親ならだれしも、わが子に他人よりも成功するチャンスを与えたいと思うものである。早期英才教育は、読み書きや音楽、数学などを幼児期に始めることで持って生まれた才能をそれ以上に膨らませることができるという信念に基づいている。
私だって、わが娘には(どんな才能であれ)最大に発揮して欲しいと思うし、そのためには(いかなる、とまではいかないが)ある程度の努力は惜しまないつもりだ。私も早期英才教育というテーマには興味を抱いたが、わが子に対して行いたいとは思わなかった。英語でいうところの私のgut feeling(直感)が、「百害あって一利なし」と強く主張したのである。そんな私も、娘が小学校2年生か3年生くらいのころ、地元(ボストン近郊)の公文教室に1度だけ通わせたことがある。娘と同じ水泳クラブに通っている子の親に「クラブへのcar pool(相乗り)に都合が良いから」と誘われたからなのだが、教室の様子を一度観察しただけで「これはダメだ」と思い、入会費と一月分の月謝を既に納めていたが、即座に辞めた。
これについてはまた別の機会に詳しく説明するが、公文を辞めたおかげで、娘の数学の才能はかえってのびる結果になったと私は信じている。
先週末のボストングローブの日曜版雑誌に私の信念を裏付けするような特集記事が出ていた。「How the push for infant academics may actually be a waste of time - or worse.(乳幼児英才教育を推し進めるのが実際には時間の無駄……というよりも害があるかもしれない理由)」という副題の特集記事は、「早期英才教育を受けた者と受けなかった者の間には、成長後の学問的達成に差はなく、従って時間の無駄である」という主張をさらに一歩進め、「早期英才教育は、その子が持っている潜在的能力の開発をかえって妨げる」という推論を紹介している。
この記事に載っているデータは、私が過去14年間に親としてわが子や周囲の子供たちを観察して得た感覚と一致している。知り合った子供たちのうちには、「gifted child(いわゆる天才児だが、アメリカでの定義は”極めて優秀な子供”程度」も多い。彼らを知ると、giftedは生まれつきのものであり、親やシステムがそれを積極的に殺さない限りは、才能はいずれ花開くようにできていることがわかる。親がどんなに頑張ってもgiftedを作り出すことはできない。これは断言できる。私は幼稚園に行く前から早期英才教育を受けていた子供を何人も知っているが、10年後の現在、そのうち誰ひとりとしてこのgiftedに属す者はいない。それどころか、公文で同級生たちよりもずっと先のレベルに達していたのに高校で数学が理解できず困っている子もいる。
早期英才教育は、(全ての、とは断言しないが)子供のせっかくの生まれつきの才能を殺しているのかもしれないのである。
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