以前ツイートを交わしたことがあり、それがきっかけでお互いにフォローしていた方から、こんなリプライをいただきました。
「それって可笑しい〜」と答えると、
ということだったようです。
私にとって、これはとてもTwitterらしい出来事で、微笑ましいものでした。
拙書「ゆるく、自由に、そして有意義に—ストレスフリー・ツイッター術」の5章「ストレスなしのツイッター」の一番最初の項目は、「TLが全部読めない」というものです(TLとは「タイムライン」のことで、「ホーム」で読める自分と自分がフォローしている人のツイート一覧のこと)
ここで私は、「私は最初からTLなんて全部読むものではないと思っていた」と書いています。そして、「自分のツイートを全部読んでいただくことは最初から期待していない」とも。(TLを全部読めないと悩んでいる方への解決策は、本の中身をご参照くださいね)
全体を通じて説明したつもりだったのですが、読後にも「お互いに全部読めないと割り切って交流していたら、交流していることになるのか?」という疑問を抱いた方がいらっしゃるようでした。
直接質問されたわけではないので、この場を借りて私の考え方を説明してみようと思います。
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もちろんTLを全部読み合うツイッターでの付き合い方もあると思います。それが合っている人同志であればおおいにけっこうです。まったく反論するつもりはありません。
また、「洋書ファンクラブJr」での公開していない私のアカウントでは、フォローし合っているのが生徒さんたちだけなので、もちろん私はTLを全部読みます。こういう使い方もあるのがTwitterです。
ですが、公開している@YukariWatanabeのアカウントでは、1)情報収集、2)発信 3)交流、4)ブレインストーム...という今思いつくだけでも多様な使い方をしています。これからも、また新しい使い方を思いつくかもしれません。使う人それぞれが自由に工夫できるコミュニケーションツールだからTwitterには価値があると思っています。ゆえに、「ゆるく、自由に、そして有意義に」というタイトルの本を書いたのです。
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村上春樹氏のインタビューを読むと、彼が他人との間の「距離」を必要としていることを感じます。海外で創作をしたことについて、村上氏は以下のように書いています。私にとって、とてもしっくりくる部分でした。
日本には文壇みたいなものがあり、(中略)...そういうシステムができあがっている。(中略)...グループが形成されたり、無言の細かいしきたりみたいなものができたりする。しきたりを破ると、いろいろと面倒が生じる。そういうのは僕の考える小説家のあり方とはまったく逆のものです。(中略)...自由であること、どこにでも行って、何でも好きなことをする———それが僕にとっての最優先事項です。
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より抜粋
また、どこで読んだかは忘れましたが、ある作家の方が「距離が必要だからツイッターはしない」と書いておられました。お二人の気持ちは、書く才能があまりない私にもよく分かります。
ツイッターで私を知っている人はびっくりされるかもしれませんが、私も昔からこの「距離が必要」な人でした。学生時代には同級生から「あなたは誰にでも良い顔をするが、一人一人とじっくりつき合わない」「考えていることを全部話さない秘密主義」と非難されたことがありますし、「友達なんて少数の親友さえいればいいんだ」と(親友ではない人に)説教されたこともあります。
現在「親友」と呼べる人々には、会わないときには何ヶ月も会いません。その人たちが誰と仲良くして、どれだけの時間を費やしていようが、その人が語らない限りは私の知ったことではないと思っています。会わないことを互いに許すことができ、「それについては明かしたくない」と言うトピックには「Don’t tell me. (じゃあ話さないで)」と言える人たちだけが私の「親友」です。
わが家はとても仲が良い家族だと思いますが、互いに重視しているのが「プライバシーの尊重」です。それと、「個々のスペース」。
