アメリカ在住の私が元参議院議員の田村耕太郎さんの存在を知ったのはツイッター上のことだった(ツイッターではよく「タムコーさん」と呼ばれている)。
私はブログ「洋書ファンクラブ」で洋書を紹介しているし(今年は『ジャンル別 洋書ベスト500』という本も上梓したし)毎日ジョギングやクロストレーニングは欠かさない。トレッドミルで走りながら読書をするために初代キンドルを購入したくらいの人だ。だから、『世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか? 』という本を書き、若者たちに「英語を勉強しよう!」、「世界に出てゆこう!」、「身体を鍛え、読書をしよう!」とツイッターで呼びかける田村さんに共感を覚えた。ツイッター友達に紹介していただいたところ、想像以上に気さくでポジティブな方だった。
その田村さんが 『野蛮人の読書術』という読書に関する新刊を上梓された(情報公開:私も47ページでちょっと紹介していただいている)。
田村さんは、「はじめに」の冒頭にこう書いておられる。
私が伝えたいメッセージは、「読書こそが、激動の現代を"自由に生き抜く術”を身につけるための、最良にして最短の道である」というものだ。
以前、ご紹介した佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』にも書かれていたが、「ハイパーコネクティッド化(田村さんの表現)」し、「レイヤー化(佐々木さんの表現)」したこれからの世界は、今までの私たちが馴染んだものとは異なるものになる。しかも、変化のスピードは加速している。
私と同年代かそれ以上の年寄りは「日本はガラパゴスでいい」と頑固に抵抗していても損はしないかもしれないが、これから何十年も生きなければならない若者はそういうわけにはゆかない。ひとりひとりが、世界と複雑に繋がった日本で「生き抜く術」を考えなければならないのである。
田村さんや佐々木さんにこの「危機感」が見えるのは、海外に飛び出して現状を見ているだけではない。読書で知識を蓄積しているからである。同じものを見ていても、知識があるのとないのとでは、見えるものが異なるのである。
田村さんも本書で指摘しておられるが、アメリカの優良大学(アイビーリークという意味ではない。ランキングも使うデータで結果が異なるのでそのまま信じないほうがいいが、リベラルアーツ大学のランキングも同様に、トップ100程度は優良大学とみなしていただきたい)では、相当量の本を読まねばならない。本書にも登場する寺田悠馬さんが卒業したコロンビア大学(この場合、Columbia UniversityのうちColumbia Collegeだけを指す)では、「コアカリキュラム」というものがあり、専攻にかかわらず全員がContemporary Civilization, Literature, Humanities, University Writing, Art Humanities, Music Humanities, Frontiers of Scienceを勉強しなければならないのである。つまり、物理学を専攻する者も現代文明、文学、音楽、アートを学ばねばならず、文学を専攻する者も基本的な科学を学ばねばならない。
コロンビア大学は、その目的を次のように説明している。
The habits of mind developed in the Core cultivate a critical and creative intellectual capacity that students employ long after college, in the pursuit and the fulfillment of meaningful lives.(コアカリキュラムによって培われた知の習慣は、学生が、有意義な人生を追求し、実現するために卒業後も長期にわたって活用できるクリティカルかつ創造的な知的能力を培う。)
私の娘がコロンビア大学を選んだ理由のひとつが、「クリティカルかつ創造的な知的能力を培う」コア・カリキュラムだった。
そのコア・カリキュラムの重要な部分が読書である。合格した者がプレゼントとして受け取るのは『Iliad(ホメロスのイリアス)』で、20世紀初頭からすべてのコロンビア大学生が読んできた本のひとつだ。そのほか、本書で寺田さんが語るように、プラトンの『国家』、フロイトの『文明への不満』、ウルフの『灯台へ』などを読み、ディスカッションしなければならない。
ふだん自分では選ばない類の本を短期間で集中して読み、ディスカッションし、エッセイを書くことで、これまでになかった能力が身につく。特にアメリカでは、どの専門職でも大量の書物や書類を読まねばならず、論文を書いたり、プレゼンテーションや講演をしなければならない。短期間で読書し、内容を把握し、アウトプットする知的訓練を大学時代にすることで、卒業後の仕事の内容やスピードに差が出てくるのは当然のことだろう。人生の楽しみ方にも差が出てくる。他の人が「辛い」と思う作業が「興味深い」、「楽しい」に変わるからである。
私は娘からコア・カリキュラムの素晴らしさを何度も聞かされ、「私もそういう大学に行ってみたかった」と羨ましく思った。私は親の反対にあい、自分で働いてお金を貯めてイギリスに語学留学し、それで「勘当だ」と言われた人なのだ。知の習慣をつけるために留学させてもらえるような恵まれた子供時代は送っていない。だが、若い頃に機会がなかったことを嘆いても仕方がない。親から機会を与えてもらえなかったなら、自分で自分に機会を与えてやればいいのだ。
それが「読書」である。
特に英語での読書をおすすめする理由は、1)日本語に訳されていない本を読める、2)出版されたときに世界の人々と同時に読める、3)海外の人々と本を通じて繋がることができる、4)世界で何が起こっているのかを把握することができる、5)他人の受け売りではなく、自分で結論を導き出して戦略を立てることができる、からである。
田村耕太郎さんのひたすら前向きな発言は、「グローバル」とか「エリート」というバズワードと重なったときに、シニカルなインテリ層の苦笑を買うことがある。私は「エリート」とは無関係の経歴だし、ときおりアンチ・エリート的な発言もする。「グローバル人材」という表現も誤解を呼ぶのでなるべく避けたいと思っている。だが、田村さんがバズワードを使って若者に伝えようとしていることには大いに賛同するし、彼の底なしのポジティブさも尊敬している。揶揄や中傷は無視するが、正当な異論や批判には耳を傾け、意見を修正する彼の柔軟さに気づいているからだ。こういう「ナチュラルに朗らか」の背後には、必ずといっていいほど他人には見えない決意と努力がある。私が田村さんを根本的に尊敬するのはそういう部分である。
閉塞感、羨望、劣等感でシニカルな態度を取っていても、人生は良くならない。不満や不平を抱いている暇があったら、外に出て真剣勝負してみたほうがいい。ワクワクするだけでなく、怖い思いもするだろうが、それでもずっと面白い人生を生きることはできる。少なくとも、死ぬときに「やりたいことをやっておけばよかった」と後悔することだけはない。
周囲の大人や大学が教えてくれない部分は、読書で得ようではないか。
田村さんは自分のことを「野蛮人」と謙遜しておられるが、野蛮人でも、私のような田舎者でも、読書によって同じ情報を得ることができる。ネットでの映像を使った教育が注目されているが、それだけではダメだ。多少苦労して本を読まねば、自分でエッセンスを把握する能力は鍛えられない。
田村さんの『野蛮人の読書術』には、いろいろな読書家が登場するが、彼らの読書術とおすすめの本も刺激になる。他人より多くの本を読んでいることを自負している私でも、他の読書家のアプローチは参考になったし、「ああ、これも読まねば」と思う本がいくつもあった。
何よりも「読もう」、「読まねば」という動機を与えてくれるのが好ましい良書である。高校生、大学生への贈り物にもおすすめ。
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