本ブログで連載した『住民が手作りする公教育』の番外編として、PTAについて非常に興味深い提案をされている作家の川端裕人さん にお話を伺いしています。
今回初めての方は、その1から続けてお読みください。全部はこちらから。
対談その5「PTAが親の自己実現の場になっているのではないか」
前回は、日本で「やりたい人にやらせる」と時々、ひどいことが起きる、いう話だったわけです。ぼたくちは、「やりたい人がやるべき」と思っているのに、ただ素朴にそれを突き進めると、いろいろ日本では、落とし穴もありますって話。
今回は、渡辺さんのレキシントンでの経験を聞かせていただきます。
やっぱり、「やりたい人にやらせるか」という件ですよね。
実は、私が小学校のPTAで犯した失敗が、それに関連したことなんです。
ちょっと長くなるのですが、おつきあいいただければ嬉しいです。
レキシントン公立学校の小学校は5年生が最高学年で、この年だけ「Yearbook(卒業アルバムのようなもの)」を作ります。幼稚園から5年生までの6年間の集大成ですから、生徒からも保護者からも期待されているものです。
8年前に私がこの委員長を引き受けたときのことです。これまで一緒に仕事をしたことのないAさんが、PTAに「私も委員長をやりたい」と希望しました。
最初に話し合った感じでは、意欲もあるし「デザインが得意」とおっしゃいます。PTAの会長から「手間がかかる大変な仕事」と聞いていたので、仕事を分担できるパートナーができてラッキーだとその時は思ったのです。
でも、しばらくするうちに、げっそりしてきました。
Aさんは、私の提案(台割とか)に対して必ず「でも、こうしたほうが素敵だと思うわ」と異論を述べるのですが、その多くは具体性に欠けるか、実現不可能なことです。
また、彼女の案に従って作業を分担しようとすると「スキャナーがないからスキャンはできない」、「コンピューターの使い方がよく分からないからレイアウトはできない」、と「できない」続きです。写真の撮影くらいはできるだろうと思い、「それでは教員と職員の写真撮影をお願いします」とお願いすると、いつまでたっても撮影に行きません。
私ひとりでやるほうがずっと簡単なのですが、パートナーなので彼女の合意を取らないと前に進むことができません。
メールには返事をよこさないし、彼女から言い出した待ち合わせの場所にも現れません。後になってから「家の改築中で…」とか「家族の病気で…」という言い訳メールが届きます。
Aさんに会社や組織で仕事をした体験がほとんどないと分かったときに私の心中に生まれたのは、まぎれもなく「専業主婦への差別心」でした。
「仕事をしたことがないから、自分の能力のなさを自覚していないし、他人に迷惑をかけていることが分からないのだ」と腹立たしく思ったのです。
なにかサスペンスドラマの香りがしてきました。でも、ここまでは、ぼくもよく聞く体験談に近いですよ(笑)。いずこの国も同じ?
いやもう、毎日がサスペンスでしたよ。殺意感じたこともありますから(笑)。
私は、彼女の承諾を得ずにこれまでのPTA活動で知り合った保護者たちに援助を求めて、チームを作りました。仕事ができる人たちなので、昼間働いていても自分の空き時間に手早く作業をこなしてくれます。
卒業アルバムの進行はスムーズになったのですが、それと同時に、私とAさんの人間関係は最悪になってきました。来たメールを開けずに削除しちゃうくらい(笑)。
ボランティアチームとPTA会長を含めた最終的な会議を終えたとき、私が援助を求めた人の紹介でボランティアに加わったBさんが私を脇に連れて行って、こう忠告してくれたのです。
「日本人は完璧主義者だから、あなたのエクスペクテーションが高いのは分かる。でも、Aさんにあなたと同じ能力を求めるのは間違っている。これは小学校のPTAのボランティアなのよ。多少出来が悪くても世の終わりじゃない(It's not
the end of the world)。もっとリラックスしなさい」
Bさんは日本企業と取引した経験もある元投資銀行家のお母さんです。刺がある性格で知られている人ですから「あなたにそんなこと言われるおぼえはない」と最初はムッとしたんです。でも、ひとりになって自分の行動を振り返ったとき、Bさんの言いたいことが分かってきたんです。
ここまでだと、渡辺さんの体験は、典型的「あなたはやりすぎた」パターンですよね。入賞するような広報誌を作った新聞社雑誌社勤務の保護者が、次の年に言われるセリフ。でも、ぼくも完璧主義の人たちには、PTAの活動がうまくいかなくたって、子どもたちが傷つくわけじゃないし、ってよく言ってましたね。
そうなんです。でも、そのときの私は、卒業アルバム作りを「自分の仕事」として捉えていて、「子どものため」という最大の目標を忘れていました。
ですから、私にとっての理想的なやり方を想定し、それに貢献する能力がないAさんのほうが悪いと思っていました。
でも、次の年のYearbookの担当者は、ノウハウ全て引き継いだにもかかわらず、昔ながらのローテクなコラージュ形式に戻しちゃったんですよね。私なら満足できないアルバムですが、それでもその学年の生徒や保護者は(前のものと比較する機会はありませんから)満足していたようです。
