作者は、しばしば「短編の女王」と称され、ここ数年毎年ノーベル文学賞候補としても取沙汰されるカナダの短編作家アリス・マンローの長女。海を渡ってカナダへ移住してきた母の祖先の話から語り起こして、母の生い立ち、結婚して子供を育てる傍らつぎつぎと珠玉の作品を生み出してきたこれまでの人生を、その娘として生きてきた自らの物語も交えて記しています。
マンローは、文学の世界ではともすると軽く見られがちな短編一筋に書き続けてきた作家です。よく比較される同じカナダの有名作家マーガレット・アトウッドとはまったく異なり、政治、社会、思想などといった「大きな」テーマには見向きもせず、実験的手法を凝らしたりもせず、愚直に、といっていいくらい、自分が生まれ育ったオンタリオのごく普通の人々の生活(とはいえ、それがなべてごく普通か、というと決してそうではなく、そこにはしばしば目を見張るような強烈なドラマが潜んでいるわけですが)を書いてきました(ちなみに、最新刊『TOO MUCH HAPPINESS』の表題作は、珍しくロシアの歴史上初の女性数学者ソフィア・コバレフスカヤの生涯を綴っています。長編を書いてみようか、という発言もどこかのインタビューで耳にしたことがありますし、78歳のマンローは何かの転換点を迎えているのかも?)。マンローの作品を読んでいてよく思うのですが、マンローの世代の女性というのは、かつてなかったほどの大きな「女の暮らしの激変」を生き抜いてきたのではないでしょうか。それまでの女性は、妻/母という役割のなかでそれなりに安穏と生きていけた(もちろん抑圧その他に対するストレスは別として、一応は、という意味です)。母の、祖母の人生をそのままなぞっていけばよかったわけです。ところが「自由」という厄介なものがそんな枠組みを木っ端微塵に打ち砕き、見も知らない荒野で自分で道を探さねばならなくなった。マンローの作品で見られる、そんな荒野を彷徨う女性たちの姿は、この本で描かれるマンロー自身の姿にも重なります。
貧しい家庭で育ち、奨学金を得て大学へ進み、学費が続かず結婚。つぎつぎ子供を産んで育てるなかで、マンローはひたすら短編を書き続けます。パーキンソン病で寝たきりの母を抱える実家をいわば「捨てた」、両親が貧しい生活をおくっているのに自分はこんな豊かな暮らしをしていいのか、という後ろめたさ。近所の主婦たちからお茶に誘われると断れず、貴重な執筆の時間を削られる口惜しさを隠して「普通の主婦」を装ってしまう気弱さ。シャイで繊細で実直なマンローの人柄がくっきりと浮かんできます。やがて初の短編集でGovernor General's Awardを受賞したときの新聞の見出しは『主婦が暇を見つけて書いた短編集』。ちなみに、後に離婚することになる夫は、マンローの作品の最も良き理解者であり、妻の才能を信じ、励まし、支援し続けたそうです。父のためにこれだけは言っておかねば、という勢いで、娘である作者は記していました。この離婚についてもっと書かれているかと、ヤジウマ根性で期待していたのですが、このあたりはじつにあっさり。ま、二人の実の娘としては仕方ないのかもしれません。そうなのです、マンローはその後離婚、再婚をくぐりぬけながら、着々と作家としての業績を重ねていき、カナダにとどまらず世界的な名声を獲得していきます。このあたりからは娘としての作者自身の思い出がかなり入ってきて、興味深いものがあります。ちょうどカウンター・カルチャーの時代に娘たちを育てたマンローの母親ぶりというのは、おそらくこの時代のそこそこ教養のある「ススんだ」母親には共通していたんじゃないかと思いますが、心配しつつも、娘にさまざまな「体験」を煽りたてたりするようなところもあるという、自分の時代からすると夢のような自由を生きる娘たちを眩しく見つめるスタンスであったようです。そしてこの頃から作者は「大作家マンローの娘」という重圧を感じ、劣等感に苦しんだりします。
作家マンローのいわば「生身」の姿が描かれているという面白さ以外のもうひとつの本書の魅力が、マンローの創作の秘密があちこちに散りばめられていること。短編の素材となった実際の出来事が記され、それをマンローがどのように膨らませていったかが語られます。リストを作って、紹介されている作品をもう一度読み直すと面白いだろうな、と思いつつ、まだ実行していません。マンローのファンなら必読。マンローを知らない方でも、激変の時代を作家として生きた女性の伝記として面白く読めるのでは。もしもマンローがノーベル文学賞を受賞したら、ぜひ本書を思い出して読んでみてください。
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