10章 支え合うコミュニティ
学校がマスコミから糾弾される事件がおきたとき、多くの場合、地域の住民も一緒になって非難する側にまわります。また、学校と警察、学校と保護者は敵対関係になりがちです。
学校関係者は情報を隠したり、責任を回避したりしますし、追いつめられると自分では悪くないと思っていても全面的に謝罪します。
けれども、保護者の逮捕をきっかけに全米からの悪意にさらされるようになったレキシントン公立学校とエスタブルック小学校のコミュニティは異なる行動を取ったのです。
教育委員はパーカー氏逮捕(9章を参照)に先立つ4月26日に公開セッションで氏の苦情を聞き、「2人の母親が載っている本についての問題が、性的なことを教育することだとはみなされない」という委員会の見解を伝えていたのですが、ふたたびそれをマスコミに伝えました。
エスタブルック小学校のジェイ校長も、マスコミで問題となっている「ディバーシティバッグ」がどういうものかを地元の新聞で説明し、「多様性があるコミュニティを子どもたちに教えるためのものである」と自分たちの立場を擁護しました。同時にエスタブルック小学校の保護者にも手紙を書いて事情を説明しています。
暫定教育長ハーリィ氏とレキシントン警察主任のクリストファー・ケイシー氏は、「共同声明」として何も知らない住民のために地元の新聞に逮捕に至る詳細を説明しました。ほとんどの町民が読んでいる地方紙なので、町民にターゲットを絞る場合にはボストングローブ紙よりも有効なのです。
ハーリィ暫定教育長は、ボストングローブ紙や公共ラジオ局WBURの「Here and Now」のインタビューにも堂々と応じ、「両親が子供と家事を一緒にやっているシーンが性的なものだという批判は納得できない」と教育委員会や校長を支持し、「全米各地から悪意に満ちたEメールや脅迫のEメールを受け取っていますが、子供たちが標的になるような雰囲気を作り上げることは拒否します」と揺るがない態度を貫きました。
事件にかかわった学校と警察は、言い訳をすることもなく、ひるむこともなく、即座にコミュニティへの情報公開に取りかかったのです。
一部の保護者や町民たちも、学校を守るために行動を起こしました。
パーカー事件から1週間もたたないうちに結成されたのが「Lexington C.A.R.E.S.」という町民グループです。
これまでボランティアなどで知り合った人々が連絡を取り合い、エスタブルック小学校のサイトカウンシル(保護者代表)のパム・ホフマンさんの家に集まりました。そこにはエスタブルックの保護者だけではなく、他の校区から来た人や高校生もいました。
エスタブルック小学校の生徒とレキシントンの子供たちにとって心身共に安全な環境を守ることを短期目標に掲げ、状況をしっかり把握していないレキシントンの住民たちを歪んだマスメディアの情報から守るための対策を話し合いました。
グループには広報やマーケティングを専門職にしている人もいて、このミーティングでは次のふたつの部分で合意ができました。
1)宗教保守派からの感情的な攻撃に対して、怒りや憎しみで対応してはならない。
2)私たちから発信するのは、レキシントン町の基本的価値観であるポジティブなメッセージのみであること。
あまりにも理不尽な憎しみをぶつけられると、衝動的に「怒り」で対応したくなりますが、それでは求める結果が得られません。ですから、ぐっと押さえて、冷静にメッセージを発信しなければならないのです。
複雑な問題を丁寧に説明しても、ふつうの人はそこまでの根気がありません。ですから、わかりやすいようにメッセージを簡潔にし、マスコミはひとりの担当者が対応し、町民レベルではメンバーが口コミで統一したメッセージを広めることに決めました。
そのときに提供する正しい情報のひとつにするため、グループは警察の記録で事実を確認して逮捕の状況(前章でご紹介したもの)をまとめ、それを町の新聞とインターネットで公表しました。
町民が自発的に「Lexington C.A.R.E.S.」というグループを結成して動き出したとき、レキシントン町に既存するグループも緊急事態対応委員会 (Emergency Response Committee )」を招集していました。この委員会の中心になったのが、*No Place For Hate(詳しくは文末を参照)運営委員会の主要メンバーです。
No Place For Hate(NPFH)は、その名前から連想させるように「憎しみやヘイトクライムがないコミュニティ」を作るための人権擁護活動とディバーシティ教育プログラムで、NPFH運営委員会はそれを実行する委員会です。委員会は、行政委員会、教育委員会、警察、公立学校、タウンマネジャー事務所、青少年奉仕活動部などの町の主要組織の代表者、異なる宗教の聖教者協会Interfaith Clergy Associationの長、人権団体の代表、住民代表で構成されており、私も二年ほど前から委員に招かれて参加していました。
NPFH運営委員長のジル・スマイロウさんがリーダーになり、キャリーメモリアル・ホールで町の重要な団体の代表者と町民の希望者を招待した公開ミーティングがさっそく開催されました。パーカー氏逮捕が新聞記事になったのが4月29日でこの会が招集されたのが5月16日ですから、非常にスピーディな対応です。集まったのは、警察代表者4名、行政委員2名、レキシントン聖職者連合の代表者4名、エスタブルック元校長と現校長、PTA会長、エスタブルック小学校反偏見委員会(ABC)代表2人、教育委員数名、公立学校運営組織からの代表を含む約50人です。
このミーティングのユニークなところは、全員が同等の立場から発言できる気軽さです。50人が円陣になり、まず順番に簡単な自己紹介をします。それが警察署長であれ、行政委員であれ、学生であれ(レキシントン高校の卒業生もいた)、このミーティングの間は全員がファーストネームで呼び合うのが規則です。
