■無人島本間違いなしの忘れられない1冊!
●導入部の自己流あらすじ 第一次世界大戦前夜の1913年、4歳の少女がオーストラリアのとある港に下船する。しかし、付き添いはおろか迎えの影さえない。夕暮れ迫る埠頭、小さなスーツケースに腰かけ一人途方に暮れる少女。
見かねた港湾部長のヒューが連れ帰るが、少女は記憶喪失で名前さえ名乗れない。スーツケースの中身は衣類、女流作家の手になる1冊の童話集などで、身元の手がかりになりそうなものはない。
各方面に照会するが望ましい返事は返ってこない。そして、ネルと名付けられた少女は、ある罪深い事情からそのままヒュー夫妻に育てられることになる。
17年後の1930年、ネル21歳の誕生パーティの席上、ネルはよかれと信じた父から出自の秘密をささやかれる。その途端、ネルのアイデンティティーは崩壊し、以後、彼女は人が変わったようになってしまう。
さらに時が流れ2005年、臨終の床にある95歳のネル。孫娘のカサンドラが看取るなか、ネルは意味不明の譫言を残して亡くなる。「あの人が、女流作家が待つように言ったの……」。
祖母の死後、カサンドラはネルの妹たちから姉は私たちとは血のつながりのない他人で、じつは戸籍すらないと明かされる。また、弁護士からカサンドラは祖母から遺産として英国のコテージを相続したことを知らされる。
弁護士に英国行きを進められるが、カサンドラは気が進まない。しかし、彼の一言に耳がそばだつ。コテージの立つ地所の元々の持ち主は画家のナサニエル・ウォーカーだという。彼の挿絵はカサンドラのお気に入りだ。そして、それは10歳のとき、母親からネルの許に置き去りにされたあの日、祖母の寝室でこっそり読んだ童話集の挿絵画家ではなかったか。
祖母の遺した小さなスーツケースをあらためているうちに、カサンドラはネルの書いたメモを発見する。祖母は自分の出自がもう少しで明らかになりそうなこと、また、英国への移住を決意していたことを知る。そんな大事な計画を、なぜ祖母は断念したのか。そこで、カサンドラは思い当たる。計画を実行に移す直前、祖母は母から私を押しつけられたのではなかったか? 私のために、私のせいで、祖母は計画をあきらめた?
こうしてカサンドラは、ネルの遺志を継いで彼女の出自を探るべく英国行きを決意する。それはマウントラチェット家の忌まわしい秘密を明かす旅でもあり、カサンドラ自身の再生の旅でもあった。
●読者をリーダーズ・ハイ状態へと誘う語りのテクニック 以上が導入部で、すでに112ページ(Pan Booksのpaberback版)。全体はなんと625ページもあって、正直、厚いです。本が届いた時、予想外の厚さに思わずひるんだほど(背の幅約39mm)。果たして読み終えられるだろうか? 不安におびえながら読み始めたのでしたが……。
印象的なオープニング、小気味よい場面転換、各章の有機的なつながり、効果的に反復されるキーワードといった巧みな語り口に乗せられ、ネルに戸籍がないわけを知った頃には、早くも本書に引きずり込まれていました。しかし、それはほんの序の口に過ぎなかったのです。
洋書読みなら、一度ならず覚えがあるのではないでしょうか? ツボにハマるというか興が乗るというか、読んでいる本の世界の虜になると、あ~ら不思議、未知の単語もなんのその、意味がどんどん類推できて、読む速度も一挙にスピードアップ、なぜか読解力が急に高まるリーダーズ・ハイ状態! たちまち、その状態へと突入していったのです。
それはひとえに構成の妙と語り口のうまさゆえでしょう。導入部以降は、謎の女流作家にまつわる物語(1900~1913年)、ネルの英国での探索行(1975年)、カサンドラの追跡調査(2005年)の三つのストーリーからなるのですが、それらが交互に語られて進みます。その結果、時の隔たりを感じさせず、すべての出来事が現在形のようにいきいきと繰り広げられます。
さらに、ある時点から年代こそ違え、舞台が完全に重なり、過去が現在にも影を投げかけていることがわかってきます。そして、同じ人物や同じものが時代を変えて繰り返し登場します。その結果、あの林檎の木はあの時の林檎の木かとか、彼はあの時の少年だったのかといったように、読者が自ずと思い至る仕掛けになっているのです。この手法はじつに見事です。しかも、謎は明かされると同時に、新たな謎が生まれます。しかし、作者はその謎をもったいぶらず適度な間を置いて解き明かしてくれるというか、読者に気づかせます。こうなるともうページを繰る手は止まりません。
