1月8日土曜日、若い男性が、アリゾナ州トゥーソンのスーパーマーケット前で住民と交流する集会を開いていた連邦下院の民主党議員Gabrielle Giffords(ガブリエル・ギフォーズ)とその周囲の人々に銃を乱射する事件がありました。その時、連邦地裁判事と9才の少女を含む6人が死亡し、ギフォーズ議員は銃が頭部を貫通する重症をおいました。他にも11人が負傷しています。
それに対し、テレビの政治番組で「言葉にはconsequence(それが及ぼす影響がある)」と攻撃的なレトリックを使わず、冷静に違いを話し合うことを呼びかけたのが、ギフォーズ議員だったのです。下は、昨年3月25日のビデオです。
しかし、ペイリンやグレン・ベック、ラッシュ・リンボーといった極右のテレビ・ラジオトーク番組の司会者たちは、これに誠実に応えることなく、攻撃的なレトリックを繰り返しました。
アリゾナでの銃撃事件の直後、特にリベラルな人々の間で「だからそう言ったではないか!」とペイリンへの批判が高まりました。多くは、ペイリンが直接の原因だと断定している訳ではなく、攻撃的なレトリックにより、暴力的な雰囲気が高まっていることへの批判です。
そして昨日12日の朝、ペイリンがFacebookに8分近いスピーチを載せました。きちんと原稿があり、大統領らしい背景を使ったビデオです。最初「お悔やみの辞」として始まるのですが、1分30秒を過ぎたところで、トーンが変わります。特に、3分30秒あたりから始まる次の部分に批判が集中しました。
"within hours of a tragedy unfolding, journalists and pundits should not manufacture a blood libel that serves only to incite the very hatred and violence that they purport to condemn. That is reprehensible."
「悲劇からものの数時間しか経っていないというのに、ジャーナリストや政治評論家は、憎しみや暴力を非難する格好で、実際はその憎しみや暴力を駆り立てるような"血の中傷"を捏造している。それは非難されるべきだ」といった内容です。
"blood libel"という表現が即座にユダヤ人たちから批判された以外にも、この悲劇のためのメモリアルサービスがある日に、自分を擁護するスピーチをすることに対して、共和党の政治の間からも批判が出ています。
同じ日の夜オバマ大統領が行ったスピーチは、まったく対極のものでした。
憎しみを駆り立て、溝を深めるのではなく、この悲劇を互いが対立する機会に使うべきではない、と呼びかけています。
But what we can’t do is use this tragedy as one more occasion to turn on one another. As we discuss these issues, let each of us do so with a good dose of humility. Rather than pointing fingers or assigning blame, let us use this occasion to expand our moral imaginations, to listen to each other more carefully, to sharpen our instincts for empathy, and remind ourselves of all the ways our hopes and dreams are bound together.
(中略)
We recognize our own mortality, and are reminded that in the fleeting time we have on this earth, what matters is not wealth, or status, or power, or fame – but rather, how well we have loved, and what small part we have played in bettering the lives of others.
亡くなった9才の少女のことを語り、「彼女の期待に沿いたい。我々の民主主義が、彼女が想像していたほど良いものであって欲しい。この国が我々の子どもたちの期待に沿える国になるように、我々全員が、全力を尽くすべきだ」という訴えかけに、聴衆の多くは涙を浮かべました。
I want us to live up to her expectations. I want our democracy to be as good as she imagined it. All of us - we should do everything we can to make sure this country lives up to our children’s expectations.
こういったときこそ、優れた指導者とそうでない者との差がはっきり現れるのだと思いました。
アリゾナさん、
オバマ大統領のスピーチは、「アメリカ人が信じている自分たちの善良さ、高潔さ」を象徴していると思うのです。ですから政治的に立場が異なっても、共感を覚えた人が多かったと思います。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2011年1 月15日 (土) 05:37
ゆかりさん、
今夫といっしょにオバマ大統領のスピーチを拝見しました。主人は、聴き終わったあと、やっぱり自分はオバマが好きだ、といってました。私も、感動しました。それと、ギフォーズ議員やペイリンのビデオもゆかりさんのわかりやすい解説とともに拝見したのでまた勉強になりました。ありがとうございました。
投稿情報: アリゾナ | 2011年1 月14日 (金) 22:22
yokoさん、クワストさん、
コメントありがとうございます。
toleranceというのは、本当に大切なことですよね。
しかし、この前のエントリーの「バトルグリーン」の後半部に書いたのですが、そういう態度でいても、"No good deed goes unpunished"という経験をします。
そういったときに、怒りや絶望ではなく、toleranceで前に進むというのは、本当に難しいものです。
オバマ大統領やギフォーズ議員の家族、亡くなったクリスティーナの家族の姿勢には、本当に頭が下がります。私にはとてもできないことです。
こういう人々に導かれたい、という人は多いと思います。
オバマ大統領のスピーチに好感を抱いた米国民は80%以上だったようですから、「何を言っても届かない」人は意外と少ないのかもしれませんね。また、そう願います。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2011年1 月14日 (金) 05:15
私もオバマ大統領のスピーチに感銘しました。今日はミシェルがopen letter to parentsとして、この惨事に打ちのめされるだけでなく、この機会に子供たちにtoleranceの意義を教えましょう、お互いを助け合うことを教えましょう、と訴えています。
http://www.npr.org/blogs/thetwo-way/2011/01/13/132913550/after-tragedy-an-open-letter-to-parents-from-michelle-obama
それに引き換えペイリンのビデオは自分のことばかりで呆れました。アメリカの古きよき習慣personal accountabilityをrestoreしようみたいなことを行っていますが、自分のaccountabilityはどうなんでしょう?
投稿情報: クワスト | 2011年1 月13日 (木) 23:19
私はCard Carrying Liberalなので、オバマ大統領のスピーチに感動しましたし、「Christinaが理想に描いたようなDemocracyに近づけるようにがんばっていきたい」のところでは、泣きました。でも、私の周りのアンチオバマの人のなかには、このようなかなり素晴らしいスピーチにもちゃんとアラを見つけてきて、「やっぱりオバマはPartisanな政治家だ」と(私に言わせればかなり見当ちがいな)結論を付けてしまうひともいるんです。政治って、難しいですよね。
投稿情報: Yoko71 | 2011年1 月13日 (木) 13:11