本ブログで連載した『住民が手作りする公教育』の番外編として、PTAについて非常に興味深い提案をされている作家の川端裕人さん にお話を伺いしています。
今回初めての方は、その1からお読みください。
対談その2「子どもの顔が見えるPTAの活動」
前回、川端さんは日本のPTAでは「役」が多く、その「役」によっては拘束時間が半端ではないとおっしゃっていましたね。そういう意味では「ボランティアだと今の規模の活動はできない」と。
そこで私は娘が通っていたエスタブルック小学校の文書をチェックしてみました。
私が関わっていたときとはイベントの内容が少し変化していますが、エスタブルック小学校でのPTA/PTOのイベントに保護者が関わるプログラムを加えたリストがこれです(『エスタブルック小学校PTAイベント』)。
いやあ、びっくりしました。すごい沢山ありますね!
ぼくも、ニュージーランドのゆるいPTAの経験があるけれど、そこの倍はありそう。
数だけでいうと日本のPTAに匹敵するかも。
これほどあっても、それぞれのイベントの委員長とメンバーは自ら「やります!」と手を挙げたボランティアだけなんです。
ニュージーランドのことはとりあえず置いておいて、日本の場合と、どこが違うのかということになりますが、最初に感じたのは、「子どもの顔が直接見える活動が多い!」ということでしょうかね。
そうですね。私が関わったのも「子どもの顔が直接見える活動」ばかりでした。
例えばMath
Olympiadは、小学校4年生と5年生の希望者に算数オリンピックを指導するものですし、放課後の科学実験プログラムYES
After School Scienceでは対象の小学校4年生だけでなくボランティアの高校生とも触れ合います。 Read Aloud Day、International
Potluck、International
Game Day(現在はなし)では、生徒だけでなく「エスタブルック・ファミリー」と呼ばれる生徒の家族、住民ボランティアといった学校区のコミュニティ全体と関わる感じでした。
PTA/PTO以外の活動にしても、Big
Backyardは授業中に子どもたちのグループを率いて野原や林で一緒に観察しながら指導するものですし、幼稚園の科学実験係や小学校1年生の読書指導などは、担任のお手伝いとして直接子どもを教える役割でした。
ぼく、役員選考委員会というのをやったことがあるんですが、これ1学期に結成されてから、3学期に実際に次年度役員が本決まりになるまで、延々と、ただ「会の存続」のためにがんばるんです。まず最初に、できるだけ公平に役員を選ぶための選出方法とかを考えるところから始まって、どんな方法でも文句がある人がいるので、なだめつつ……以下省略(笑)……ってかんじでした。
なにが言いたかったかというと、この活動をしている間、児童と接することはないし、むしろ、自分の子を家で一人にして休日に学校に行ったりすることもあるんですね。つまり……一体何のためにやっているのか途中でわからなくなりました。これ、いわゆる本部役員をやっても同じなんですよ。日本のPTAの活動って、お祭り運営などいくつかの例外を除いて、直接的な形では子どもの方を向いていませんから。
娘が通った小学校では、リストからもお分かりのように、そういうPTA活動はありませんでした。
だからこそ、ボランティアが集まるのでしょうね。
幼稚園から最高学年の5年生までの6年間まったくPTA/PTOに関わらない保護者も存在するのですが、それでもどうにかなっているのはけっこうすごいことかもしれません。
やらない人はやらないとして、保護者数、あるいは世帯数のうち何パーセントくらいが熱心な人たちでしたか?