娘の名前宛に来た手紙は高校からのものであっても開けません。成績やテストの結果もです(本人が戻ってくるまで我慢します)。外出先で娘が私のコンピューターを借りた後にFacebookやEメールのアカウントがログインされたままのことが多いのですが、絶対に内容は読まずログアウトします。そして「ちゃんとログアウトしなさい」と注意します。娘のテストのスケジュールも点数も訊ねないので、あちらから報告してくるまで知りません。誇らしく思っていることは、娘のほうから「Guess what? 吹奏楽団のプレジデントに選ばれたよ」というふうに報告してきます。私が訊ねるのは、「今日、面白いことあった?」とか「今年の授業で面白いのはどの教科?面白い先生はいる?」といったことだけ。
けれども、彼女が私を必要とするときには必ずそれに応えられるよう心がけています。そのせいか、他の親御さんだったらびっくりするような踏み込んだことまで話せる仲です。ありがたいことに、「I love you, Mommy.」とほぼ毎日言ってくれます。
夫とも似たような関係です。現在生存しているアポロの飛行士に全員会ったことがあり、数人とは飲みにいったりもするほどのアポロマニアの彼はテキサスやフロリダに行く計画を勝手に立てます。この自由さは主婦の私にはないので、ムッとすることもありますが、基本的に彼が毎日をどう計画してどう使うのか、いちいち知りたいと思ったことはありません。夫のツイートを全部読んでもいませんし、それを彼も期待していない(笑)。でも、夫は世界のどの地にいても必ず電話をかけてきます。そして、そこでの面白い体験を私や娘に伝えたがります。
私の日常生活は、よく考えると、ツイッターとあまり変わらない感じです。
郵便局でも行きつけのWholeFoodsというスーパーマーケットで も、顔見知りがいっぱいいて、会うと必ずジョークを交わすことになっています。野菜売り場のお兄さんたちが私の顔を見たとたん、ぱっと明るい笑顔になって 挨拶をしてくれるのは、嬉しいものです。魚売り場で「今日来たクラムある?」と訊ねて、「あなたのためなら..」とウィンクして倉庫から持ち出してくれる お姉さんがいるのも、もちろん嬉しいです。
お互いに、郵便局や店を離れたら関わりのない関係ですが、これも大事な人間の交流です。こういった「ゆるい」ふれ合いのネットワークに私たちは支えられているのです。これ以上の関係にならないからといって、おろそかにして良いとは思いません。
何が言いたいかというと、「互いに全てを知っていなければ交流ではない」ということはないと私は強く信じているのです。むしろ、そんながんじがらめの関係を、私はツイッターだけでなく、リアルな世界でも持ちたくないのです。
さて最初の@tetsuyak9さんのツイートの話に戻りますが、互いにフォローしあっていながら、@tetsuyak9さんは私が本を出したことを知らず、本を買って読み始めてから、「あれれ〜」と気付かれたわけです。それが私には、とても愉快な再会に感じました。最初は互いにツイートを読んでいたのに、しばらく読まない関係になっていて、そしてまた言葉を交わしたわけですね。
出会いがあり、また再会がある。リアルな人生でもそんな感じですよね。相手に過剰に期待する人間関係よりも、それぞれが自由にいろいろなことをして、久しぶりに会ったときに互いが経験したことを話し合って楽しむ。
ツイッターにはいろいろな使い方がありますが、交流については、私はそんな風に考えています。
鈴木さま、こんにちは。
ボストン近郊もこのところずっと雨で肌寒い毎日です。3月の夏のような陽気が嘘のようです。
鈴木さんのおっしゃること、とてもよく分かります。
もしかすると、私たちのような人はけっこう沢山いるのかもしれませんね。でも、遠慮して一生懸命おつきあいしてしまうので、お互いに気づかないのかも。
仕事も人間関係も、ちょっと休みをとると、気づかなかった良さが分かったりしますし、「休憩」は必要かもしれませんね。
これからも「ゆるい」おつきあい、どうぞよろしく。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2012年5 月 3日 (木) 05:57
渡辺さま、こんにちは。
憲法記念日の東京は雨降りです。
渡辺さんの過去の投稿をふら〜っと読んでいて
またまた目から鱗です(笑)
心がふわっと、読み進めていくうちに
私もこんな風な性質を持っているな〜と
共感できて嬉しくなりました。
人間が大好きなのですが、時々苦しくなるときがあって、
でも、こんな風に思ったら
もっともっと楽しくなって、もっと好きになれるな〜
という思いに出会えました。
