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2013年8 月18日 (日)

コメント

あだっちゃん さん、

暖かいコメントありがとうございます。

こういうことを書くと、誤解して誹謗中傷を書く人がいる(実際にtogetterのほうに多い)と分かっていたので、躊躇したのは事実です。

でも、私のように感じていて、でも誹謗中傷が怖くて黙っている人もいると思って書きました。

私は表現の自由は信じています。

でも、日本では「観ないことを選ぶ自由、押し付けられない自由」が無視されています。

私は、子ども時代にそれがとっても嫌だったのです。

ですから、子ども時代に「大人になったら、こういうことはしない」と決めたことを、親になってからしっかりと実現してゆこうとしました。

差別や戦争について紹介するなと言っているのではなく、その年齢で理解できるレベルのことを、少しずつ紹介し、大人がそれをフォローしてゆき、最終的に何でも読めて、理解でき、しかも同情するだけでなく、行動できる大人に育ててゆくというのが、私たち大人の役割だと思います。

昔の人は、泳げない5歳の子を海に放り込んで泳ぎを学ばせたりしたのですが、それをするよりも、次第に水に慣らして行ったほうが、子どもは幸せに泳ぎを覚えることができる。

そう言っているのに、「子どもは海に飛び込む権利がある。子どもをバカにするな」という反応をする日本人が多いのは、やはり教育のどこかに問題があるのでしょうね。

問題の深さに、考え込んでしまいます。

@a334さま

真摯なご意見、ありがとうございます。

ご紹介いただいた差別についての実験授業ですが、私の娘が通ったアメリカマサチューセッツ州の小学校で1960年代に行ったものです。ハーバード大学との提携で斬新な教育を行う公立学校だったのですが、この「よかれ」と思って行った実験は、後に「机上の空論」であり、差別を助長するものであることが明らかになり、とりやめになりました。

またそれが別のところで行われていることと、良いこととして捉えられていることにショックを受けました。

どうすれば差別のない環境ができるのか、そして、小学校で紹介する書物についても、ぜひ私の連載『住民が手作りする公教育』をお読みください。

そうすれば、多くの誤解が解けると思います。

私は書物を学校の本棚から取り去るよう呼びかけているのではありません。

実は、逆のために闘ってきた人間です。

ここで語りたいのは、どんなテーマであれ、子どもの年齢に応じたマテリアルがある。全員が読める作品もあれば、情緒が発達していないときに読ませると、良い作品として捉えられるより、心の傷になるものもあるということを分かっていただきたいということです。

そういった癖のある作品を、「よい作品だから」と小学校1年生から上級生まで全員鑑賞させるような学校が存在すること、または無自覚な大人が与えることがあるので、子どもの立場から考えていただきたかったのです。

「子どもをばかにしている」と憤っている人もいるようですが、それは違います。
むしろ、子どもと身近に接して、読書指導をしてきた(現在でもしている)体験があるから、彼らが、その年齢なりに素晴らしい発想をすることを知っています。

でも、幼い子ども時代には、その時代だからこそできること、やっておきたいことがあります。

それは、多くの心理学者が語るように、安心できる環境で心おきなく遊ぶことです。

電車の中吊り広告のグラビアで女性が商品として扱われているのが子どもにも見えるような日本の環境では、感覚が鈍りすぎていると思います。

しつこいようですが、誤解している方が多いと思いますので、ぜひ『住民が手作りする公教育』をお読みください。

はじめまして<(_ _)>
ブログは大変興味深くいろんなことを考えさせられます。
まだまだうんうん考え中なのですが、以前テレビで見た差別の話を思い出しました。要約だけみたいですがURLを貼っておきます。
「特別授業 差別を知る カナダ ある小学校の試み」
http://www.nhk.or.jp/jp-prize/2007/prize_gp.html
その子どもにとって善い人生のための教育とは…
そんな哲学を問われてるような気がします。

記事を読ませていただきました。
この話題がニュースにのぼってからなんともいえない気持ちを抱えていたのですが、この記事を拝読して本当にホッとした気持ちになりました。

子どもの時代は、後から取り戻しようがないくらいに大切な時間。それなのに早く早くと何でも教えたり、与えたり。それで傷つき力を失ってしまう子どもたちが少なくないと感じています。

安心をベースに、楽しんだり驚いたり。興味を全開にして世界と関わっていく子ども時代を存分に味わって子どもたちが自分の力をしっかり育ててから難しい問題や辛い問題に向き合っていく、それでいいのではないかと思っています。

何が一番子どもにとっていいことなのか判断することは難しいですが、先生のようなお考えを持たれている方がいらっしゃるという事にとても心強い思いがしました。

ABCさん

ご自分の体験を踏まえ、熟慮されたうえの誠実なご意見、ありがとうございます。

私も多くの部分で深く共感を覚え、うなずきました。

今日他の方ともツイッターで語り合ったのですが、子どもの年齢と精神的な成長にあわせて段階的に戦争やヒューマニズムについて考えさせる本や映像が沢山あります。

そのために、トラウマを与えずして、徐々に社会正義や平和について考えさせてゆくことができるわけですが、日本にはそのマテリアルが足りないのです。だから幼い子には不向きの「はだしのゲン」に過剰な期待を寄せてしまうという構造があるのではないか、という見方です。

