ボストングローブ日曜マガジンの「How the push for infant academics may actually be a waste of time - or worse」という特集記事によると、National Institutes of Mental Health (NIMH)の研究者が5歳から19歳までの子供の大脳皮質の厚さとIQスコアの関係を継続的に調べた結果、「非常に優れた頭脳」のカテゴリーに属す子供の大脳皮質は、平均的な頭脳の子供に比べると、遅れて成熟することを発見した。大脳皮質の厚さがピークに達する年齢が、平均的な頭脳の子供が8歳であるのに対して、非常に優れた頭脳を持つ子供の場合は11歳か12歳であったのだ。研究グループの1人Jay Gieddは、グローブ紙の取材に対して、「これは"兎と亀"の物語のようなものです。2歳-これは馬鹿馬鹿しいレベルですが-で本を読めない多くの人々の多くは、2歳で本を読める子供たちに追いつくだけでなく、彼らを超えるということです」
誰でも、小学校で成績が悪かった同級生(なぜか多くの場合は男の子である)が高校で突然変身して優等生になったのを経験しているはずだ。それは、もともと才能ある彼らの脳が普通人の私たちに比べて遅れて成熟しただけのことだったのかもしれない。
テンプル大学のKathy Hirsh-Pasekは、このグローブ紙の記事で、カードを使って計算や綴りを1歳児や2歳児に教えるような早期教育は、neurological "crowding"という現象により正常な脳の発達をかえって妨げるという意見を述べている。これは、将来もっと創造的なタスクのために保存されているほうがよい脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象だという。
これらの意見は、私が幼稚園のころから娘の通う小学校にボランティアとして入り込み、そのころ既に小学校高学年程度の本が読め、公文式教室に通っていた子供たちを、高校1年生になった現在まで継続的に観察した結果とに一致している。
幼稚園のころからボストン近郊の公文式教室(日本人経営のものではない)に通っていたアジア系の子供たちのうち、高校生になった現在、数学で突出した能力を発揮している者はほとんどいない。それどころか、小学生のころクラスで最も優等生とみなされていた彼らの多くが、能力別編成になる高校1年生の数学で3レベルの中間に属している。それとは対極的に、公文に通わなかったために同級生に比べると計算が苦手で、「私は算数ができない」と言っていた子が、教師から飛び級を勧められるほど数学が得意になっている。
これらの現象については「才能を殺さない教育」で詳しく語るつもりだが、グローブ紙の特集記事が指摘しているように、危険なのは、われわれが”兎”のパフォーマンスをあたりまえの基準として認めることで、“亀”が最初の走りでの評価を受け入れて、やる気を失ってしまうことである。将来歴史に残るような文芸作品を書く潜在的能力を持っている子供が、小学校1年生の担任教師から「読み書きができない」という評価を受け、「どうせ僕は読み書きが苦手なんだ」と思いこんで本に触ろうともしなくなったら、学校と他人の教育ママたちが、子供たちの潜在的能力を殺していることになる。これは、嘆かわしい現実である。
そうです。
簡単に言ってしまうと、詰め込み教育には百害あって一利なしということです。
スポーツにしても勉強にしても本人の「楽しい」という体験に長期的な効果があると思います。たとえそれらのことを将来やらないにしても。
投稿情報: 渡辺 | 2010年2 月 1日 (月) 07:20
つまり詰め込み教育ではなく、子供の成長に応じたことをすればいいということですかね。
これはスポーツにおいても言えることですかね。
投稿情報: ヒロ | 2010年2 月 1日 (月) 06:39
ここでは、趣味とか好きなことを伸ばすことを語っているのではなく、自然な発育に応じた刺激を与えればのびるはずだった創造力などを妨げるような早期教育をしないという点に注目しています。
上記に書いた「脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象」をさせないことが大切だと私は強く感じています。
投稿情報: 渡辺 | 2010年2 月 1日 (月) 06:06
才能を殺さない教育とありますが、
つまり自分の持っている趣味というか好きなことというか・・
それを伸ばす教育ということですか?
投稿情報: ヒロ | 2010年2 月 1日 (月) 05:30