9章 努力していても「不祥事」は起こる
日本の学校で不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。
不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民がよってたかって非難し、糾弾します。マスコミが小出しに出てくる情報をテレビや新聞、インターネットで知り、あたかもその場にいたかのように他人に伝えます。むろん、実際に深刻な問題があることもあります。けれども、巷に広まってゆくのは、もともと疑わしい情報に推測や創作が加わった「真実」なのです。
お茶の間で、職場で、ソーシャルメディアで、「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「罰を与えるべきだ」、「許してはならない!」という怒りの声が盛り上がります。「責任者は謝罪しろ!」と求め、謝罪すると「謝罪のあの台詞が気に入らない!反省していない!」とさらに怒ります。
こんなに正義感が強い人が多いのですから、マスコミが彼らの怒りをかきたてることで、きっと理想的な社会が実現することでしょう。少なくとも怒りの拳を振り上げる人はそう信じているはずです。
でも、現場の事情を知らず、現場に行って長期的に力を貸すつもりがない人たちの「正義感」にどれだけ効果があるのでしょうか?
それを考えていただくために、ぜひこの実話をお読みいただきたいと思います。
【注意】この章を読む前に、必ずこれまでの章をお読みください。
2005年4月29日の早朝、私はボストングローブ紙の地域版を読んで目を疑いました。
一面トップに、「エスタブルック小学校で幼稚園児の父親が不法侵入罪で逮捕され、一晩拘留」という記事が載っていたのです。
新聞は次のように事件を説明していました。
去年ニュージャージー州から引っ越してきたばかりのパーカー夫妻は、エスタブルック小学校の幼稚園に通っている息子が学校から持ち帰った「ディバーシティ・バッグ」に入っていた「Who’s in the family?(家族には誰が含まれている?)」という本の「同性愛」に関する内容に不安を覚えた。学校に何度か懸念を伝え、校長とレキシントン町の教育長と2時間にわたる話し合いを持ったが、納得する回答を得られなかったためにその場を立ち去るのを拒否した。そこで、「不法侵入」で警察が逮捕した。
逮捕されたディヴィッド・パーカーは、この本で取り上げられている「同性結婚」などという「成人向け」のテーマを教えるタイミングは親の自分が決めるべきであり、学校でのミーティングの目的は「息子がこれ以上にゲイ家庭についての本やレッスンに暴露される懸念」だったと述べ、「私はただ、良い父親であろうとしただけ」と語った。
(同性結婚に反対の立場を取るモルモン教徒の)ロムニー知事は、この特定の件に関するコメントは避けたものの、「法では、人の性に関連する事柄を教室で教えるときには親に通知しなければならず、親はその授業のあいだ子供を教室から離れさせることを選べる。私は親の知る権利を支持する」と語った。
私はしばし茫然と新聞を見つめていました。
この記事だけを読むと、まるでレキシントン町やエスタブルック小学校が、親に内緒で「行き過ぎた性教育」を行っているみたいではありませんか!
しかも、娘が卒業した1年前まで私が加わっていた「反偏見委員会(ABC)」がやり玉に上げられています。
問題になっている「ディバーシティ・バッグ」は、6章でご紹介したように私たちが作ったもので、「Who's in a Family? 」という絵本は、多くの文化的背景を持った移民の家庭、母子・父子家庭(シングルペアレント)、外国から養子をひきとった家庭、そしてゲイカップルが両親の家庭、などの日常生活の一こまをイラストで紹介するものです。エスタブルック小学校に実際に存在する多様な家族を「ちょっと違っても、みんな同じ」と受け入れてもらうのにちょうどよいから選んだのです。
パーカー夫妻が問題にしているページは、2人の女性が子供たちと一緒に庭で飼い犬を洗っているページと、2人の男性が少女と夕飯の支度をしているページです。むろん「成人向け」と呼べるようなものではありません。
何よりも、前述したように、このバッグは「授業」のためではなく、「持ち帰り用」です。持ち帰る義務がないことも、最初から親に通知してあります。
なぜこの本の存在が逮捕劇にまでエスカレートしたのでしょうか?
(それには、アメリカ特有の宗教と政治が絡んでいるのですが、横道にそれるので本文ではご紹介しません。こちらをお読みください)
エスタブルック小学校には、「ふたりのお母さん」を持つ4人の子供が通っています。
マサチューセッツ州で同性間結婚が合法化された2004年(事件の約1年前)、長年連れ添っているパートナーと結婚した当事者の母親メグは、PTAの副会長を務めたこともあり、ABCのメンバーでもあります。
聖書の教えを文字どおり信じるキリスト教保守派のパーカー氏は、最初は単独で学校と反偏見委員会に要求を突きつけていました。
彼の要求は、「同性結婚にふれる話題になるときや、ゲイやレズビアンのカップルの子供が教室で家族のことを話すときには、他の子供に教室を離れて『聴かない』権利を与えよ」というものです。
「そのくらいの要求は聞いてやってもいいのではないか?」
そう思った人もいるのではありませんか?