実は日本でもニュージーランドでも、結局やる人の割合は同じくらいだなあと感じたことがあるんです。
私は、前述の委員に加えて、校長やボランティア教師と一緒に反偏見委員会(Anti-bias
Committee)のメンバーや、Teacher
& Staff Appreciationのお手伝い役もやり、Year Book(卒業アルバム)とNewcomers Gathering &
Welcome Committeeでは、委員長も担当しました。
それらの活動を通じて知ったのは、これら多くのイベントの委員長やメンバーをしているのが同じ顔ぶれだということです。
ざっと観察した感じでは、保護者全体の15〜20%くらいでしょうか。
Aさんが委員長のイベントだとBさん、Cさんがお手伝いメンバー、Bさんが委員長を引き受けたイベントではAさんとCさんがお手伝いを買って出る、という感じで回ってました。
ぼくが観察してきたかぎりでは、5パーセントから10パーセントの法則ですね。厳密な話ではないから、渡辺さんの話と「だいたいそんなもん」と一致すると思います。どこにいっても、自分の子が教育を受けている現場にかかわりたいと思う人。自分の子の学校で、コアな活動をしている人たちの顔ぶれをみていると、世帯数400くらいの学校で毎年30人、40人みたいな。これが日本でもNZでも割合としては同じだったというのが自分としては印象的でした。
レキシントン町では、それよりはもっと多いです。娘が通っていた頃は生徒数約500人で、PTAのプログラムの委員長か委員をやっていた保護者は各学年15人以上はいたと思います。それ以外の小さなボランティアを含めると関わっている保護者は過半数になります。
数が多いのは「やりたい」と思わせるインセンティブがあったからかも。
ボランティアだけでPTA/PTOの仕事をするとなると、それが「やりたい仕事」である必要がありますよね。
インセンティブがないと、奉仕精神だけでは数が集まりません。
私の場合、PTAのインセンティブというか最初のモチベーションは、「お手伝いで入り込めば、クラス内で起こっていることを知ることができる」「教育環境を自分の目で観察することができる」「先生と仲良くなることで、何か問題が発生したときに相談しやすい関係ができる」という自分の子供にとって利益があることでした。
「お手伝いで入り込めば、クラス内で起こっていることを知ることができる」「教育環境を自分の目で観察することができる」「先生と仲良くなることで、何か問題が発生したときに相談しやすい関係ができる」というのは、ぼくも日本でもNZでも真実であろうと感じます。
それは十分なインセンティブかもしれません。
供出した時間と能力に応じたやりがいを感じられれば、ですが。日本で体験したことは、かならずしも「やりがい」に直結しなかったので。
「能力」と「やりがい」というのは、重要なキーワードだと思います。
私が手を挙げたのは、科学、数学、読書、アルバム作り、ディバーシティ推進、という「自分の能力範囲でやれそう」、あるいは「自分が興味を抱いている分野」の仕事だけでした。
やりたいものを自由に選ばせてもらえ、したくないイベントにはまったく関わらないことを許してもらえたからやれたのだと思います。
子ども相手のイベントだとわりと充実感があるんですが、前例踏襲でなぜやるのか分からない行事って終わった後もすっきりしない。世田谷区の小学校PTAでは毎年バレーボール大会があるんですが、その幹事の年に当たったりすると、大会当日だけでなく、打ち合わせのためになんども出かけなければならなかったり、ひどく忙しかったですね。好きな人が出る大会なので自主運営すればいいのに、運営はPTAがやることになっていて、理由を聞いても「世田谷区の伝統だから」くらいの理由しかないという。
エスタブルック小学校の場合には、「前例踏襲」ってないんですよ。
卒業アルバム(Yearbook)作成と転入生(これが毎年ものすごく多い)の家族を受け入れるWelcome Committee委員長をやったときに知ったのですが、前回の委員長から「私はこんな風にやりました」という引き継ぎはあるのですが、あとは自分で好きなようにやっていいんです。
じつは、Welcome Committeeって、私が作ったものなんですよ。
それまでの転入生とその家族受け入れプログラムがあまり役立っていないことが分かったので、PTA会長から「委員長になって」と頼まれたとき、「なってもいいけれど、このままの内容じゃあ、時間を費やす意味がない」と答えたんです。そうしたら、「じゃあ、変更の企画を提案して」と。
そこで考えをまとめてプレゼンしたら、「それは素敵な案ね。ぜひやって」と簡単に古いプログラムが消えて、新しいものになりました。
次に私の案に賛同してくれる人を探してリクルートし、自分のやりやすいチームを作りました。
気があうと分かっている人たちのチームですから、楽しかったです。
みんな忙しいからミーティングはほとんどなく、仕事を分業して、連絡はメールや電話ですませました。これも委員長の私が選んだやり方です。
ミーティングが好きな人が委員長のプログラムは「私ミーティングに出る暇ないから、お手伝いできないわ。ごめん」って感じで断っていました。
(次回につづく)
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