住民が手作りする公立学校
レキシントン町を運営するのは、町議会議員、行政委員、タウンマネジャーの三つの部門である。予算や条例を決めるのが町議会で、町の方針を決めるのが行政委員会、そして、行政委員会の監督のもとに直接町政を運営するのがタウンマネジャーだ。
この町のことを知り始めたころ私が一番驚いたのは、タウンマネジャーだけが年収一千万円を越す専門職で、住民選挙で選ばれる二十一人の町議会議員と五人の行政委員が、いずれも無給のボランティアだということだった。
公立学校の運営も、町の行政と同様である。町議会が可決した予算の詳細と学校の方針を決めるのは選挙で選ばれた五人の教育委員で、小学校から高校までの公立学校の具体的な運営の責任者が教育長である。教育委員は町民のボランティアで、教育長は有給の専門職だ。
町の方針を決める行政委員に報告する委員会は五十以上あり、それらの委員会では約三百人が働いている。教育委員に報告する委員会や臨時委員会、学校のマンパワーとして重宝されているPTAまで合わせれば、常時およそ二千人、成人人口の十%ほどがボランティアとして町と公立学校の運営に関わっているということである。これは、ボランティアが盛んなアメリカでも珍しいことらしい。
私立学校やマグネットスクールという選択肢があってもレキシントン町の保護者たちがあえて町の公立学校を選ぶのは、そのほうが自分の子供にとって良いことだと信じているからである。その信頼の源は、住民参加の民主主義にある。
民主主義と公立学校
レキシントン町の教育委員トム・ディアスは、「公立学校は民主主義そのもの」と言う。
独立戦争が勃発した日レキシントン町に隠れていたサミュエル・アダムスは、「ボストン茶会事件」の首謀者で、後にマサチューセッツ州の知事になった建国の英雄である。彼は、アメリカ独立のために奔走しているときに、「市民が無知だと、自由や民主主義のコンセプトを理解することさえできない」ということに気づいた。民主主義を行うには、その準備段階としてまず実行者の市民を教育する必要がある。彼はこう書いている。
「知識が普及し、徳が順守されれば、誰も従順に自由を引き渡したり、簡単に抑制されたりはしないだろう」
マサチューセッツ州の憲法は、合衆国憲法よりも七年も前の一七八〇年に批准され、憲法の執筆者の一人でもあるアダムスは、その中に公教育の義務を記した。
建国と同時に生まれたアメリカの公教育は、手に職をつけるためではなく、民主主義を遂行できる市民を育てるためのものだったのだ。
アメリカ人に尋ねれば、「民主主義とは戦ってでも守るべき大切なもの」という答えが戻ってくる。年収数億円の国際ビジネスマンでも、生まれた町から一歩も外に出たことのない無教養な田舎者でもこの価値観は変わらない。
私たち日本人には、そんなアメリカ人がちっとも理解できない。
それは当然と言えば当然なのだ。アメリカ合衆国と日本はどちらも民主主義国家ということになっているが、両国の民主主義は根本的に異なる。アメリカ合衆国の民主主義は、他国の支配に耐えきれなくなったサミュエル・アダムスやミニッツマンたちが命をかけて戦って勝ち取ったものだが、日本の民主主義は第二次世界大戦で他国に負けて押しつけられたものだ。この違いは大きい。
公立学校に対しても、私たち日本人は受け身である。保護者は、不満があると学校に怒鳴りこんだり、陰口を言ったりはするが、学校と一緒になって状況を積極的に改善しようとはしない。また、変えることが可能だとも思っていない。そこには信頼感がないからだ。
レキシントン町の住民にとっては、そういう日本人の感覚のほうが不可解のようである。
「私立学校は、どんなにすばらしくても、親は一方的に学校の方針に従うしかありません。嫌ならやめるしかない。けれども、公立学校は、住民のものです。住民や親に変える力があるのです」とディアスが言うとおり、町民はレキシントン公立学校の方針から教育長や校長の雇用まですべての過程に口も手も出す。
教育長を雇うときにも、教育委員に任せっぱなしにはしない。どんな人物を雇うべきかその条件を決める委員会にも希望者が参加する。集まった多くの履歴書から候補を少数に絞る委員会、面接をして最終候補に絞る委員会にも、必ず一般の町民と学生代表が含まれている。最終候補の談話会には飛び込みで自由に質問し、教育委員会による公開面接では、「この候補のこの部分が良い」といった意見を書面で提出する。
最終決定を下す教育委員会の会議も公開で、学生代表も教育委員と同じ重みを持つ一票を投じる。
これがアメリカ合衆国と日本の差だと早とちりしてはならない。
「サミュエル・アダムスの直接民主主義を今でも信じて実行しているのは、このあたりの住民だけですよ」とディアスは言う。南や西の自治体は、口は出すが手はださない。つまり、文句は言うけれども公立学校の運営になると政府や州に頼り切りで平気でいる。だからそういう地区の公立学校はダメになってしまったのだ。
政府などはあてにせずに、自分の手で理想を実現せよ。
アダムスの精神的末裔は、そう言って胸を張った。
アジア系移民を魅了する学業面での達成
レキシントン町でアジア系の移民が急増している最大の原因は、レキシントン公立学校の評判が高いからである。その人気に対応するためにアメリカの大手不動産会社は中国語を話せるエージェントを雇用し、中国系移民による「Good School Real Estate(優秀学校不動産)」といった非常に直接的な名前の不動産業者が生まれ、主にレキシントン町で(交通量が多い、または家のコンディションが悪いなどの理由で)価格が低い不動産を中心に中国系移民に紹介しているという。
レキシントン公立学校の何が彼らをこれほど魅了するのだろう?