では、エスタブルック小学校に実際存在するゲイやレズビアンの両親を持つ子どもの立場になって考えてみてください。
アメリカの幼稚園や小学校では、公の場で発表する技能を身につける「Show and Tell」というプログラムがあります。大事にしている物や何かを伝える物を持って来て、クラスのみんなに紹介するというものです。写真を持って来て家族について説明したり、旅行やクリスマスでの家族の集まりを報告したりもします。発表する本人がスピーチの能力を身につけるだけでなく、「クラス全員」が尊敬をこめてちゃんと聴くことも重要なのです。
そういうプログラムのときに、先生が「これから●●ちゃんが家族について話しますが、希望者は教室を出ていいですよ」と言ったとしたら、どんな影響があると思いますか?
その子は「私の家族だけは人とちがう」と家族を恥じるでしょう。そして、クラス全員がそう思います。
先生が「差別をしていいですよ」と子どもたちに許可していることになるのです。
エスタブルック小学校の校長とABCのメンバーは、パーカー氏に「それゆえあなたの要求を聞き入れることはできません」と、何度も丁寧に説明しました。
けれどもパーカー氏は、聞き入れるどころか、ABCの会議に現れて自分に反論する者を頭ごなしに怒鳴りつけるようになったのです。自分の意見が聞き入れられないために、パーカー氏は、「アーティクル8連合(Article 8 Alliance)」という同性結婚に反対する団体に支援を頼み、メディア対策を行うようになりました。そして行動も過激さを増してきたのです。それまでオープンだった学校の雰囲気はどんどん緊張したものになってゆき、ついに問題の日がやってきました。
パーカー氏がついに逮捕された日の様子を、この事件に対応するため町民が結成した「Lexington CARES」が公式記録をもとに次のようにまとめています。
●パーカーは午後3時に校長とレキシントン公立学校のカリキュラム・ディレクターと会合を持ち、自分の要求が通るまではその場を去らない、と宣言した。
●この間彼は何度か携帯電話で誰かと話しており、午後5時45分には「アーティクル8」の支持者たちがビデオやカメラを持って現れた。
●学校は教育長と話し合ったうえでレキシントン警察に連絡を取り、警察官が現れてパーカーの説得にあたった。
●午後6時30分、警察官が学校を閉めなければならない時間になったと伝えると、パーカーは、「逮捕されないかぎり、私はここを去らない」と答え、警官は彼を逮捕した。(この警官は、「私はあなたを逮捕したくないので、いったん家に戻って、明日の朝また学校に来てください」と一生懸命説得したのですが、「さあ、逮捕しろ!」と腕を差し出し、聞く耳を持たなかったそうです)
●警察署に到着後、パーカーはまた電話で誰かと話しあい、保釈金(小額)を払うことを拒否して拘留されることを選んだ。
●この直後、「アーティクル8」のサイトにパーカー逮捕の写真入りの記事が載った。
●彼がわずかな保釈金を払うのを拒否して拘留されたのは、テレビニュースと新聞記事になるための「アーティクル8」の計画のひとつであった。彼らがテレビ局と新聞社に連絡し、翌朝の釈放される時間に来るように計った。
一晩の留置で解放されたパーカー氏は、すぐさま全米で最も人気がある保守派の政治番組「オライリー・ファクター」に出演しました。司会者のオライリー氏は、エスタブルック小学校のことを幼稚園児にゲイ教育を押しつける過剰にリベラルな学校と決めつけ、パーカー氏のことを「逮捕されてまで子どもを守った勇敢な父親」と絶賛しました。こうして一躍ヒーローになったパーカー氏は、保守派のラジオ番組などでひっぱりだこになりました。
そのほとぼりがまだ冷めていない2006年、7歳の息子がエスタブルック小学校に通うワースリン夫妻が学校を訴えたのです。
ある日学校から戻って来たワースリン夫妻の息子が、教室で教師が読んだ本について熱心に語るのでよく聞いたところ、王子が他国の王子と結婚するというストーリーだったのです。ワースリン夫妻はこんな「ゲイロマンス」を学校で読んだ担任に憤り、話し合いを持ちました。けれども、担任は同性結婚が合法化しているマサチューセッツ州では、同性の結婚でもふつうの結婚と同等に扱うのが当然だといい、謝ろうとはしません。
「ゲイについて語るときには、わが子をクラスから外に出してくれ」という要求が受け入れられないため、ワースリン夫妻はパーカー夫妻と一緒にレキシントン公立学校を訴えたのです。
この経過を知ると、相当センセーショナルな内容の「ゲイのロマンス本」を想像されることでしょう。でも、『King and King 』は、普通のおとぎ話のお姫様の部分が王子様になっただけの絵本なのです。アマゾンで中身検索ができますので、ご覧になってください。
この事件は全米で注目され、保守派のフォックスだけでなくABCなど別のテレビ局もエスタブルック小学校の事件を取り上げるようになりました。
