリスト!」と呼ばれて暴力を受ける事件も発生していました。
険悪な雰囲気がアメリカ全体に漂っているときには、子どもたちが家でテレビを観たり、家庭での親の発言を聞いたりして中近東出身のクラスメイトを差別したり、いじめたりする可能性もあります。中近東出身者やイスラム教信者の子どもたちが、テレビのニュースを見て肩身の狭い思いをするかもしれません。
子どもがそうならないためには、親の態度が重要です。
私たちは、「まず保護者に、『私たち全員がコミュニティの仲間なのだ』と感じてもらわねばならない」と話し合いました。
そこで出て来たのが、「エスタブルック小学校のコミュニティを固く結ぶ催しを早急に行いましょう」という意見でした。エスタブルック小学校で最も人気があるイベントになった「国際文化遺産ポットラックディナー」は、こうして始まったのです。
発案から実行までたったの2ヶ月という強行軍の指導者を引き受けてくれたのが韓国出身のチューヤン・オーさんです。
他校が既に行っていた「国際ポットラックディナー」に「文化遺産」をつけるよう主張したのはオーさんでした。その理由は、「国際」だけだと、まるで地元出身者は無視しても良い印象になるからです。アメリカは移民が作った国なのですから、全員が何らかの「文化的遺産」を持っているはずです。特にボストン界隈にはアイルランド、イタリアからの移民が多く、家族に代々伝わる秘伝の料理もあるでしょう。
「メイフラワー号で到着した人の子孫にも文化自慢をする機会を与えるべき」というオーさんの意見はもっともなことでした。みんなが作るコミュニティなのですから、みんなが同等に主役になるべきです。
皆が家庭料理を一品持ち寄る「ポットラック」では、体育館の隅に設置した細長いテーブルに世界各地の郷土料理が国旗のような鮮やかさで並びました。共働き夫婦や料理が苦手な親が気軽に参加できるように、買って来たビザでもOKです。蒸したご飯だけ持って来た人もいますが、誰も非難しませんし、注意も払いません。フルタイムで働いている私の友人は、近所のスーパーでクッキーを買ってきました。PTAのボランティアもそうなのですが、この学校では「誰でも気楽に参加できる」ことが最優先なのです。
体育館でみなが夕食を食べている間、玄関近くの廊下では、子供や家族が楽しめる世界各地で生まれたクラフトが紹介されます。日本人家族はさほど多くない地区なのですが、私たち数人が折り紙を教えるテーブルはたぶん最も人気があったのではないかと思います。インドのヘナのインスタント入れ墨も人気があったテーブルです。
エスタブルック小学校の催しは、授業の説明会などをのぞいて乳幼児を含めた家族全員が参加できるものがほとんどでした。それも、学校と家族のコミュニティの絆を強めることに繋がっていたのです。
食事の後はパフォーマンスがあるのでクラフトは店じまいになり、全員が体育館に集まります。そこでは本人たちの希望により文化を代表する音楽や踊りが披露されます。この年は、インド系移民の子供による民族舞踊、アイルランド系のラインダンス、アフリカン・アメリカンのお母さんによるアフリカンダンスのレッスンでした。子どもたちに混じって保護者もステージ前で踊り始める気軽な参加型です。
このポットラックディナーのように、子どもや親が楽しみながらコミュニティの絆を強めてゆく企画ができるのは、すでに学校と保護者が恊働できる環境があるからです。
その環境があるのは、「それぞれの相違と個性を尊重し、共同責任に努め、継続的な向上に全力を注ぐ」というレキシントン町の公立学校の基本的価値観があるからです。
レキシントン公立学校で幼稚園から高校まで一貫して行われている「反人種差別、反偏見教育」はその基本的価値観に沿ったものであり、レキシントン公立学校が重視している基本的な目標のひとつなのです。
幼稚園のときからカリキュラムに組まれたこの教育は、「差別をなくしましょう」などといったしらじらしいメッセージを与えることではありません。実践の義務を伴うものです。
授業、教師のトレーニング、学校ぐるみの「いじめ対策」などいろいろな手段で具体的に「偏見や差別がない学校」を維持することであり、学校関係者の場合には、遂行しなければ責任を追求され、職を失う可能性もあるシビアな使命なのです。
エレン・シルバーマンさんは、かつてはアイビーリーグ大学出身の投資銀行家だったのですが、エスタブルック小学校でPTAの会長をしたことがきっかけで教育に興味を抱き、大学のコースを受け直してレキシントン町のボウマン小学校の教師になりました。新米教師ですが、レキシントン公立学校の表も裏も知り尽くしています。
「小学校1年生には小学校1年生の、5年生には5年生の、その年齢なりの差別やいじめ、からかいの芽があるんですよ」
保護者と教師の両方の立場で子どもを観察し、「いじめ対策」のトレーニングを受けたシルバーマンさんは、教師として配慮する点について次の説明してくれました。
"算数や綴りで自分よりもできない子がいると「そんなのもできないの」と馬鹿にした発言をする子がいます。また、運動や学習のグループが発表されたときにそのメンバーについて大喜びしたり「え〜っ」と嫌がったりするのもよくあることです。
それらの行為を教師が放置すると、「相手の気持ちを傷つける行為だ」と自覚できないし、「やってもいいことだ」と思ってしまいます。ですから、教師は即座にその場で「それは、許されない行動だ」とはっきり伝え、やめさせなければならないのです。"
「重要なのは、小学校1年生でも『自分の行動に責任を持たせる』ということです」とシルバーマンさんは強調します。
「相手は自分を馬鹿にしてはならないけれど、自分は相手を馬鹿にしてよいと考える子供がいます。けれども、そういう行動が見られたら即座にそれを指摘し、責任を取らせます」
問題行動があったら即座に止め、全員を集めて「オープンサークル」で話し合うのです。15分から20分程度の短いディスカッションですが、「そういう行為は許されない」というメッセージを伝えるにはそれで十分なのです。
「自分の行動に責任を持たせる」というのは、「共同責任に努める」というレキシントンの基本理念に準じた指導であり、取材中教育者と教育委員がよく口にしたフレーズでした。2章でお話ししたように、娘の幼稚園と小学校1年生の担任がどちらも「差別やいじめ」を許さなかったのは、レキシントン公立学校に「基本理念」があり、それに基づいて校長や教師が雇用され、具体的な対応ができるように、お金と時間をかけてトレーニングしていたからなのです。
ボウマン小学校の「オープンサークル」のように、エスタブルック小学校は「第三者が虐める側につくか虐められる側につくかで状況が反転する」という研究結果に基づいた「第三者プロジェクト」に学校全体で取り組んでいました。いじめる子に対して第三者が「やめなさいよ」と言うと、いじめはエスカレートしません。それを幼稚園から徹底して教えるというものです。
次の章では、こういった努力が子どもたちにどんな影響を与えているのかをご報告します。
(つづく)
次は、6章 差別や偏見が「かっこわるい」高校
*注記
この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。
登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。
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