ネットで観察すると、「ほとんどの知識はネットで得られるから本なんて必要ない」と考えている人が増えているようです。確かに、ネットで得られる情報は向上していますし、「新鮮さ」という点では、本はネットにかないません。けれども、ネットで得る情報の問題点は、質の判断が難しいことです。ガセネタを元に偏見に満ちた意見を堂々と述べているものもありますし、それがあたかも 真実のように広まってしまう場合もあります。
まつもとあつし さんは、新刊「スマート読書入門」のなかで、「本とネット情報の違い」を指摘しておられます。
私が特に共感を覚えたのは、東日本大震災直後の人々の対応の差を説明された「デマを拡げてしまう人、デマに動じない人」の部分です。たとえ有名作家や ジャーナリストのブログであっても、編集者というプロの目を通していないものには、ミスや誤認があったりします。また、結論の根拠となる情報の「原典」が明記されていないものも多いようです。本は、その原典も提示してくれるので、原典そのものを知り、読むこともできます。そういった読書に慣れているのが、「デマに動じ ない人」でした。
また、本書が指摘するように、日本人は「原典をたどる」のが苦手なようです。私の住む町の公立学校では、小学校低学年の頃から宿題のレポートを書くときに「原典をたどり、明記する」ことを要求されます。Wikipediaは、アイディアの参考には使ってもよいけれど、根拠となる原典としては使ってはならないことになっています。信頼がおけない情報として扱われているわけですね。
英語の本をKindleでどんどん読んでいる私は、第3章で解説しておられる電子書籍の「自炊」に「そこまでしなければ電子書籍を読めない日本は可哀想」と思いましたが、「スマートフォンを携帯スキャナーにする」というアイディアは早速活用させていただきました。ちょうど、オーディオブックの「Moonwalking with Einstein 」で、「記憶の外部化ができるようになった現代人は、昔のように暗記しなくなった。だからこそ他のことに脳を使えるようになった」といったコンセプトを読んでいた(聴いていた)ところだったので、「なるほど!」と思ったのです。他のことに脳を使うためにも、きちんと記憶をアクセスしやすいように残しておくべきなのですよね。
そこらじゅうにメモしては紛失してしてしまう私は、このあたりを頑張る必要がありそうです。
また、第5章の「読書メモ」や第6章の「ソーシャルリーディング」は、私がブログやツイッターを利用して、洋書ファンの方々と交流してきたことと共通しています(本書でも、いくつかご紹介いただいています)。特に2011年の「これを読まずして年は越せないで賞」のときには、ツイッターが活躍しました。まつもとさんが書いておられるように、これまで出会えなかった本や人に出会う場として、ネットは本当に素晴らしいものです。
これからも、どんどん進化してゆくと思いますが、何よりも、それで読書をする人口が増えてくれれば、これほど嬉しいことはありません。
アリゾナさん、
アリゾナ大学のリンクをありがとうございます。とっても良いオリエンテーションですね!
ツイッターでいろんな方に教えてあげようと思います。アリゾナさんはツイッターアカウントをお持ちですか?
ところで、私の娘が通っていた公立学校システムでは、小学校のときからリサーチペーパーの書き方を習ってきました。wikibediaを使ってはならないことと、その理由は小学校と中学校で耳にタコができるほど習っていたので、高校で疑問に持つ生徒はいなかったようです。Onlineのほうが新しい情報が多いし、今では相当な量のペーパーも読めるようになっていますよね。ですから、私もよく使っています。探したい文献を見つけたり、孫引きにも便利ですよね。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2011年10 月26日 (水) 05:34
ゆかりさん、
高校の図書館でも、Online Databaseのオリエンテーションは、大事な仕事のひとつとなっています。最近は、アリゾナ州立大学のリンクの説明がわかりやすいので、これも取り入れて生徒に説明しています。
http://www.asu.edu/courses/asu101/breeze/library/why/index.htm
生徒のほうも、Databaseを使うのになれるとリサーチペーパーを書くときに資料を探すのがとても便利だといってます。ただ、Wikipedia等を使い慣れてる生徒たちをを説得するのが難しいことが多々あり、なぜ、Online Databaseを使わなきゃならないのか?という苦情もオリエンテーションのあとでよく聞きます。
投稿情報: アリゾナ | 2011年10 月25日 (火) 22:45