約30年前、21歳のとき、私は初めて海外にでかけた。夏休みを利用して英国での語学コースを受講したのだが、そのとき自覚したのが「私は世界の歴史を知らない」ということだった。フランス国籍の黒人女性と友達になって何かを話しているときに”You know nothing!”と呆れられた。どの部分について言われたのか分からないほど私は無知だった。クラスでのディスカッションでも、意見を述べることができないのは、述べるべき意見がなかったからだ。
その数年後に悟ったのは「私は日本の歴史も知らない」ということだった。
他国の学生から太平洋戦争での日本の立場を糾弾されても、私には反論もなにも知識そのものが欠如していた。暗記が苦手なので暗記中心の歴史の授業も苦手であり、テストのために年代や名前を覚えても、それらは無意味な記号にすぎなかった。テストが終わった後の記号は、私の脳にとって不要なゴミに過ぎない。
ところが米国で娘を育て始めてから歴史がだんだん好きになってきた。
娘が通う公立学校では小学生の頃から歴史を重視していて、中学1年生(日本ならば小6の年齢)から自分で資料を集めて論文を書かなければならない。娘の説明に耳を傾けているうちに「テストで覚えたあの出来事とこの出来事はこのようにつながっていたのか!」と初めて理解でき、そして興味を抱くようになった。
もうひとつの気付きは、日本人が欧州や米国の歴史だと客観的な考察ができるくせに、日中戦争、太平洋戦争などに関しては歴史を分析するよりも自己防衛過剰反応を示す傾向があるということだ。日本でぼんやりと育った私には太平洋戦争に関しては原爆を投下された被害者感覚のほうが強かったのだが、いったん日本の外に足を踏み出すと「日本が加害者」というのが一般的な感覚なのだ。それすら、過去の私にはショックだった。そのショックを、やはり私も「自己防衛過剰」という形で対応したものだった。「何言ってるんだ、日本は原爆落とされたんだぞ」と。
歴史は観るものの立場によって変わる。自国を批判されるのは誰でも嫌だ。そして過剰反応をし、冷静に歴史を考えることができなくなる。そうすると学びが無い。学びがないとまた同じ過ちをおかす可能性がある。平和というのは消極的に実現するものではない。戦争を積極的に回避しなければならないのだ。だから歴史はなるべく自分の国籍を離れて考えるべきなのだ。米国の学校では自分で資料を集めて討論する...。そういったことをTwitterでつぶやいていたら、「こういう本がありますよ」と教えていただいた。それが加藤陽子著の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)なのである。
読み始めてすぐに「中学生のときにこの本を読んでいたら、歴史好きになっていただろう」と思った。まず、面白い。歴史がどのように作られて行くのか、戦争がどのように起こるのか、こんなに分かりやすくて知的好奇心をかきたてる教科書で授業を受けることができたら、子どもはもっと歴史の授業を好きになるだろう。
加藤先生は、「歴史という学問は、分析をする主体である自分という人間自体が、その対象となる国家や社会のなかで呼吸をしつつ生きていかなければならない、そのような面倒な環境ですすめられます。」と書かれていて、それは私が感じたこととも共通している。その後「悩める人間が苦しんで発する『問い』の切実さによって導かれてくるものなのだと私には思えるのです」と語っておられ、この姿勢に私はまず感動した。
また、84ページの「要するに、日本と中国は、東アジアでの日中両国の関係においてどちらがリードするか、そのことをめぐって長いこと競争をしてきた国であって...」という部分は、米国の日中関係に詳しい専門家たちは常識のようにとらえているが、多くの日本人には新鮮な視点ではないかと思う。
389ページの「日本人はドイツ人にくらべて、第二次世界大戦に対する反省が少ない、とはよくいわれることです。真珠湾攻撃などの奇襲によって、日曜日の朝、まだ寝床にいたアメリカの若者を三千人規模で殺したことになるのですから、これ一つとっても大変な加害であることは明白です。」それから398ページの「ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%にすぎません。ところが、日本軍の捕虜になったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼりました。これはやはり大きい。日本軍の捕虜の扱いのひどさはやはり突出していたのではないか。」もしかり。ただし、加藤先生は「兵士にとっても国民にとっても太平洋戦争は悲惨な戦争でした。」と自国の軍人や国民すら大切にしない日本軍の性格に影響されていることを語り、捕虜や朝鮮半島から連れてこられた労働者に対する過酷な扱いなど「このような悲惨な側面は、兵士や国民自身の待遇や生活の劣悪な記憶に上書きされ、国民や兵士の記憶からは落ちてしまうのです。」と説明されている。これは自己防衛過剰になりがちな私たちが心しておきたい視点だ。
この本は私にとって多くの学びがあっただけでなく、単純に読み応えある面白い本でもあった。また、講義の対象になった栄光学園の中、高校生の思考の鋭さにも感服。生徒それぞれに考えさせる歴史の授業が日本各地に広まればよいのに、と強く思わせてくれた本だった。
最後にこの本をお送りいただいた朝日出版社の赤井茂樹さんにこの場を借りてお礼申し上げます。
読みやすく、面白く、そして「もっと知りたい」と思わせてくれます。
おすすめです!
