先日、Afro-American Historical and Genealogical Society (AAHGS:アフリカ系アメリカ人歴史・家系協会)の全国大会でボランティアをしてきた。友人がニューイングランド支部の支部長を務めていて、彼女から誘われたのである。
genealogy(家系・血統)の調査は、近年特に合衆国のアフリカ系アメリカ人(黒人)の間で流行っている。他の民族の場合は、たいてい最初にアメリカ大陸に渡ってきた先祖まで容易に遡ることができるのだが、奴隷の歴史がある黒人たちにとって過去は大部分ミステリーである。奴隷解放後の社会経済的混乱が理由のひとつと考えられるが、奴隷から解放されたいきさつやその後の体験を子孫に語り伝えていない者が多いようだ。現在になって、自分がどこから来たのか、祖先はどんな人々だったのか、それを「知りたい」という熱意が高まっている。AAHGSの全国大会に参加したアフリカ系アメリカ人の殆どが、これまで調査した自分の家系図を持ち、「いつか本にする」と語っていたのが印象的だった。
日本に住んでいるときにはまったく知らなかったことだが、独立戦争時に奴隷の多くは英国軍として闘ったのである。その理由は、英国軍が軍隊に参加すれば独立でき、土地も与えると約束したからだった。友人のリオナの祖先の1人は、英国軍として戦い、戦後カナダのノバスコシア州を選んだが、「約束の地」での約束が守られなかったために、大部分はカナダを去ったようである。リオナの祖父は、南下してボストン界隈に移動したが、親戚の一部はアフリカのシエラ・リオーネに移った。こうして、血縁は、カナダ、ボストン、アフリカ、とバラバラの場所に散らばってしまったのである。会場で会ったリオナの従姉妹は、フランス系カナダ人とアメリカインディアンの血が混じっているとのことで、一見しただけでは民族が推測できない。黒人というよりも、白人にインディアンの血が混じっているだけのようにも見える。けれども、彼女は自分を「黒人」として同定している。日本人と白人の混血であるわが娘は、アメリカで育った自分をアジア人とは同定せず、書類では「その他」のカテゴリーを選ぶ。このあたり、アフリカ系アメリカ人の民族に対する強いアイデンティティとの差を感じる。
それにしてもAAHGSの会場でうろちょろしていたアジア人は私ひとり。友人のリオナがすれ違う人全員にいちいち「これは私の友達のユカリ」と説明する必要があるほど目立ってしまった。
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