投稿情報: 鈴木良枝 | 2012年5 月 2日 (水) 22:51
magandaさん、こんにちは。
私も手紙好きです!わが家の高校生の娘も大学に行ってしまったボーイフレンドと毎日スカイプで話しているくせに、手紙をやりとりしています。ロマンチックなんですよね。
ツイッターで知り合った糸井さんが、今ボストンを訪問してくださっています。ネットの世界でも自分らしさを失わずに普通につき合って行けば、こうして「リアル世界」に繋がることもあるということですよね。
ツイッターでもフェイスブックでも、電話のように道具でしかないんだと思ったりしています。でも広範囲に届く道具というのが素敵なところです。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2010年12 月 1日 (水) 04:18
私自身は今年ずっと海外の友達にTwitterやりなよと言われ、5~6年前にFacebookやりなよと同じように言われたときのことを思い出していました。Twitterに関してはいまだに拒んでいますが、糸井重里さんが渡辺さんのご著書をご紹介されていて、ふーんと興味を持ちました^^
私としては手紙の方が好きなのです。いや、大好きなのです。アジアやアフリカに送る手紙届いたかどうかもわからない、「賭け」的なものですが、それでも手紙が一番好きです。
人間の生きている世界だからいつも行くスーパーや雑貨屋さんなどの店員さんと笑顔で話すとその日全体が盛り上がります。読んでいて頷いていました。
そうか、Twitterもその感覚でやってゆけばよいのか。
納得しました。ヒントをありがとうございます☆
投稿情報: maganda | 2010年12 月 1日 (水) 02:29
みきさん、お久しぶり。
そんなに大変なことがあったとはまったく知りませんでした。後でメールしますね。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2010年11 月15日 (月) 05:05
先輩お久しぶりです。
いつまでも今年は暑いと思っていましたが、切って落としたように冬になりました。秋と言う季節をすっ飛ばした感じです。今年は春も無くて、いきなり夏でした。地球温暖化??を考えずにはいられない、そんな1年です。
今年は3月に父の癌が見つかり、5月に(手術から調度2カ月で)亡くなり、命について考えた年でもありました。
先輩の新しい著書「ゆるく、自由に、そして有意義に」をアマゾンで申し込みました。数日で届くと思います。また読み終えたら、感想を送りますね。
お譲さん…もう大学生になられるのですね。そう言えばうちの双子も高2です。(笑)
そちらは、寒さは如何でしょう?
日本は今夜から寒波到来と気象情報で言っています。
投稿情報: ぐりぐら | 2010年11 月15日 (月) 04:57
コメントありがとうございます。
せっかくコメントをいただいたので、ママンさんの元記事もご紹介しておきますね。
http://www.buhimaman.com/blog/2010/10/twitter-2.html
http://www.buhimaman.com/blog/2010/10/twitter-3.html
基本的にツイッターは「なんでもあり」なので、どんな使い方でも良いのではないかと私は思っています。「意味がない」とお思いであれば、使う必要もないと。それも自由ですから。
昨日も知人とばったり会って立ち話をしているときに、「私もツイッター始めなくてはと思うのだけれど...」と言われ、「ツイッターの本なんか出しておきながらなんですが、どうしてもやらなければならないものでもありませんよ」とお答えしたところです。
(例えば、私はFacebookをTwitterより先に始めましたが、面倒で開店休業のままです)
ツイッターというSNSは、多くの人をフォローでき、フォローもされ、しかもTLはどんどん流れて行く、というデザインです。つまり、もともとフォローしあっている人たちが全部を読むことを前提に作られていないのですよね。
ただし、拙書の中で語っているのは、TLを「全部読めない」ことであり、「全然読まない」ではありません。
ここには大きな違いがあり、そこが捉え方のすれ違いになっているかもしれませんね。
Twitterは、初期に「ショート・ブログ」ともみなされていたようですが、ブログとの共通点があります。
ブログ読者が全部の投稿を読んでいることを期待しているブロガーはいないのではないでしょうか?
