私の周囲をざっと見渡しただけでも、心の問題を抱えている人は多い。
「心理カウンセラーに相談したほうがいいよ」とアドバイスする人はいるが、誰に相談すればいいのかわからないし、そもそも、よく耳にする「カウンセラー」がどういう専門職なのかもよくわかっていない。
最相葉月氏も、最新作『セラピスト』のなかでカウンセラーについて次のように書いている。
「どんな資格をもって、どのように治療に臨むのか。そんな基本的なことさえ混乱しているのに、世の中は未曾有のカウンセリングと心理学のブームである。」
私は河合隼雄氏の本を読み漁ったことがあり、30年以上前だが京都大学精神科で実習したこともあるし、13年ほど前には箱庭療法をしている精神科医から話を聞いたこともある。ずっと気になっていたが、深く掘り下げるにはあまりにも大きくて放置していたテーマである。最相氏の『セラピスト』を読んで、「私にはとても書けない作品だ」と脱帽した。
箱庭療法を追う過程で、最相氏は冒頭のように精神科医の中井久夫氏に絵画療法を受けることになったのだが、この間の知的探求が推理小説以上に面白くて、寝る暇も惜しんで一気に読みきってしまった。絵画療法と箱庭療法の写真も(その理由は本文を読んでほしいが)通常のケーススタディと異なる。 いまの日本でこんな本が書けるのは最相氏くらいではないか。
私は17年前にアメリカに移住してからは、入手が容易な英語の本ばかり読むようになった。そこで気付いたのは日米のノンフィクションの差である。 英語圏のノンフィクションは、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった英語圏の国だけでなく、全世界の読者の厳しい視線に晒されている。ゆえに、文献と取材での調査に何年もかけ、それらの「根拠」をもとにじっくり時間をかけて執筆された作品でないと出版にこぎつけることはまずない。また、出版されたとしても読者から拒否される。
ところが、日本では根拠がない偏見に満ちた本でも堂々と出版され、しかもよく売れている。参考文献や引用の情報がない本や、執筆に数週間しかかけないようなインスタント本が多いのに、それを疑問に思う人も少ない。 日本の出版関係者を敵にまわすことを覚悟で本音を言うと、海外で通用するような日本のノンフィクションはあまりないのだ。
日頃日米のノンフィクションのこのような差に不満を感じているのだが、1997年刊行の『絶対音感 』を読んで以来、私は最相葉月氏のノンフィクションだけは別格だと思って愛読してきた。 最相氏は、まずテーマをみつける視点が鋭い。そして、好奇心にかられて取材しても、冷静で公平な視点を決して忘れない。文献での調査も徹底しているし、綿密な取材を重ねて科学的に検証することも怠らない。話を面白くするための強引なこじつけではなく、「興味深いテーマを掘り下げること」の知的興奮を与えてくれる。そして、著者自身の真摯さが作品ににじみ出ている。
著者の『青いバラ 』も好きな作品だが、最相氏自身の心の問題が明かされている『セラピスト』はこれまでもっともプライベートな作品であり、著者の新しい代表作になるだろうと思った。
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