そうして、夢中になりながらエピローグにたどり着いた読者は、ネルの悲劇は単なる事故や過ちなどではなく、人間の織りなす思いや感情のもつれから紡がれた壮大な因果の結果、避けられない必然であったことを思い知らされるのです。そして、本書に挿入された童話の意味にもはたと思い至って、またしても作者の巧緻に舌を巻くことでしょう。そうしたら、ぜひ、もう一度、エピローグの文章を読み直してみてください。作者のネルに対する思いに心打たれずにはおれないはずです。個人的には、読後、これほど深い余韻に包まれた小説は久しぶりでした。
●読後も副作用が 本書の文章はイメージを喚起しやすく、読後半年近く経った今でもいろいろな場面が思い浮かびます。しかもまるで、この映画の予告編を目にしたかのように、ありありと。本書は本国(オーストラリア)はもとより英米でも好評なようですから、映画化の可能性も高そうです。願わくば、BBCで8時間くらいの連続テレビドラマ化を! というのも、舞台は英国の古いお屋敷、いわく十分の複雑な迷路、四方を壁で囲まれた秘密の花園、崖の上に立つコテージと、まさにBBCにおあつらえ向きだからです。
作者も女性、描かれるのも世代を超えた3人の女性の生き方と女性向け要素が濃い本書ですが、壮大な謎解き、圧倒的な物語の面白さ、それを支える構成や語りの妙など文芸ミステリーとしても極上、小説好きになら老若男女誰にでも自信をもっておすすめできます。
この応援文を書くに当たり、ひろい読みしていたら急に再読したくなって、実際読み始めてしまいました。すると、初読の際に読み飛ばしていた細部にまで作者の神経が行き届いているのにすぐに気づかされました。本書のさりげない、それでいて読者を駆り立てずにはおかない語りの技巧を堪能するには、再読必須かも知れません。個人的には、これからも折に触れて読み返すでしょうし、無人島へも必ず持っていきます。
長々と駄文を弄してしまいましたが、この読者をして思わず熱く語らせてしまうところこそ、何にもまして本書の魅力の証しではないでしょうか? なにしろ、希代の読書家かつ読み巧者のわれらが渡辺由佳里さんも「この本がどれほど好きかをちゃんと説明するにはわが家にご招待してお茶ではなくモルトウィスキーあたりをかかえて一晩中お話するしかない……」とおっしゃっているくらいです。そう、読んだら語らずにはいられなくなってしまう本なのです。一晩中語り合いたくなってしまう本なのです。本書こそまさに記念すべき第一回「これを読まずして年を越せないで」賞にふさわしい傑作だと思います。
●導入部の自己流あらすじ 第一次世界大戦前夜の1913年、4歳の少女がオーストラリアのとある港に下船する。しかし、付き添いはおろか迎えの影さえない。夕暮れ迫る埠頭、小さなスーツケースに腰かけ一人途方に暮れる少女。
見かねた港湾部長のヒューが連れ帰るが、少女は記憶喪失で名前さえ名乗れない。スーツケースの中身は衣類、女流作家の手になる1冊の童話集などで、身元の手がかりになりそうなものはない。
各方面に照会するが望ましい返事は返ってこない。そして、ネルと名付けられた少女は、ある罪深い事情からそのままヒュー夫妻に育てられることになる。
17年後の1930年、ネル21歳の誕生パーティの席上、ネルはよかれと信じた父から出自の秘密をささやかれる。その途端、ネルのアイデンティティーは崩壊し、以後、彼女は人が変わったようになってしまう。
さらに時が流れ2005年、臨終の床にある95歳のネル。孫娘のカサンドラが看取るなか、ネルは意味不明の譫言を残して亡くなる。「あの人が、女流作家が待つように言ったの……」。
祖母の死後、カサンドラはネルの妹たちから姉は私たちとは血のつながりのない他人で、じつは戸籍すらないと明かされる。また、弁護士からカサンドラは祖母から遺産として英国のコテージを相続したことを知らされる。
弁護士に英国行きを進められるが、カサンドラは気が進まない。しかし、彼の一言に耳がそばだつ。コテージの立つ地所の元々の持ち主は画家のナサニエル・ウォーカーだという。彼の挿絵はカサンドラのお気に入りだ。そして、それは10歳のとき、母親からネルの許に置き去りにされたあの日、祖母の寝室でこっそり読んだ童話集の挿絵画家ではなかったか。
祖母の遺した小さなスーツケースをあらためているうちに、カサンドラはネルの書いたメモを発見する。祖母は自分の出自がもう少しで明らかになりそうなこと、また、英国への移住を決意していたことを知る。そんな大事な計画を、なぜ祖母は断念したのか。そこで、カサンドラは思い当たる。計画を実行に移す直前、祖母は母から私を押しつけられたのではなかったか? 私のために、私のせいで、祖母は計画をあきらめた?
