2012年11月に東日本大震災の被災地を訪問した記録です。今回が初めての方は、こちらからお読みください。
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気仙沼の斉吉商店さんのことを、「ほぼ日」の記事で知った方は多いと思います。
私もその1人でした。
特に印象に残ったのは、専務の和枝さんでした。
「和枝さん」は、私たち部外者が勝手に描いていた「被災地の人」のイメージを覆すものでした。「東北の仕事論。」で読者が和枝さんに惹かれたのは、彼女が明るくて、自然体で、ひたすら前向きだったからでしょう。 美人なのに、美人らしく振る舞わないところも、心に残った理由かもしれません。
すでに何度も新聞や雑誌の取材を受けていた和枝さんは、記事になった自分のイメージについて「虚像だわ」と思っていたようです。
取材のときに受け取った名刺を見て「ほぼ日」を「ホボビ」なんて読んじゃったくらい、「ほぼ日」について何も知らなかった和枝さんです。ですから、「立派そうに書かれたら困る」と心配していたところ、記事になったものを読んで、逆に驚いたそうです。
「そのまま出すんですか!?」と。
私が驚いたのは、和枝さんがあまりにもあの記事「そのまま」だったことですが...。
糸井重里さんや「ほぼ日」との付き合いは「すごく楽」と和枝さんは言います。
実際に、糸井さんや「ほぼ日」乗務員のみなさんと「斉吉商店」のご家族とのおつきあいは、「ご近所さん」とか「お友達」のような雰囲気です。
あれこれ語り合っているうちに予定の時間をずいぶんオーバーしてしまったのですが、それに突然気づいて「ごめんなさい!」と慌てる和枝さんをカバーするかのように「ばっぱ」の貞子さんが美味しそうなお料理を持って登場されました。
(あまりにもがっついていたので、写真を撮るのを忘れちゃったのですが)いくらの醤油漬けに、さんまの刺身、そして「金のさんま」という目がくらむようなごちそうが丼に山盛りになって出てきたのです。
憧れの「廻船問屋」のご飯ではありませんか!
この旅の始めに「更年期障害対策で炭水化物を摂らないよう心がけているので、ご飯とパンは食べません!」と高らかに宣言した私なのですが、憧れの「ばっぱ」の料理に目がくらんで白いご飯を何度もこっそり器に盛っているのがバレてしまい、糸井さんたちに笑われてしまいました。
糸井重里さんは、「ほぼ日」で何度も「斉吉商店」を紹介されています。
それは「ほぼ日」の収入にはまったく繋がらない行為です。
通常のビジネスモデルで仕事を考える人には、「被災地への奉仕活動」に見えるかもしれません。
でも、旅に同行していた私が実感したのは、糸井さんと「斉吉商店」との関係が、「助ける人」と「助けられる人」ではないということです。
あえて表現するとしたら、「縁があって繋がった友(あるいは仲間)」でしょうか。
友だちとの関係では、いちいち損得なんか考えません。
できることはやってあげるし、相手もそうです。
関係そのものが、ありがたいものなのですから。
「斉吉商店」さんと糸井さんの関係もそんな感じではないか、と私は思いました。
和枝さんは、「そのままでつき合ってくれる人を信頼してつき合ってゆきたい」と言います。
そして、糸井さんは、「和枝さんに会うたびに、ものすごく学ぶことがある」と言います。
底なしに明るく見える和枝さんですが、身近にいる人は、彼女が実際には不安を覚えたり、苦しんだりしていることを知っています。そのうえで、和枝さんは「前向きであること」を選んでいるのです。「やれる人がやって、全体の空気を明るくしてゆくべきだと思っています」
そう言う和枝さんの前向きさに背中を押されたひとりが、先日ご紹介した河野通洋さんです。前向きな人も、茫然として立ち尽くすことがありますが、仲間が立ち止まりそうになったときには、互いに背中を押し合うのですね。
和枝さんは、この日、こんなことも言いました。
「毎日、何を見て暮らすか、誰と話をして暮らすか」それがとても大切なことなのだと。
「私にはそんなチョイスはない」と言う人はいるでしょう。
「この場所(職業、家族)以外に選択はないのだ」と。
でも、震災の後の気仙沼市で、お手本を見せてくれる人たちがいるのです。
人生の選択は、不可能なようであって、可能なのだと。
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