11月1日、早朝に東京を発ち、新幹線で一関へ向かいました。
一関で最初に訪問させていただいたのが、八木澤商店の新しい工場です。
八木澤商店は、陸前高田市で200年以上にわたって醤油や味噌を製造してきた老舗の会社です。地元の材料を使った無添加の製品というだけでなく、昔ながらの製法で熟成に時間をかけた本物の味が全国で高く評価されてきたのでした。
安く早く製造するのが常識だったときに、この製法を決断して貫いたのが八代目社長の河野和義さんでした。
漬け物に使うキュウリを育てる土づくりにまでこだわっていたという和義さんが震災でこれまでの人生で積み上げてきたことの全てを失ったときの気持ちは、計り知れません。
八木澤商店の「あのとき、そしてこれから」というコラムには、震災当時の記録が残っています。これを読むたびに、胸が痛くなります。
ほんとうに、何もなくなってしまったのです。
日経ビジネスオンラインの電話取材で「もう終わりです」とつぶやいた和義さんから社長業を受け継いだのが息子さんの通洋さんでした。「オレ、社長やるわ」「そうだな」という簡単なやりとりだったそうです。
それから1年と8ヶ月。
出来立てほやほやの工場を案内してくださったのが、この九代目社長の河野通洋さんでした。
何も知らない人にとっては、メタルの機械が入った新しい工場にしか見えないでしょうが、あの日すべてを失った八木澤商店の方々にとっては、これからの200年への大切な第一歩なのです。そして、いろいろな場所に拡散して八木澤商店の醤油を作り続けている社員たちがようやく一カ所に戻ってくることができる、「家」でもあるのです。
近代的な機械に見えますが、機械が行程のすべてをやってのけるわけではありません。機械はただのツールであり、重要な部分では経験を積んだ社員にしかできないチェックをしなければなりません。
容れ物が変わっても、伝統はこうして継承されてゆくのだと納得したのでした。
私が一番驚いたのは、通洋さんの朗らかさでした。
「ほぼ日」の記事を読んだとき、あの視線の鋭さが強く印象に残っていたので、もっと尖った人ではないかと思い込んでいたのですが、実際にお会いすると、やんちゃ坊主のようなキラキラした瞳にひとなつっこい笑顔が印象的です。
通洋さんとコラボで仲良くなったアンカーコーヒーの専務小野寺靖忠さんも工場見学に加わってくれたのですが、彼のやりとりが、まるで漫才なのです。
けれども、その朗らかさの合間に鋭さが見え隠れします。
新しい工場が建っているのは、廃校になった大原小学校の敷地です。この土地に工場を建てることになったいきさつや資金ぐり、最高品質の機械を中古で1/6で購入したことなどを聞くうちに、通洋さんの通常ではない才能にだんだん気づいてきました。
若い情熱と理想論だけでなく伝統を尊重し、詳細を配慮しつつも大きな構造を見つめることができ、この地特有のやり方を知りつつも常識破りというか独創的な発想ができ、自分が知らないことを認識して学び、未来を見据えたうえで過去の遺産の中から守るものと切り捨てるものを決断することができるのです。「セキュリテ被災地応援ファンド」に最初に加わった社のひとつでもあります。
通洋さんの話に耳を傾けながら、私は何度も頭の中で「すごい人だなあ」とつぶやいていました。
私のほうがずっと年上なのに、教えられることばかりです。
私から提供できることは、まったく、何もありません。
私は世界中でいろいろな人と会ってきましたし、その中には誰もが名前を知っているような成功者もいます。通洋さんには、彼らと共通する才能があるのです。
うまく言えないのですが「限られたリソースを最大限に活用できる能力」といったものです。他の人には何も見えない場所でも何かを見ることができ、「できない」理由を考えるよりも「できる」方法を探すことに時間と労力を使うタイプです。
昼食のときの「貧乏逸話合戦」のひとつで知ったのですが、通洋さんはアメリカに留学していたことがあり、貧乏学生だったので毎日のように近くの店で「33セント( 約30円)バーガー」を食べていたそうです。
そのうちお店のおばちゃんにオマケまで出してもらえるようになったという逸話をきいて「やはり」と思いました。
国籍に関係なく、周囲の人々を自然に仲間にしてしまうのが、彼らの特長です。
でも、ふだん通洋さんは「アメリカは…」といったことはまったく口にしないらしいです。
ですから、彼が留学していたことを知る人はあまりいないのではないかと思います。彼が留学で得たことは、すべて完全に消化吸収されて知識と知性の一部になっており、ご本人も特に意識することはないのでしょう。
今「グローバル人材」という言葉がひとり歩きしていて、ひどい例になると英語ができることがグローバルだと誤解されているところがあります。
けれども、通洋さんのように広い視点でリソースを見つけることができ、地に足のついた行動を取れるのが、本当にグローバルなことではないかと私は思ったのでした。
東京のホテルで、スーパーから買ってきたキャベツやレタスにポン酢の「君がいないと困る」をドレッシング代わりにかけるのが好物になっていたので、アメリカに戻ってからは本当に「君がいないと困る」と感じています。あのコクは、本当に癖になります。
お醤油はアメリカに持ち帰りにくいので蔵出し味噌を持ち帰ったのですが、これでつけこんだ焼き鮭を、アメリカ人の友人に「すごく美味しい」と褒められました。
陸前高田での200年の伝統を守った味も、やはりグローバルだったのですね。
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