こうしてカサンドラは、ネルの遺志を継いで彼女の出自を探るべく英国行きを決意する。それはマウントラチェット家の忌まわしい秘密を明かす旅でもあり、カサンドラ自身の再生の旅でもあった。
●読者をリーダーズ・ハイ状態へと誘う語りのテクニック 以上が導入部で、すでに112ページ(Pan Booksのpaberback版)。全体はなんと625ページもあって、正直、厚いです。本が届いた時、予想外の厚さに思わずひるんだほど(背の幅約39mm)。果たして読み終えられるだろうか? 不安におびえながら読み始めたのでしたが……。
印象的なオープニング、小気味よい場面転換、各章の有機的なつながり、効果的に反復されるキーワードといった巧みな語り口に乗せられ、ネルに戸籍がないわけを知った頃には、早くも本書に引きずり込まれていました。しかし、それはほんの序の口に過ぎなかったのです。
洋書読みなら、一度ならず覚えがあるのではないでしょうか? ツボにハマるというか興が乗るというか、読んでいる本の世界の虜になると、あ~ら不思議、未知の単語もなんのその、意味がどんどん類推できて、読む速度も一挙にスピードアップ、なぜか読解力が急に高まるリーダーズ・ハイ状態! たちまち、その状態へと突入していったのです。
それはひとえに構成の妙と語り口のうまさゆえでしょう。導入部以降は、謎の女流作家にまつわる物語(1900~1913年)、ネルの英国での探索行(1975年)、カサンドラの追跡調査(2005年)の三つのストーリーからなるのですが、それらが交互に語られて進みます。その結果、時の隔たりを感じさせず、すべての出来事が現在形のようにいきいきと繰り広げられます。
さらに、ある時点から年代こそ違え、舞台が完全に重なり、過去が現在にも影を投げかけていることがわかってきます。そして、同じ人物や同じものが時代を変えて繰り返し登場します。その結果、あの林檎の木はあの時の林檎の木かとか、彼はあの時の少年だったのかといったように、読者が自ずと思い至る仕掛けになっているのです。この手法はじつに見事です。しかも、謎は明かされると同時に、新たな謎が生まれます。しかし、作者はその謎をもったいぶらず適度な間を置いて解き明かしてくれるというか、読者に気づかせます。こうなるともうページを繰る手は止まりません。
そうして、夢中になりながらエピローグにたどり着いた読者は、ネルの悲劇は単なる事故や過ちなどではなく、人間の織りなす思いや感情のもつれから紡がれた壮大な因果の結果、避けられない必然であったことを思い知らされるのです。そして、本書に挿入された童話の意味にもはたと思い至って、またしても作者の巧緻に舌を巻くことでしょう。そうしたら、ぜひ、もう一度、エピローグの文章を読み直してみてください。作者のネルに対する思いに心打たれずにはおれないはずです。個人的には、読後、これほど深い余韻に包まれた小説は久しぶりでした。
●読後も副作用が 本書の文章はイメージを喚起しやすく、読後半年近く経った今でもいろいろな場面が思い浮かびます。しかもまるで、この映画の予告編を目にしたかのように、ありありと。本書は本国(オーストラリア)はもとより英米でも好評なようですから、映画化の可能性も高そうです。願わくば、BBCで8時間くらいの連続テレビドラマ化を! というのも、舞台は英国の古いお屋敷、いわく十分の複雑な迷路、四方を壁で囲まれた秘密の花園、崖の上に立つコテージと、まさにBBCにおあつらえ向きだからです。
作者も女性、描かれるのも世代を超えた3人の女性の生き方と女性向け要素が濃い本書ですが、壮大な謎解き、圧倒的な物語の面白さ、それを支える構成や語りの妙など文芸ミステリーとしても極上、小説好きになら老若男女誰にでも自信をもっておすすめできます。
この応援文を書くに当たり、ひろい読みしていたら急に再読したくなって、実際読み始めてしまいました。すると、初読の際に読み飛ばしていた細部にまで作者の神経が行き届いているのにすぐに気づかされました。本書のさりげない、それでいて読者を駆り立てずにはおかない語りの技巧を堪能するには、再読必須かも知れません。個人的には、これからも折に触れて読み返すでしょうし、無人島へも必ず持っていきます。
長々と駄文を弄してしまいましたが、この読者をして思わず熱く語らせてしまうところこそ、何にもまして本書の魅力の証しではないでしょうか? なにしろ、希代の読書家かつ読み巧者のわれらが渡辺由佳里さんも「この本がどれほど好きかをちゃんと説明するにはわが家にご招待してお茶ではなくモルトウィスキーあたりをかかえて一晩中お話するしかない……」とおっしゃっているくらいです。そう、読んだら語らずにはいられなくなってしまう本なのです。一晩中語り合いたくなってしまう本なのです。本書こそまさに記念すべき第一回「これを読まずして年を越せないで」賞にふさわしい傑作だと思います。
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