アジア系以外の新しい住民にレキシントン公立学校の魅力を尋ねると、「音楽プログラムがすばらしい」、「ディベートを授業で学べる」、などいろいろな答えが戻ってくるが、アジア系移民にとって最も魅力的なのは、どうやら「数学のレベル」のようである。
レキシントン高校の数学チームは、全国的に知名度が高い。1993年から2002年までで行われた数学競技「マサチューセッツ大学ローウェル校数学チャレンジ(UMass Lowell Math Challenge)」では無敵のチャンピオンの座を守り、ニューイングランド地方(ヴァモント、メイン、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカットの6州)の私立と公立高校88校が競う「ウースター工科大学数学競技(Worcester Polytechnic Institute Mathematics Competition)」でも15年連続優勝。同じく、ニューイングランド地方の大部分の中、高が参加する「ニューイングランド・数学リーグ(NEML)」では、中、高ともにほぼ毎年トップ。「マサチューセッツ数学リーグ(Massachusetts Association of Mathematics League)」もチャンピオン。そのほかにも「マサチューセッツ数学リーグ協会」、「アメリカン数学競技(American Mathematics Competitions)などの競技で、優勝者からトップ20位までにレキシントンの学生の名がずらりと並んでいる。
数学関係者以外にもレキシントン高校の名が知られるようになったのは、たぶん1994年の「国際数学オリンピック」の香港大会であろう。アメリカチームは、この大会で優勝しただけでなく、国際数学オリンピックの35年の歴史で初めて、チームメンバー6人全員が6問全問正解するという快挙を果たした。その「ミラクル・チーム」のひとりが、レキシントン高校のジョナサン・ワインスタインだったのだ。また、マーク・リプソンは2003年の東京大会で3位になったアメリカチームの一員である。全国的な快挙は、国際数学オリンピックだけではない。2000年には、ユンジョン・リュウが数学と科学での達成とリーダーシップにおいてマサチューセッツ州でもっとも優れた学生として「大統領奨学生賞(presidential scholar)」を受賞し、ホワイトハウスに招かれている。
「国際数学オリンピック」の出場者を決める「全米数学オリンピック(USAMO)」は、スポーツのオリンピック出場権を決める予選大会のように、数学競技者の間では予選を通過するだけで栄誉あることだとみなされている。1996年から2002年までの予選通過者の累積数では、レキシントン高校は全米で6位である。
レキシントン公立学校の成績がどれほど驚くべきものかは、競合する学校と比較するとわかりやすいかもしれない。
1位から5位までのトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson,ヴァージニア州)、イリノイ州立数学科学アカデミー(The Illinois Mathematics and Science Academy、イリノイ州)、ストイフェサント(Stuyvesant High School、ニューヨーク州)、科学技術振興アカデミー(Academy for the Advancement of Science and Technology、ニュージャージー州)、ブレア(Blair,メリーランド州)は、いずれも「マグネットスクール」で、7位以降に名前が並ぶのもマグネットスクールか、あるいは名門私立「フィリップス・エグゼター・アカデミー」(Phillips Exeter Academy,ニューハンプシャー州)、「フィリップス・アカデミー」(Phillips Academy, マサチューセッツ州)などである。フィリップスとエグゼターには、全米の裕福な家の子弟がアイビーリーグ名門大学に入学するために集まっている。したがって、入学選考がないふつうの公立高校としては、レキシントン高校はまぎれもなく、全米一位の存在なのである。
レキシントン高校の吹奏楽団、ジャズバンド、ディベートチームも全国的に有名なのだが、「数学」というのは、アジア人にとってももっとも分かりやすい達成の基準なのだろう。学業的な達成が人生を左右する国から移住した移民たちが、「高い私立に入学させなくても、この町に住むだけで最高の教育を受けられる」という結論に達するのは容易に想像できる。
しかし、子供にとって理想的な教育を考えると、これは非常に短絡的で危険な考え方なのである。
これについては後の章で説明しよう。
フィリップス・エグゼターで検索した折に偶然、貴Blogを拝見しました。
投稿情報: 高宮 安道 | 2008年9 月 2日 (火) 04:01