たとえば次のようなそれぞれの年齢に適した本をブログや『洋書ベスト500』でご紹介していますが、各年齢できちんと理解できるような本が日本でも増えてゆくといいですね。

http://watanabeyukari.weblogs.jp/yousho/2013/04/bestfriendforever.html

http://watanabeyukari.weblogs.jp/yousho/2013/03/bomb.html

http://watanabeyukari.weblogs.jp/yousho/2012/02/between-shades-of-gray.html

http://watanabeyukari.weblogs.jp/youshojr/2011/01/book-thief.html

 子供の「見たい」と思う権利、「見たくない」と思う権利、双方に同意します。つまり小学校の図書館で親の同意なく読めるような形であってほしいと思いますが、不特定多数の子に実質的に強制閲覧させるのは間違っていると思います。

 私は小学校中学年くらいのときにはだしのゲンを読みました。そのタイミングは私にとっては丁度良かったようで、戦争の怖さを十分に感じた上にトラウマも残りませんでした。

 一方大人になってから、ある殺人動画を目にしました。暫く年月が過ぎた後も消化しきれず「世の中には知らなければならない惨禍があるが、その上でもなお知らない方が良い物事がある」と結論付けました。
 それから時間を置かず、その殺人動画が一般の人にも目に付きやすい場所に出回ります。いわゆる「まとめサイト」です。そこで私は「これは拡散してはいけない」と主張しましたが、反論されました。
 「人は、戦争や悲惨な事件があることを知っておく必要がある。流血に耐えられないようでは目の前で人が倒れたとき助けることもできないだろう。また世の中にはこの様な動画を見たい人がいる。あなたはその人の権利を侵害している」という意見です。私は
 「流血と殺人では程度が違うし、人の痛みを知るということと、人の痛みに鈍感になることは違う。見たい人は自分で探す、見たくない人が不意に目にしてしまう場所に載せるのはやはり間違っている」
 と、反論したものの、現実問題として子供の探究心の前にはフィルタリングなど無力ですし、結局その時点で是か非かの迷いは無くせず、考えるのを止めました。

    **********

 しかし今回のはだしのゲンの件で、再び自身の葛藤について考えてみました。私は、悲惨ではあるがゲンを自分で見ることが出来て良かったと思っている、しかし見せない方が良い悲惨さもあると考えている…。双方の意見の良いとこ取りをしながら悩みました。

・ゲンには戦争の悲惨さ以外にも人間としての成長過程を学べたこと等メリットがデメリットを上回ったので『可』
・殺人動画はグロテスクさに慣れるなどというメリットは心的トラウマを負うデメリットを上回るものではないので『否』
・はだしのゲンは日本人の強烈な戦争忌避思考の一助となっており「心のトラウマ」で「直接の死の危険(戦争)」を回避できるなら少しのトラウマは仕方ないのではないか。
・しかしこの戦争忌避思考を「平和ボケ」「かえって戦争の確立を増す」と捉える人もいる。仮にそうだった場合トラウマを負うだけ無駄ではないだろうか。
・何より「少しのトラウマ」ではなく「大きなトラウマ」を負う可能性も。

そして文頭の結論になり
・私がゲンを消化できたのは「自分で読みたいと思った」から。そして読みたいと思った時に自分で手に取れた環境に感謝している(親に頼まなければ読めないのならおそらく読んでいない)。
・消化できる時期に来ているならばトラウマを負う可能性は少ない。
・しかし子供にその判断は難しい(見たくないが、閉じれず最後まで見てしまう場合もある)
・少なくとも、どの程度まで消化できるか分からない子供に学校で一斉に見せるのはダメ。
となりました。

 副次的な理由としては
・(教科書ではなくマンガであり読みやすいという点から)小学生に戦争の悲惨さを伝える点においてゲン以上のものがそうない。
・中学校に上がると図書館から少年・少女週刊誌に移行し、ゲンを手に取ろうと思う確立が激減する。「消化できるのに読まない」で済ませてしまうのはもったいな過ぎるくらいはだしのゲンは良書だと思う。
 という理由があります。

 以上、長文でまとまりにも欠けますが、書き込みさせていただきます。

ときさま

私は教育についての本を書くために取材を重ね、心理学や教育に関する多くの本を読んできました。
専門家からも話を聞きましたが、みな「子ども時代は情緒の健全な発達のために、安心できる環境を提供するのが最も大切」と口を揃えます。

ですから、トラウマになるものを「ためになる」と押し付けることの危険をきちんと伝えたいと思いました。

そして、それを感じていても口にできないでいる子どもや大人を代弁したいとも思ったのです。

ときさんが感情的だとは思いません。

私の別のコメントのほうがずっと感情的かもしれませんね。でも、他人を傷つけることをよしとする甘えに対してはきちんと対応したいとも思っているのです。ときさんが日常的に悩んでいらっしゃることかもしれませんね(笑)。