話し合っている問題は深刻なのですが、自己紹介が終わるころには、若かりし頃に学生運動家だった人が、「警察官とファーストネームで呼び合う仲になるとは思ってもみませんでしたよ」と警察署長に冗談を言うほどの気さくな雰囲気が漂っていました。
自己紹介に引き続き、レキシントン警察が事件の現状を報告します。その後、スマイロウさんの指揮で全員が自由に意見交換をするという非常に民主主義的なものです。
レキシントン警察はまず「ホワイト・レボリューションなどの団体が求めているのは、メディアの注目を浴びて新しいメンバーをリクルートすること。もうひとつは、予告した合法的なデモで小競り合いが起こり誰かが怪我をしたら、レキシントン警察と町を訴えることができる。これらの団体はそれを活動資金にしている」と情報をシェアし、「好奇心がある人や反論する必要を感じる人もいるだろうが、無視するのが最も有効な対策である」と見解を述べました。
ほとんどの出席者たちはそれに賛成したのですが、「何もしないと、あとでデモを知った町民たちが『警察は何の対策も取らなかった』と不安や怒りを覚えるかもしれない」という意見も出ました。
そこで、話し合いの結果、地元新聞とEメールでなるべく多くの町民に事前に「必要十分な」情報を伝え、デモの直後の新聞で「結果報告」をすることに落ち着きました。
また、「ウエストボロー・バプティスト教会」が計画している各教会へのデモについては、レキシントンの聖職者連合が語り合い、ユダヤ教教会、ユニタリアン教会、コングリゲーショナル教会、バプティスト教会などが、宗教や宗派を超えて一緒に「沈黙のカウンター・プロテスト」を行うことに決まりました。「沈黙のカウンター・プロテスト」とは、相手がどんなに酷い言葉を口にしようと決して言い返さず、彼らに背を向けて立つという「言うは易く行うは難し」のデモです。ですから、参加希望者は専門家からトレーニングを受けなければなりません。
ミーティングに参加したなかで唯一「沈黙のカウンター・プロテスト」への参加を断ったのが、タイム誌の記事にもなったほど急速に信者を増やしている「メガチャーチ(巨大教会)」に近いG教会でした。でも、パーカー氏が属しているキリスト教保守派の教会ですから意外に思う人はあまりいませんでした。むしろ私は、教会の代表者がミーティングにやってきたことに驚いたのですが、司会のスマイロウさんは、NPFHの信念に従い(レキシントン町の重要な一部であることはまちがいない)G教会の代表者を他の出席者とまったく変わらない公平さで扱っていました。
エスタブルック小学校では、子どもの精神状況に影響を与えないよう考慮しつつ、プロテストがある日も「なるべく普通どおりの一日にする」ことを目標としていました。あらかじめ保護者への手紙で情報を通知し、当日はスクールバスと徒歩通学の生徒たちは後門から入り、プロテストが行われている正門から入りたい者はなるべく保護者が必ず同伴するというプランが計画されました。保護者がどうしても不安な場合は遅刻や欠席も認められます。教師は生徒からの質問があれば簡潔に情報を教え、生徒が話題を出さないかぎりはいつもと同じ一日を送るという計画です。
レキシントン高校の卒業式と教会では「沈黙のカウンター・プロテスト」が盾になり、エスタブルック小学校正門前のプロテストは、住民と保護者が警察と学校の指導に従ったために警官以外の観客がおらず、静かなものでした。
夕方のテレビニュースでは、ウエストボローがエスタブルックの次に訪れた他の町での住民の抗議デモや保護者の「憤り」のインタビューが紹介されていましたが、エスタブルック小学校の場面にはウエストボローのメンバーが映っただけでした。レキシントン町は、ニュースのネタになるような騒ぎを与えなかったのです。
下記のビデオは、2009年にふたたび「ウエストボロー・バプティスト教会」がレキシントン高校に戻ってきたときに保護者、住民、高校生が一緒になって行った「沈黙のカウンター・プロテスト」です。最初に説明しているのが、NPFH運営委員会の委員長スマイロウさんです。
2ヶ月にわたり連続で開かれた臨時会議は、「ウエストボロー」が去った翌週の6月7日にいったん終了しました。報告会のしめくくりに私たちは席から立ち、スマイロウさんのリードで左右に立っている者と手をつなぎました。
ユダヤ教のラビ、バプティスト教会の牧師、ゲイの牧師、教育委員、レズビアンの保護者二組、小学校と高校の校長、警察官、50年代にデモで警察と衝突した社会活動家、2004年の大統領選でジョン・ケリーとブッシュ大統領に票を投じた者がひとつの輪を作り、「これからも難問があればこうして力を合わせて立ち向かいましょう」と誓ったのです。
このときには、たった2年後にこの誓いが破られる事態が起こるなどとは、想像もできませんでした。
(つづく)
次回は、10章 善意が正義に罰されるとき
*NPFH(No Place For Hate)は、名前から連想させるように「憎しみやヘイトクライムがないコミュニティ」を作るための人権擁護活動とディバーシティ教育プログラムです。このプログラムは、ユダヤ人の人権を守るために生まれた人権擁護組織Anti-Defamation League(名誉毀損防止組合、ADL)のニューイングランド支部が、マサチューセッツ州地方自治体協会と共同で開発したものです。
NPFH運営委員会はそのプログラムを運営する委員会です。
レキシントン町のNPFH運営委員会は、行政委員会、教育委員会、警察、公立学校、タウンマネジャー事務所、青少年奉仕活動部などの町の主要組織の代表者、異なる宗教の聖教者協会Interfaith Clergy Associationの長、人権団体の代表、住民代表で構成されており、私も委員の招きで住民代表として加わっていました。
*注記
この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。
登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。
コメント