怒濤のような1年も終盤にさしかかり、時間的にプライオリティが高い仕事に区切りをつけることができました。クリスマス前のこの時期は別の意味で忙しいのですが、暇を見つけては、読みたくて読めなかった本をちょびちょび読み始めています。
本の山の中から最初に手に取ったのが、内田樹氏の「街場のメディア論」です。
まずは、まったく関係ないようですが、米国のFoxニュースについて。
オーストラリア出身でニューズ・コーポレーションのオーナーであるルーパート・マードックは、あらゆるメディアを買い占め、メディア王と呼ばれています。これまでのニュースメディアは「政治的に中立であること」が基準でしたが、マードックは、彼が所有する米国の「Foxニュース」というチャンネルで、自分自身の保守的な思想を全面的に押し出すことにしました。しかも、これまでのニュースメディアでは、一応mustであったfact-check(事実確認)もありません。根拠がない偽りの情報、プロパガンダであっても、平然と報道し、謝罪することもありません。
皮肉なことに、保守の政治家たちの口癖が、「国民は賢い。ちゃんと情報の善し悪しを判断する知性がある」というものですが、本当にそうなのでしょうか?
先日「Study Confirms That Fox News Makes You Stupid」という記事を読みました。メリーランド大学の調査で判明したのが、「Foxニュースの視聴者は、他のニュース番組を観る者に比べて、間違った情報を信じている人が極端に多い」という事実でした。下は誤認例のいくつかです。
- (オバマ大統領の民主党が主導した)経済刺激法案のせいで、国民が職を失ったと信じている者 91%
- 医療保険制度改革法のせいで、国の財政赤字が増大したと信じる者 72%
- (地球温暖化を含む)気候変動は起こっていないと信じる者 60%
- オバマ大統領は米国で生まれていないと信じる(あるいは疑いの余地があると思う)者 63%
テレビだけでなく、Foxニュースのウェブサイトを観察すると面白い事実に気付きます。APなどからの外注ではなく、それぞれのメディアの記者が書いた同日の政治記事(Fox, CNN, CBS)を比べてみてください。内容はさておき、典型的なのが記事の長さです。数年前から気付いていることですが、Foxの記事は、他のサイトに比べると極端に短く、1分以内に読み切れるものです。また、他のメディアのように、「Aという意見とBという意見があるが、客観的にはCという考え方もある」といった読者に考察を要求するような曖昧さはありません。記事の最後に、ちゃんと「考える必要はありませんよ。これを信じなさい」といった明確なメッセージが込められています。
テレビ番組はもっと極端です。ニュースキャスターの口調もドラマチックです。「怒り」、「憎しみ」、「恐れ」を喚起するような激しいものか、あるいは、リベラルに対する「皮肉」や「嘲笑」です。こういう強い刺激は脳内麻薬を放出するようで、これに慣れてくると、PBS/NPRあたりの落ち着きある口調や事実確認にこだわる中立的な情報を「つまらない」と感じてしまうようです。彼らは、情報を得たときにそれに疑問を抱き、さらに多くの情報を得て自分自身の意見を持つ、という努力すら放棄してしまうのです。自分の怠慢を指摘されたくないので、ますます自分とは異なる意見を述べるニュースソースを避けて、Foxニュースだけを観る悪循環に陥っているようです。「Foxニュースを観る」と公言する人を何人か知っていますが、彼らは別のニュース番組は観ません。
「9/11の同時テロで攻撃したのはイラクだ」といまだに信じている米国人がけっこういますが、その多くがFoxニュースの視聴者です。これに対して「米国人は馬鹿だ」と日本人は笑えるでしょうか?
こういうことを書くと、日本のマスメディアの方や日本にお住まいの方から非難されると思いますが、Foxニュースに初めて触れたとき、「日本のマスメディアからテクニックを学んだのかも?」と感じました。視聴者/読者の知性を非常に低く想定し、単純化することが不可能な情報をあえて単純化し、「怒り」、「憎しみ」、「恐れ」、「皮肉」、「嘲笑」といった"庶民"に分かりやすい感情に訴えかけるパッケージにしてしまうテクニックのことです。
しかし、Foxニュースと日本のメディアを比較すると、Foxニュース(というかマードック)のほうが遥かに上手です。なぜかというと、Foxは目的を持って視聴者の思考を単純化し、洗脳しているからです。
内田樹氏が「街場のメディア論」で指摘されている、「定型」と「個人が責任を取らない」ことによるメディアの劣化は、米国にはない日本独自のものです。ゆえに、視聴者/読者が単純化するだけでなく、わかってやっている「確信犯」の筈のマスメディア側もそれに合わせて単純化し、しかもその恐さを自覚していないように見える。外から観察していると、それが非常にもどかしいのです。
それを感じさせたのが、「街場のメディア論」に出てくる「世の中、要するに色と慾」というシンプルでチープな図式で世の中の出来事を撫で切りにする「おじさん」系の雑誌の二十代の女性編集者の話です(p88)。
「書くの、たいへんでしょう」と訊いたら、不思議そうに「別に」と答えました。どうしてか、重ねて訊くと、この週刊誌では記事の書き方に「定型」があるので、それさえ覚えれば、若い女性もすぐに「おじさんみたいに」書けるようになるからだと教えてくれました。---略---その週刊誌の記事を実際に書いているのは、生身の人間ではなく、「定型的文体」だということになるからです。(「街角のメディア論」からの抜粋)
ここでまたFoxニュースの話に戻りますが、メディアを商売としてとらえた場合にはマードックは褒められるべきでしょう。「怒り」、「憎しみ」、「恐れ」、「皮肉」、「嘲笑」といった刺激の依存症にかかった視聴者を増やし、収入を増やしているのですから。ですが、視聴者を簡単に洗脳するマスメディアが金で報道を支配する世界は、想像するだけで恐ろしいものです。ですから、「メディアはビジネスだ」という信憑への内田氏の批判は、非常に納得できます。
この他にも、「贈与経済」の話題など、語りたいことが尽きない本でした。全部書いたら、それこそ本になってしまうでしょう。
最後にひとつだけ書き加えたいことがあります。
それは、情報の受け手である私たち市民の責任です。
「メディアはなっとらん」、「けしからん」、「劣化している」という怒りの言葉をよく耳にします。同じ人たちが、「日本の政治家は腐っている」、「日本の学校はダメになった」と、思い切り非難します。けれども、そういう人たちは、それら「なっとらん」ものを変えるためにどんな努力をしたでしょうか?
「それは私の仕事ではない」と開き直る人がきっと多いでしょう。
でも、そうでしょうか?
民主主義は、参加する義務もあるのです。他人に任せきりにしたために状況が悪化しているとしたら、それは文句を言っている人の責任でもあるのです。
民主主義をシリアスにとらえる米国では、市民がボランティアとして学校や政治に参加しています。真面目に努力する人が多い地域ほど学校や政治の質も良いのです。メディアについても、公平な報道をするPBS(Public Broadcasting Service)に寄付したり、ボランティアをしたりして支えます。米国でも、「大統領はなっとらん」とか「議会は腐っている」と大声で非難する人は、改善するための行動はしません。しても、不満をぶつける過激な反対デモだけです。社会を良い方向に変えるために努力している人ほど、簡単に非難はしないものです。それがどんなに大変なことか、知っているから。
まとまりはありませんが、「街場のメディア論」を読んでいる間に心に浮かんでは消えて行く、「よしなしごと」の数々でした。
最後になりましたが、わざわざ日本からこの本を送ってくださった朝日出版社の赤井茂樹さんにお礼を申し上げます。
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