返信ありがとうございました。
実は0~2歳児の保育所に勤めていますが、小さい人程、やられた関わり方をそのまま周りに返す姿を目の当たりにしております。
そして、人間性はその記憶のないときに大部分が育まれているのを実感しています。
私は、子ども達に人は良いもの、信頼出来るものと思って欲しい。(色々な面があっても)
渡辺さんのお子さんのように自分の関わっている子が人の役に立ちたいと思ってくれたら、嬉しいです。

感情的な話ですが、公的なもの(クラスで見た映画とか)、自分で読んでいても怖くても図書館の良いものだから読まなければならないと思い、泣くことも出来ず、未だにトラウマになっているものもいるのです。

Mimiさま

Mimiさんの意見もひとつの見解として貴重だと思います。

ただし、「我が子(成人)が小学校低学年の時、8/6の平和授業で「はだしのゲン」の動画を校内テレビで全校放送し一律に視せたと聞き、受ける側の選択の余地がない乱暴な手法に驚きました。クラスには夜怖がった子もいたようです」という体験を寄せてくださった方もいます。

また、幼い頃に惨い現実を見せてトラウマを与えれば良い人間になるとはまったく思いません。
共感できる人間になるとも思いません。

戦争で親が殺され、少年兵が生まれている地域の子どもたちは、戦争を憎んで他人への思いやりを持つ人間にはなりません。感情を交えずに人を殺せる人間になります。

虐待の被害者は加害者になります。

「子供だからこそ、死んでいった子供たちの無念さ、悲しみに共感できることもあると思います。」というのは、聞こえはよいけれども、根拠がない発言です。
「心理トラウマが良い影響を与える」という研究結果などはないのです。あるとしたら、探して提供してください。

私が提案しているのは、「泳げない子をいきなり海に放り込んで恐怖で泳げないようにするやり方ではなく、徐々に水に慣らしていくほうが良い」という単純なことです。「海に入れるな」などとは言っていない。

また、「自分の繊細さや弱さを口に出せるひとは、本当は強いひとだと思います。」という言葉に含まれている傲慢さにお気づきいただければ、と思います。

相手のことを「あなたは強いから」と勝手に決めつけて他人の発言を封じるのは、自分の弱さを武器にする卑怯なやり方であり、甘えた行動です。

それをきちんと消化できない年齢の、しかも善し悪しが分からない子ども全員に「自分で選べばよい」とトラウマを与えることを肯定する方ですから、キツい言葉でもそれを歓迎されることでしょう。

ふだんはこういうことを言いませんが、そうやって口を封じられている方のために、あえて言わせていただきました。

ときさま

やはりそういう体験をされた方がほかにもいらしたのですね。

私は、子どもの頃に大人に押し付けられたものと、公的な場所で暴露されていたものにトラウマを受けたので、わが子を育てるときには、真剣にわが子と向き合って、大事だと思う情報を徐々に取り入れ、語り合いました。

その結果、とても社会正義を考える大人になってくれたと思います。

人の役に立つ仕事をしたいから、と医学の道に進むことを決めて、大学2年生ですが、今年の夏休みはニューヨーク市でがん専門医について研修をしました。

ですから、情報を年齢に応じて制限することが、子どもに情報を与えないことや社会正義について考えさせないことと誤解されるのは残念に思っています。

これからも(誤解されても)思っていることを伝えてゆきたいと思っています。

ブログを拝見しました。

選ぶ権利は子供にあって、
その周囲の大人(親も含む)にはないと思います。

親や学校が「あなたにはまだ早い。これは読んではいけません」と
本を取り上げる権利はないと思うのです。

本は閉じることもできます。
「あ、怖い。やだな」と思ったら
閉じることもできるのです。
読まないこともできるのです。

それは子供が自ら判断をくだすべきことです。

そして、戦争についての物語は、
小さな子供が「恐怖」を感じても読むべきものだと思います。
それは、戦争では小さな子供だからといって、
殺されない、残虐な仕打ちをされない保証はどこにもないからです。
そして、小さな子供達が銃を持ち、
爆弾を抱え自爆テロを行う世界もあるということです。

子供のうちから「戦争」についての本を読むことは
トラウマになっても読むべきだと思います。

本を読んでいられるということは、
平和なところにいるということなのですから。

子供だからこそ、
死んでいった子供たちの無念さ、
悲しみに共感できることもあると思います。

あと自分の繊細さや弱さを口に出せるひとは、
本当は強いひとだと思います。

記事を興味深く読ませていただきました。
自分が小さいとき、思春期は手当たり次第に読んでいたので、トラウマになり、かえって本格的な小説や暴力表現が未だに読めません。
現在、妊娠8カ月になり、改めて適正年齢という言葉が身に迫ってきました。
どんな情報にしろ、子どもにきちんと向かい合って話せる親になりたいと思います

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