けれども真面目な取り上げ方ではなく、「小学校1年生にゲイのロマンス本を読んだ教師!」といった興味本位のものです。ワーサリン夫妻はモルモン教徒で、パーカー氏とは宗教が異なるものの、どちらも「反同性愛、反同性結婚」の団体に属しています。でも、興味本位の話題ですから、そういった事実はどの番組も伝えないのです。
『The View』という人気トーク番組でも、事実を確認しないままに「わが子に同性愛教育を受けさせない権利が親にはあるのではないか」といったディスカッションが交わされ、エスタブルック小学校の「悪評」はますます広まっていったのです。
インターネットでは、エスタブルック小学校を非難するサイトが激増しました。
これらの事件の前には「エスタブルック小学校」で検索すると数えられるほどしかなかったのに、「パーカー事件」の直後には2000件ほどに増え、「King and King」事件の後は1万を軽く超えていました。当時検索でトップに出てくるのは、行き過ぎたゲイ教育を押し付け、親の権利を尊重しないエスタブルック小学校を非難するものばかりでした。
彼らがインターネットに「抗議の送り先」として当時の暫定教育長とエスタブルック小学校のジェイ校長のEメールアドレスと電話番号を載せたために、ふたりの平和な日常は崩壊しました。
ジェイ校長は、「1日に700通くらい嫌がらせメールを受け取る」とため息まじりに語りました。うっかり読んでしまうと、眠れなくなるような内容ばかりです。
教育長は夜中に海外からの電話で起こされたこともあるそうです。
その人は、インターネットで「ゲイ教育を幼い子に押し付け、親の権利を奪いさる学校」があることを「知り」、そんな「非道徳的な学校」を許してはならないと決意して行動に出たというのです。
なんと素晴らしい正義感を持った人でしょうか!
パーカー事件が公になったとき、そのジェイ校長が真っ先に取った行動は何だったと思いますか?
「パーカー氏の子どもが他の子にいじめられないための対策」だったのです。
パーカー氏の行動に敵意を抱いている親はもちろん多かったので、家庭での会話やテレビのニュースを聞いた子どもたちが影響を受けるのをジェイ校長は案じたのです。「すべての子どもが安心して通える学校」の「すべて」には、自分たちを攻撃する人の子どもも含まれているのです。
ジェイ校長は疲れた表情で私にこう言いました。
「私には生徒が安心して通える小学校を保つ義務がある。こんなことばかりに気をとられている場合ではない」
エスタブルック小学校では、実際にあらゆる場面で影響が出ていました。
長年この小学校に勤めている秘書は、「パーカー氏が現れて子どもたちが歩いている廊下でも大声で怒鳴るようになってから、オープンで明るかった小学校の雰囲気が暗くなってしまった。私が知っている学校ではなくなった」と嘆き、『反偏見委員会(ABC)』の委員長のヴィッキーは、「委員会はあなたがいたころとはすっかり変わってしまった。今はいつもピリピリと緊張している」と悲しみます。学習障害がある子どもを持つ親のひとりは、「いろいろと対策を話し合う必要があるのですが、忙しくて十分睡眠もとれていない校長の状況を知っているから遠慮してしまうんです」と苦しい胸の内を打ち明けました。
『King and King』を読んだのは、美人で気さくで、子どもや保護者にも愛されている人気者の教師でした。「子どもたちのためなら、何でもする」という意欲に燃えた若い女性だったのです。私たちはよくABCのミーティングで気軽に冗談を言い合ったものですが、久しぶりに会ったときには笑顔は消え、すっかりやつれていました。本名が全米に晒されているのですから当然です。「大丈夫?」と話しかけようとしたのですが、彼女は目を伏せて足早にさってゆきました。「学校がこうなってしまったのは私のせいだ」と自分を責めているようでした。
このころ、レキシントン町ではエスタブルックの事件と重なっていくつかのトラブルが進行していました。
最初はレキシントン高校における「沈黙の日(ディ・オブ・サイレンス)」事件です。
「沈黙の日」は、「ゲイ・レズビアン・ストレート教育ネットワーク」と「全米学生協会」が提携して行っている全国規模のプロジェクトです。差別や暴力を恐れて沈黙を虐げられているゲイやレズビアンの学生への同情を示すために、賛同する学生は一日を沈黙で過ごすというものです。
沈黙の日に引き続いて行われるディスカッションも、レキシントン公立学校が支援する恒例行事でした。
これまでまったく問題がなかったこの恒例行事で、今年初めて同性愛に反対する親たちのプロテストが起こったのです。「親」と自称しているのですが、レキシントン公立学校の保護者だけではなく、余所の町から来た者が混じっていました。