ちょっとやってきて読む人や、たまに読む人、そんな人たちも大事な読者です。ブックマークをしていても(フォローに似ていますね)、なかなか読めないブログもあります。私は、夫のブログでさえ、毎日は読んでいません。面白そうな記事を見逃していることもあります(笑)。
ツイッターでも、私は同じようにとらえています。
全部を読んではもらえなくても、たまに読んでくれて、そこから過去のものを読んでもらったりもする。そして、私自身も「時間があるとき」にフォローしている人のツイートをざっと眺め、面白そうなことを言っている人のものをじっくり読んだりしています。その日、その日で読む人が異なったりします。
「フォローしなくても読めるからフォローする必要がない」と思われる人は、しなくても良いと思います。それも、その人の自由。
ママンさんが、「原則として読むつもりではない人」をフォローしたくならない、とお考えでしたら、フォローされる必要はないと思います。「フォローしない」、「読まない」というのは、ママンさんがお決めになることですから。遠慮せずに、どんどんアンフォローされると良いと思います。
基本的に、使い方はその人の勝手なんです。ただし、他人に自分と同じ使い方を期待したり、強制したりすると、摩擦が起きたり、疲れたりするSNSだということは確かですね。
ですから、私が知人に言ったように、「どうしてもやらなければならないものでもない」と思っています。ネットで傷つきやすい人であれば、ツイッターだけでなく、ネットで交流するのはやめたほうが良いかもしれません。
ただし、それを(たとえば)Twitterというコミュニケーション・ツールのせいだけにするのは、ちょっと違うと思っています。ツールはそれこそ「道具」です。使う人次第で良くも悪くもなります。
むろん、これは私の考えにすぎませんが。
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2010年11 月12日 (金) 04:46
渡辺 様
「お互いに全部読めないと割り切って流していたら、交流していることになるのか?」と自分のブログに書きましたから、私へのお返事と勝手に自惚れて、お時間を割いて長い記事をお書き頂いたことにまずお礼申し上げます。
私の場合リアルの友人たちはネット世代ではないから、私がネット世界で何をしているか全然知らない。海外の友人たちはFacebookに生息していて、twitterやっていないし、ブログ・メルマガ読者、twitterのフォロワーさんは、オフ会や「ミステリ?なお茶会」でリアルでもお目にかかっている方も少しはありますが、大部分が多読がご縁のネット上のお付き合い。
それぞれの場所で、それぞれ私の一部分でお付き合いしているのは、日本のお役所の縦割り行政みたい(笑)
で、私の環境では「twitterでのお付き合い」といったら、「それ以外ではまったく関わりがない、その人のことはまったく未知」ということが前提になってしまう。そうすると、フォローしてTL読まないのだとしたら、それってどういう意味があるのかな?と疑問になるのですね。
別にTLを読むことでその人の全てを知ろうとしているわけでもないし、そんなことで知ることができるとも思っていませんが、忙しければ読まないことがあるにしても、「原則として読むつもりではない人」をフォローしたくはならないですね。コレクションじゃないですから..
子どもが高校を卒業する頃から、だんだん強制的な人間関係から解放され、自然に気のあった友人と気が向いたときだけふら~と旅行なんかに出かける、ゆるいお付き合いだけを残せます。ボディラインと共に人間関係もゆるゆると(笑)
そうなるとtwitterの人間関係がゆるくて嬉しい、と感動もしないし、twitterだからゆるくやろう、と力むこともなく、誰かのTLをずっと追って人間観察でもしようか、なんてことになる。
こちらへ感想として投稿せず、自分のブログにだけ書いたのは、「渡辺さんと私とではライフステージも違うんだし、そういう立場からの感想をこちらにわざわざ書き込むこともないよね」と自重したまでのこと、まさか裏で陰口をいおうと自分のブログにだけ書いたわけではありませんので、何とぞご了承下さい。
投稿情報: buhimaman | 2010年11 月11日 (木) 19:36