子どもに読ませる本についての熱い討論が交わされています。話し合うのは良いことだと思うのですが、重要な視点がすっかり抜け落ちているような気がしてなりません。
あの〜。児童書を読むのは、児童なのではありませんか?
本の「適正年齢」を語るときには、「私が子どもの頃には...」ではなく、実際の2歳児、5歳児、8歳児というユーザーの視点になっていただきたい。彼らの目から、どんな本が楽しくて、もっと読みたくて、ハッピーになるのかということ。
仮想の子どもじゃありませんよ、いま2歳、5歳、8歳の子どもです。
彼らと一緒に過ごし、一緒に本を読み、いろんな本への反応を1度ではなく、何ヶ月、何年にもわたって継続的にやってみるということです。
やってみると、「え〜っ、私が5歳の頃もこんなだったの?」と驚きますよ。
娘が16歳のときにプールの指導員をしたときに同じような反応をしていました。
記憶の中の自分って、実際の自分よりもずっと「大人」なんです。
でも、その年齢でしかできない独自の発想があり、それが貴重なんです。真剣に話を聞くと、「おおお!なるほど、そう思うのか!」と感動を覚えます。
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もちろん、実際の児童と触れる機会がない人が、即座に体験することは不可能です。
できない人は、「自分には実際の子どもを代弁できない」ことを認めてから、次をお読みください。
私は、どんな本でも「禁書」にするような対策には反対です。
そういうアプローチではなく、「個人差がある」ということを前提に平均的な子どもの脳の発達、情緒の発達に適したレーティングをし、その「適正年齢」の範囲で子どもが自分で選べるような情報を与えて自由に本を選ばせ、適正年齢以上の本を読みたい子には、親、教師、図書館司書などが「これはちょっと怖い場面があるけれど、いい?」と子どもに選択のための詳しい情報を与えて指導するというものです。
アメリカでは、バイオレンスや性的描写が強い成人向けの本は小中学校には置いてありません。
公の場でうっかり観てしまうようなこともありません。
都市近郊のある程度の規模の公立図書館では成人向けの本と児童書の部屋は別になっています。児童書の部屋では、子どもは自由に選べます。高校生以上のヤングアダルトは、大人の書籍が陳列されている場所にあることが多く、高校生以上になると成人向けの本でも自由に選んだり、借りたりしています。
これはアメリカで一般的に行われていることですし、私が過去20年以上、現存の子どもたちを相手にやってきたことです。
少なくとも、これまで接した何十人の子どもという「ユーザー」には喜ばれてきたことですが、いかがでしょうか?
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