海外を旅行中の日本人が襲われるたびに、その地の危険さを強調する意見や、そんな場所に行った被害者の「安易な判断」への批判がネットにあふれる。
「アメリカは銃で撃たれるから危険だ」と信じている人もいる。
それらの過剰な反応を目にするたびに「では日本にいれば犯罪にあわないのか?」と尋ねたくなる。「通り魔」という単語があるくらいだから、歩いているときにいきなり刃物で刺されたりする事件はあるのだ。
京都の寮に住んでいたとき、4階の窓を開けて寝ていた女性が侵入者に襲われた事件があった(ベランダもない平らな壁なのだから、ここから入って来る者がいるとは彼女も想像しなかっただろう)。近所の家に雷が落ちて半焼したこともある。ごく稀だが、隕石が落ちて来る可能性だって否定はできない。
義母は、落とした刺繍の針を拾おうとして椅子から落ちて骨盤を骨折した。
このように、リスクをゼロにすることは不可能なのだ。
だが、危険に怯えて生きるのは馬鹿げている。
娘がニューヨークの大学に進学をしたいと言ったときに、「だって、危ないじゃない!」という(よくある)母親的な反応をした私を夫はこう諭した。
「田舎であろうが、都会であろうが、一人暮らしの若い女性への危険は存在する。親がその危険からずっと守ってやることは不可能なのだから、危険をいかに回避するのか、危険に遭遇したときにどう対応するのか、それを教えてやることのほうが重要だ」と、護身クラスを受けることを大学進学の条件にしたのである。
危険を怖れていたら、何もできないまま一生を終えることになってしまう。
それよりも、リスクをきちんと把握したうえで、自分が対応できる範囲内の冒険を楽しもうではないか。
海外に旅行するのであれば、事前にその地の文化風習について情報収集し、リスクを予測し、服装や言動に留意するのは当然のことである。
情報に基づいて予測できるリスクのことを英語で"calculated risk"と言う。情報や準備なしに危険な試みをするのはfoolhardy(無謀)であり、本当にfool(愚か)なことであるが、情報を得たうえで「こういうことも起こりえるだろう」とリスクを計算して、それを避ける方法や、起こったときの対処の方法を事前に考えておくことは、かえって安全性を高めるのである。
対応方法の一部として、次の記事をどうぞ。
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