1章 私がレキシントン町を選んだ理由
私がウォール街の金融情報会社の東京支社を開設するために来日したアメリカ人の男性と出会ったのは1987年で、彼と結婚したのは1990年でした。私たち二人が住んでいたのはバブル景気最盛期の東京で、「経済で世界を制覇する」という活気に満ちていました。
当時のアメリカ合衆国はそんな日本の経済力に脅威を覚えており、アメリカ人が日本車をハンマーで叩き壊したり、日の丸の国旗を焼いたりする「ジャパンバッシング」のニュースが日本にも伝わってきました。
香港への転勤を経て1995年にアメリカ合衆国に移住することになったとき、私たち夫婦が心配したのが、「ジャパンバッシング」と2歳半になっていた日米ハーフの娘への「差別」でした。
彼女が「それならこの町で決まり」と即答したのが、マサチューセッツ州レキシントン町でした。
日本人には馴染みがないシステムですが、この町の公立学校は、小、中、高が一貫した教育システムとして管理されています。住んでいる地区により6つの小学校(幼稚園から小学校5年生)と2つの中学校(6年生から8年生)に振り分けられ、1校しかない普通高校(9年生から12年生)には入試はありません。住民であれば、固定資産税を払っていない移民(ホームステイは例外)であっても入学できます。
不動産エージェントがくれた資料によると、この町の公立学校は相当優秀なようです。
大学入学選考に使われるSATの平均点を比較すると、レキシントン高校は公立学校では州のトップなのです。入試で優秀な生徒を集めるマグネットスクールや私立高校を含めても、毎年首位を争っています。
(後にスタートした小、中学校での統一テストでもこの町の学校がトップを占めましたし、中学と高校には全米で有名な数学チームがあり、「国際数学オリンピック」の金銀メダル受賞者を生み出しています。科学、コンピューター科学、ディベートのチームも州のトップで、2012年現在までに全国レベルでのコンペティションで優勝者、優勝チームを出しています。)
音楽教育でも知られており、吹奏楽団、オーケストラ、合唱団はマサチューセッツ州では常にトップクラスです。ジャズ部門では音楽学校のバンドを押さえて由緒あるコンペティションで優勝したりするほどです。水泳やクロスカントリー、サッカー、テニスというスポーツでも州の強豪です。
ジャズとテニス、オーケストラと数学チームなど、かけもちで活躍している生徒も多く、演劇をやっているスポーツ選手もいます。
高校生とは思えないレベルの演劇とミュージカルは、子どもがいない町民が娯楽のためにわざわざ観に行くほど人気です。三日連続で公開されるのですが、毎年売り切れになってしまいます。
「入試がない高校なのに、なぜこんなに優秀なのだろうか?」
私は不思議に思いました。
「アメリカでは金持ちが住んでいる町はみなそうなのだ」と思う方もいるでしょう。
確かにマサチューセッツ州では平均収入も住宅も高いほうですが、もっと高収入者が多く、住宅が高い町はいくつもあります。
「アジア系移民とユダヤ系アメリカ人が多いからだ」と決めつける住民もいます。
実際に、私が移住したときから現在までにアジア系移民の数が爆発的に増加したのは「公立学校が優秀だ」という噂がアジア系移民の間で広まったからです。けれども、ボストン周辺には他にもユダヤ系とアジア系が多い町はいくつもあります。
「数学チームが良いと聞いて越して来た」という人にも会いました。「音楽教育が素晴らしいから」という人もいますし、「この高校で演劇をやって、その後イェール大学に行きたい」から別の町から引っ越して来た少年もいました(その子は実際にイェールに入学しました)。
そういった人が集まってくるから、ますます優秀になってゆくのでしょう。
でも、それが理由だとしても、どこかにスタート地点があるのではないでしょうか。ニワトリは卵から生まれたわけですから、どこかの時点で卵を生んだニワトリがいた筈なのです。私は、最初の卵がどうやって生まれたのかをつきとめたいと思いました。
けれども、娘が入学した小学校で出会ったのは、学業面での達成よりもっと不思議な謎だったのです。
(続く)
次は 3章 学業での達成よりも不思議な謎
*注記
この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。
登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。
そういえば、かつての日本も都立高校をはじめとして、公立高校が学校教育の中心を担っていましたね。家庭の経済状態を問わず、生徒が実力さえ持ち合わせていれば質のよい教育を受けられる公教育のシステムこそ、もう一度考慮される価値があるのではないか、と思います。
投稿情報: シュウ | 2012年7 月27日 (金) 07:38