"walk the walk"ということわざは、“if you’re going to talk the talk, you’ve got to walk the walk”を短縮したもので, 「口先だけではなく、行動で示す」または「有言実行」といった意味です。 “actions speak louder than words” 、最近では"Walk the talk"とも短縮されています。
「あれをしろ、これをするな」と子を叱るくせに、自分ではそれを守らない親が沢山いますよね。教育の場にも沢山そんな教師がいます。私は子供のころそういう大人が一番嫌いだったので、親になったときにこれだけはしまい、と心に決めました。また、物心がついたころから娘にもこの信念を伝え、私がそれを破ったら即座に知らせてくれるように頼んできました。
娘によると、これまでのところまあ合格のようです。
娘が幼いころから私たちが言い続けているのは、「人生は競争ではない。あなたの人生はあなたの人生。私たち親のために学問やスポーツをするな。他人の評価を気にせずに、自分のやりたいことを選びなさい」というものです。
でも、実際はそんなに簡単なものではありません。
サッカー、ピアノ、フィギュアスケート、小学校時代の算数などでは、周囲からの(アジア系の親子からの)競争プレッシャーはありましたが、さほど苦悩することはありませんでした。でも、娘に多少の才能がある水泳と数学の分野では、"walk the walk"が何度か揺らぐことがあります。彼女は徹底的に他人の評価よりも「自分がやりたいこと」を優先し、挫折しても、「なにくそ。見返してやるぞ」といったハングリー精神がまったくないのです。ときどき私は、「もうちょっと努力すれば、もっとよい結果が得られるのに」と言いたくなります。でも、このフラストレーションは、彼女の人生を思ってのことなのか、私の親としてのエゴなのか、自分でもときどき判断がつきません。そこで私は苦悩するのです。
娘は13歳のときに中学校の推薦で大学入学選考に使われるSATテスト(普通は高校3年生の16歳か17歳で受験)を受け、まったく受験勉強をしていないにもかかわらず数学で700点(800点満点。4つのミスはすべてケアレスミス)を取りました。また、スタンフォード大学のThe Education Program for Gifted Youth (EPGY)のThe EPGY Mathematical Aptitude Testでは、logicの分野で全米人口のトップ1%に属するという結果を得ています。小学校低学年のときに同級生の誘いで2回だけ公文式に行ったことがありますが、教育方針が私の信念と合わないので即座にやめさせ、それ以降は公立学校の教育のみです。足し算と引き算はのろいし、よくケアレスミスをしますが、コンセプトに関しては、「難しいと感じたことは一度もない。教科書をちょっと読めば新しいことでもすぐに理解できる」と言います。テストのために勉強をしたことは一度もありませんが、ミスをしない限り常に100%の成績です。
娘が通っている公立学校では、中学校から数学に3レベルあり、高校では飛び級をできるシステムがあります。中学校3年生の教師から高校1年生の一番上のレベル(オナーズ)をとばして2年生のオナーズに進むことを薦められたのですが、当時の水泳チームで午前5時からの朝練習と午後8時半までの夜練習を強要されていたために、娘は「学校では楽をしたい」と飛び級をしないことを選び、私たち親もその決断を尊重しました。
ところがいったん高校に入り、オナーズレベルの代数学を始めてみると、新たに学ぶことがほとんどなく、しかも担当の教師は娘が間違いを指摘してもそれを理解できないというのです。数学的に「簡潔で美しい」答えにしたために「間違い」にされてしまったこともあるというのです。授業中全く何もすることがない娘は、自分の選択ミスを後悔し始めました。そこで私は「自分で決めたことなのだから、自分で対策を探してきなさい」と提言し、彼女は自分で数学主任との会見の約束を取り付けてきました。
数学主任によると、そのときはまだ学校が始まってまだ1週間たったばかりでしたが、2年生のオナーズクラスはすでに満員でクラス替えは不可能だということでした。
娘が与えられた選択肢は2つです。ひとつは、現在のクラスを受けながら、大学のオンラインコースで2年生で学ぶ幾何学を学び、両方のテストを受け、A以上の成績を取り、来年2年生の数学をとばして3年生のオナーズを学ぶことです。もうひとつの選択肢は夏休みに私立学校の夏コースを取り、2ヶ月で1年分の幾何学を学びテストでAを取ることです。娘の場合は夏休みも水泳の練習があるので私立学校のコースを取るのは不可能ですが、SATで一定の成績を取っているので大学のオンラインコースを取ることができます。けれども、学校で1年かけて学ぶ幾何学を自宅で6ヶ月で終えるオンラインコースを受けるとなると、すでに時間的に水泳と宿題の両立が難しい彼女にとって睡眠時間さえない生活になってしまいます。
娘の通う学校では飛び級のシステムがあるゆえに、さほど数学が得意でもなく、教師から薦められていないにもかかわらず、親が圧力をかけて飛び級をする生徒がけっこう沢山います。この学校では、1年飛び級すると、高校4年生(高校は4年制)でハーバード大学の延長クラスを受けるシステムがあるからです。彼女の仲良しサークルの友人のうち3人はすでに1年とばし、来年は2年とばす予定のようです。
娘は、それらを考慮した結果、またも「飛び級はしない」という結論に達しました。
「飛び級をしても、現在と同じ問題(数学ができない教師にあたる)が起こらないという保証はない。飛び級したからといって得られるものが大きいわけではなく、大学入学に有利になるから親がプッシュしているケースがほとんど。お母さんがいつも言っているように、高校生活は良い大学に入学するためにあるのではないし、そうあるべきでもない」というのが理由です。
「来年また後悔するんじゃないの?」と私はため息まじりに尋ねました。
彼女は、「水泳もして、吹奏楽とオーケストラもして、そのうえ数学を2コース取るなんてクレイジー。友達と会ったり、エレクトリックギターの練習をしたり、ロックコンサートにいく時間も欲しい。I want to have a life (私は人生を楽しみたい)」と答えます。
実は、娘は同じような理由で新しいチームに入ってから水泳の朝練習をすっかりやめたのです。
現在のコーチは、「もっと練習すれば速くなれるのに」とハングリー精神のない彼女を不可解に思っているようですが、今のところ放任してくれています。以前のチームでもっと速く泳いでいた娘は、全国レベルに達するようプッシュするコーチのプレッシャーで水泳そのものをやめたくなり、その結果現在のチームに移籍したのです。
片道1時間以上もかかり、しかもオリンピック選考会に行く選手がニューイングランド地方で最も多いチームに移籍するのを選んだくせに、2年前よりも遅くなった娘です。その彼女が、「速く泳いで水泳を憎むよりも、2秒遅く泳いでハッピーでいるほうがよい」と現況に満足しているのは、親としては複雑な心境です。
私はときどき娘にハングリー精神が欠けていることをどやしたくなりますが、わが身を振り返ると、宿題はしなかったし、自分のやりたいことしかやらなかった人間です。
「親の私がプッシュしなかったために、娘が人生の落伍者になったらどうしよう?」という不安を抱きながらも、「(子供を追い詰める)典型的なアジア人のお母さんにはならないでね」と言う娘の選択を尊重するのが、私にとっては"walk the walk"を徹底することなのだと毎日自分に言い聞かせています。
これはけっこう難しいことです。
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