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2010年5 月 6日 (木) 05:10
YUKARIさんの御指摘されてるとおり、「日本人が欧州や米国の歴史だと客観的な考察ができるくせに、日中戦争、太平洋戦争などに関しては歴史を分析するよりも自己防衛過剰反応を示す傾向があるということだ。」というのことは、自分にも当てはまり、このように簡潔に表現していただいてすっきりしました!日本を離れると、本当に自分は日本のことをぜんぜん知らないのだと、いうことを思い知らされる場面に何度もぶち当たります。私も、この夏この本を読んでみようと思います。
投稿情報: アリゾナS | 2010年5 月 5日 (水) 22:23
私より歴史にお詳しい方らしい感想です。
たしかに空白の部分はありますよね。ふだん欧米人とつき合うことのほうが多い私にはドイツの影響についてあまり書かれていないことにも気づきましたが、それはこの短い講義の中でどこを重点に置いて話したいか、という加藤先生の取捨選択だと思います。あの胡適の部分、生徒さんたちも「うわっ」と感じたようですね。私も実は中高生の視線そのものですから、胡適を主人公にしたドラマが見たい、なんて思いました(^^)
私はバイアスがかかった本にはアレルギー体質なので、こういう徹底的に中立の立場の本が迫力なくても好きです(私には十分迫力ありましたが)。中高生の頃は、全部をまんべんなくやらなくても「面白い。もっと知りたい」と思わせたら、それだけですごいことではないでしょうか。
もちろん、この本で講義を受けている生徒さんたちは私なんかより既にずっと歴史に詳しそうですが...
私は、とても良くできた本だと思います
投稿情報: 渡辺由佳里 | 2010年5 月 3日 (月) 11:26
今晩は、y_ytです。
この本は歴史に興味を持つのに恰好の本ですよね。
以下、私が自分のブログに昨年の9月に書いた感想です。おさし使えなければお読みください。
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評判になっている加藤陽子さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を読みました。
第一次世界大戦の終了(1919年のパリ講話条約)から満州事変(昭和6年/1931年)のあいだの記述がなく・・・、空白の十年となっていて折角の面白い歴史話を台無しにしていました。(加藤さんの専門は1930年代の外交と軍事ということなのに、その前提である1920年代の話しが欠けていては・・・)
ですので、「普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、『もう戦争しかない』と思ったのはなぜか?」というこの本の《売り》の完全回答にはなっていません。
とは言うものの、胡適の「日本切腹、中国介錯」論には、凄みがありました。
#それだけでも、この本を読んだ価値はあると思います。
歴史の真実は、左右両派のある程度(←ここがポイント。非常にではだめ)バイアスのかかった本を比べ読みすると、炙り出されるなとつよく感じました。
この本は左右両派に与せず中立ですので(彼女の立場は多少為政者寄りかな)、かなり迫力に欠けます。(ま、高校生に語るですから、それでいいのかも)
ナチス・ドイツがソ連に無謀な戦いを挑まなければ第二次世界大戦の様相は大きく変わっただろうと、つよく感じました。
投稿情報: YYT | 2010年5 月 3日 (月) 09:58