18世紀には隣国に侵略されて分割され、第一世界大戦後に独立したものの、第二次世界大戦でナチス・ドイツとソ連に侵略され、ふたたび国土が分割されました。首都ワルシャワは戦時中ナチス・ドイツにより壊滅状態になり、私が読んだある資料では3人に2人が死亡、あるいは行方不明になったということです。「ホロコースト」という言葉は誰でも耳にしたことがあると思いますが、ナチス・ドイツによる「民族浄化政策」で多くのユダヤ人が虐殺された残酷な歴史もあります。
戦後の52年に人民共和国として国家主権を復活させたのですが、ソ連の支配下にある共産主義政権には、多くの国民が不満を抱いていました。
私の年代の人がよく覚えているのは、ソ連のゴルバチョフ書記長の「ペレストロイカ(改革)」と同時期に起こったワレサ議長(実際はヴァウェンサとい う発音)が率いたポーランドの民主化運動です。この民主化運動の結果、1989年にポーランド人民共和国はポーランド共和国として民主化したのです。 外務省の「わかる!国際情勢」に、この国のわかりやすい説明が載っていますから、ご興味がある方はそちらも読んでみてください。
民主化してから20年経ったポーランドは、「過渡期」を感じさせます。
第二次世界大戦で壊滅状態になったワルシャワは、旧ソ連の味気ない建築物で埋まっており、殺風景ですが、新しいカフェやホテルの内装は非常にモダンです。
これは、壊滅状態になった旧中心地(現在復元されている)。
駅はモダンになっているのに、ワルシャワからクラクフに向かう電車は旧式で、食堂車のレトロぶりは素敵ですが、電車とプラットフォームが合っていないので、ちょっと踏み違えると大惨事になりそうなギャップがあります。
労働者も過渡期を感じさせます。
国連貿易開発会議(UNCTAD)の調査報告によると、世界で6番目に「最も魅力ある投資先」 とのことで、日本企業の進出も多く進出しているようです。ポーランド人は教育水準が高く、仕事熱心なところが魅力と言われます。けれども、年齢層のギャップも感じます。ホテルや店で働く若者はシャイな笑顔を見せますが、博物館などの施設で働く中高年の労働者は仏頂面です。
ハーバード・ビジネス・レビューの討論会で会った方々は、司会者が口を挟む余地がないほど自由に意見をのべ、ジョークまで交わしていました。 企業でソーシャルメディアの責任者の立場にある人々なので、知識も豊富ですが、通訳者がいるのに、「英語のほうが楽」とばかりに自然に切り替えてしまうところも、他の先進国で会ったビジネスマンと変わりはありません。むしろ、「これから」のびて行くことを感じさせる情熱では負けないでしょう。
しかし、彼らがそうだからといって、会社の現場もそうだと考えると誤解が生まれます。共産主義から民主主義への発想の切り替えができない(「ことなかれ主義」?)の社員も多いようで、ソーシャルメディアを担当する人たちはその辺りで苦労しているようです。
興味深いのは、企業のトップクラスのほうが、中間管理職よりもソーシャルメディアなどの「新しい常識」に理解を示すことが多いという意見でした。中間管理職には「失敗して責任を取るのは嫌だ」というメンタリティが多いようですが、これは、ポーランドだけではないかもしれませんね。
古いシステムの代 表といえば、ポーランド人が嫌悪しているワルシャワのランドマーク戦後スターリンがポーランドの人民に贈った巨大な建築物の文化科学宮殿です。贈り物とは 名ばかりで、実は「ソ連が支配しているんだぞ」と思い知らせるためのものだと感じたからです。でも、最近では、「歴史を忘れないためにも残すべき」という 考え方もあるようです。
そのすぐ向かいにあるのが、超近代的なデザインのショッピングモールです。
中に入ると、どの国にいるのかまったく分からなくなります。
今、寿司がブームのようで、アメリカのハンバーガー店よりも廉価のSushi店のほうが目につくのは、ポーランドの特徴と言えるかもしれません。
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