学校の敷地内でプラカードを持って立っている人々に、ジョーンズ校長は立ち去りを求めました。でも、彼らは学校の境界線の外に移動しただけで、そこで抗議運動を続けました。そこなら違法ではないので警察も手を出せません。
学校内でも、小さなプロテストが発生していました。男女が手を繋いだイラストと「こうあるべきだ」と書かれたスティッカーを胸に貼っている学生たちはパーカー氏と同じ教会に通う信者でした。
次のトラブルは「ホワイト(白人)・レボリューション(革命)」という白人優越主義者団体です。
エスタブルック小学校では、当時2年に一度資金集めのために行う大規模な「エスタフェスト」というフェスティバルが行われていたのですが、アーカンソー州に本部を持つ差別団体の「ホワイト・レボリューション」が、それと同じ日にレキシントン町で集会を行うと宣言したのです。
「エスタフェスト」で行う輪投げなどのゲームは、卒業生や卒業生の親がボランティアで手助けすることになっています。コミュニティの結束を楽しむ大切な日だというのに、「パーカー事件」を耳にした差別団体がエスタブルック小学校にもやってきて邪魔をしようとしているのです。
その問題がまだ解決していないときに、「ウエストボロー・バプティスト教会」がレキシントン高校の卒業式にプロテストに行くと発表しました。ニューヨーク市の同時テロの後、「Thank God」というプラカードを持ってデモをした過激なグループが、全米から注目を集めているレキシントンをさっそく利用することにしたようです。
彼らは、土曜日は高校の卒業式、日曜日は”ゲイを容認する”教会、月曜はエスタブルック小学校でプロテストを行うと通告してきました。
全米から押し寄せてくるこれらの悪意に対して、レキシントン町のコミュニティはどう対処したのでしょうか?
それを次の章でお話ししたいと思います。
(つづく)
次回は、10章 支え合うコミュニティ
*注記
この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。
登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。
江津子さん、
コメントありがとうとざいます。私自身はみんなにくっついていただけですが、頑張っている仲間を見捨てないようにしたいと思っています。
最も難しいのは「継続」ですから。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2012年8 月 3日 (金) 18:14
手伝えることがあれば何でも言ってください。そしてこれからも教えてください。スケープゴートとなり、また先鋒をきる、、立場は大変だと思いますが、その功績は大きいと思います。
投稿情報: 江津子 | 2012年7 月29日 (日) 10:10
ゆかりさん、
お話の一部は確か別のゆかりさんの記事で読んだことを覚えてますが、そのことだけでもレキシントンの町として対応するのが大変だったと想像できますが、それがさまざまな大変なことが起こっているひとつのことだったとは、本当に想像を絶する経験だったのではと思われます。その中でのジェイ校長先生の姿勢は、すばらしいものだと思います。自分も少しながらアメリカの公立学校に従事していましたので、そのような姿勢を貫くのは簡単なことではないことは理解できます。
投稿情報: アリゾナ | 2012年7 月28日 (土) 22:02
ありがとうございます。次の更新はあさってくらいになるかと思いますが、お待ちくださいね。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2012年7 月28日 (土) 18:43
小学校や高校の卒業式にプロテストをやるなんて、あまりにも子供たちのことを考えていない行動にうんざりします。まあこういう人はミリタリーでサービス中になくなった兵士のお葬式でもデモをする人たちですから人間としての品性についていいだすときりはないですが。
このincidentの渦中にいてぶれなかった先生方や関係者の方々には頭が下がります。続きを拝読するのが楽しみです。
投稿情報: lite2shine | 2012年7 月28日 (土) 18:35
コメントありがとうございます。
これからも、まだ続きますので、どうぞヨロシク!
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2012年7 月28日 (土) 12:22
校長先生の行動には「差別されている(いじめられている)○○さんの権利を守るために戦うのではない。私たちは『誰かが差別される(いじめられる)社会』は望まない。だから、私たちは私たちの権利を守るために戦う」という覚悟が感じられますね。リーダーとして、というか大人として人として必要な覚悟かな。次回を楽しみに待ってます。
投稿情報: Inagakikenji | 2012年7 月28日 (土) 10:43