私が何もしなければ、AさんはAさんなりにローテクの卒業アルバムを作り、なんとかなっていたのかもしれません。
Bさんが言ったように、「多少出来が悪くても世が終わるような大ごとじゃない」のです。
私は、「自分が欲しい卒業アルバムを作りたかった」だけなんですよね。他人のために自分を犠牲にしているなんて、思い上がりでした。
それを自覚していないから、「Aさんったら何もしてくれない。私は自分を犠牲にして頑張っている。私にはこんなに能力がある」とみんなにアピールしたかったんだと思うのです。
直接そう言わなくても、私が招集をかけたミーティングに出席すれば、Aさんが何も知らないし、関わっていないことは明らかです。
議長としても彼女を無視する形でミーティングを進めていましたからね。
私は、自分でも気づかないうちに、PTA活動を「自己実現の場」に使っていたのですね。そのプロセスで、たぶんAさんの気持ちをすごく傷つけていたと思います。人の心を傷つけてまでやるようなものではありませんよね、PTAの活動って。
今でも、思い出すたびに顔から火が出るような羞恥心を覚えます。
日本のPTAって、よくもわるくもギチギチしているので、渡辺さんがやったような支援チームはなかなか作れません。本当に私的なチームで、学校の外でやるならともかく。
そういう点では、レキシントンでのPTAはとても自由でした。自分でチームメンバーを集めると、実にやりやすいですね。作業そのものが大変でも、和気あいあいとやってゆけます。これは重要な点だと思います。
ぼくも急に思い出しちゃいましたけど、ぼくが文化系の講演やイベントをする委員会の副委員長だった時、もう一人の副委員長がなかなかミーティングに出られなくて、その人がいないところで決まったことを実行したら、後で随分な剣幕で怒られました。ま、よくある、連絡トラブルです。渡辺さんのお話と、ちょっと質が違うかな。
でも、私が「お助け役」で参加したPTAや町の委員会では、私がミスをしても、嫌味を言われたことがないんですよ。
委員長や他の委員が私の数倍の仕事を引き受けていても、出来上がったものには貢献者の名前が平等に載っています。外からは、私も彼らと同等の貢献をしたように見えますが、実は違います。それでも誰も文句は言わず「できることだけをやってくれたらいい」という態度なんです。これには頭が下がりました。
川端さんが体験された、「あなた(たち)ががんばりすぎたから、次の人(次の年の広報委員)が大変になる」という日本のPTAの苦情なのですが、「他人に自分の能力を認めてもらいたい」という欲求が根底にあるのではないかと思います。それが、「自分がよく見えるためには、他人があまり良い仕事をすると困る」という心理に変わり、「あなたががんばりすぎるから迷惑だ」という苦情になる。
そういうの、あるかもしれないあ。ぼくが知る日本のPTAの保護者たちは、結局、目の前に積まれたタスクをこなすのでめいっぱいなんです。前の年のことなんて考えている余裕がない。良い出来の広報誌をつくった委員長に誰かが「あなたががんばったから……」と言ったとしても、実は翌年度の委員は気にしてないんじゃないかと思います。それをわざわざ言うのは、なんかの理由で渡辺さんのおっしゃるような心理があるのかもしれませんね。
卒業アルバムのときの私の姿勢と、前回お話しした算数オリンピックでのリーダーの姿勢を比べると、とても恥ずかしくなるのです。
PTAの活動は「子どもの学校生活を良くする」ために存在するのであり、その目標にそって、学校、教師、生徒を援助するものでなければなりません。
それを忘れないよう、時おり自分自身の言動にチェックを入れなければいけない。そう、しみじみ思いました。
ツイッターで次のような感想もいただいたのですが、この失敗から私が学んだのも似たようなことでした。
最初は何もできない人でも、何度かやってゆくうちにコツを覚えて、要領がよくなってきます。私自身も実はそうだったのですよね。幼稚園で初めてPTAのボランティアをしたときには、ベテランと組んで「できること」だけをやらせてもらったのです。だから楽しかった。楽しいことをくり返しているうちに、出来ることも増えてきたのです。
ですから、できない人には「できること」だけをやってもらい、楽しさを体験してもらうことで「やる気」を出してもらう。
そして、やることで経験をつんで、できるようになってもらう。
そういうことをちゃんとできるのが、本当のリーダーなんですよね。
ああ、なんか、眩しいお言葉です。ぼくは、そういうリーダーには出会わなかったし、自分もなれなかったし、これからもなれないことは確定なので。こと、保護者コミュニティという意味では。
アメリカではRole Model(行動の規範になるお手本)という言葉がよく使われますが、レキシントン町ではそういうリーダーにいろいろな場面で会いました。でも、それがアメリカ全体の姿かというと、そうではないようです。
前回川端さんがお話されたように、アメリカでも「政治的な意図、宗教的な意図」を持った人が教育の場で幅を利かせることがよくあるのです。次回はそういった例もお話ししたいです。
(つづく)
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