アメリカの大学入学選考システム
日米の大学入学へのプレッシャーは似ていても合格を決める選考方法は異なる。日本を含めアジア諸国では入学試験ですべてが決まるが、アメリカでは、入学選考を担当する “College Admission Officer”という専門職が提出された書類と面接の結果を審査し、合否を決定する。その過程と何が決定要因になったのかは極秘であり、学生は最後まで合否の理由を知ることはない。 ただし、書類審査で最も重視される一般的な内容についてはよく知られている。それらは以下のようなものである。
1. 高校で選択した授業とその成績。
これは多くの大学が最も重視する情報である。 高校の成績は通常A,B,C,D(もっとも高い成績はA+で、A, A-, B+, B….と続く)で表現され、それを数字化した平均値「GPA(Grade Point Average)」は、大学入学後の学生の成功の可能性をある程度予測するために重視される。 大学レベルのカリキュラムのAPあるいはオナーズ・クラス(習熟度別クラス編成などでの上級クラス)を学生が受講しているかどうかも大学側は重視する。 一般的に、大学は難易度の低いクラスでAを取る生徒よりも、難易度の高いAPやオナーでBマイナスを取る生徒を高く評価する。
2.標準テストのスコア
高校によりレベルに差があるので、GPAだけで学生を比較することはできない。そこで、全国的な標準テストのSATあるいはACTのスコアが参考として使われる。 2006年に改良されたSATでは、読解、数学、作文(そのうち1セクションは25分でエッセイを書くこと)の3つの能力をテストする。 ACTは、英語、数学、読解、自然科学ですべて選択問題である。
アイビーリーグやスタンフォード、カリフォルニア大学各校、カリフォルニア工科大学、マサチューセッツ工科大学、ウィリアムズ、スワースモア、アムハースト大などの出願者には、SATが満点なんていうのは珍しくもない。何度も受験できるし、テクニックさえ身につければ誰でもある程度の点は取れる。
大学側もそれを知っているので、ある程度の点数があれば、さほど重視はしない。満点でも不合格になることはよくある。
3. 授業以外の活動 スポーツ、音楽、奉仕活動など学校の授業以外の活動
オリンピック、国体出場レベルのアスリートであれば、アイビーリーグやスタンフォード大、カリフォルニア大学の各校など有名大学からスカウトしてもらえる。成績が非常に良い必要はない。「えっ!あの子が?」というような成績の子でもアイビーリーグの大学に合格している。地方大会レベルで優秀なアスリートの場合、学校の成績が非常に良くても、スポーツを重視するアイビーリーグやスタンフォード大などの入学にはまったく有利にはならない。
ピアノやヴァイオリンなど音楽も重視されているが、これらの楽器を演奏するアジア人は多いので、よほどのレベルでないと有利にはならない。
かえって学校でのスポーツや音楽での活躍のほうが、リーダーシップと学生の入学後の成功度を推察するために良いとみなされているのか、重視されている。
米国の大学入学専攻のほうが日本の大学入試よりも大変だというのは、これらを行っていないと良い大学に入学することができないからである。「勉強ができるだけではダメ」というのは、生徒にとっては、かえってストレスがあるものなのだ。
4. 出願エッセイ
これは非常に重要。
成績などの条件が似通った志願者の中から一人を選ぶ場合に、魅力的なエッセイを書いているだけで有利になる。
また、成績が多少他の生徒より劣っていても、大学が内容に個性や才能を感じたら、それだけでも合格する場合があるという。(実際にそれでMITに合格したと信じている学生に会ったことがある)
5. 推薦状
学生の前途を予測させるので、高校の成績と同じほど重視する大学もある。
大学にもよるが、一般的に高校のジュニアかシニア(3年目か4年目)で選択したクラスの2人の教師(理数系から一人、文系から一人)からの推薦状が必要である。生徒が自分で教師に依頼する。教師は生徒に内容を見せずに大学に直接出すので、内容は非常に正直である。教師の中には、生徒から依頼されたときに「書いてもよいが、あまり良い内容にはならないよ。それでもいいかい?他の先生に頼んだほうがよいかも」とはっきり伝える場合もある。 補足の推薦状として、属しているスポーツクラブのコーチ、奉仕活動の責任者、クラブの顧問など、活動の内容と合致する人物のものも効果的だが、あまり多く出すと、かえって逆効果になることがある。
6.レガシー入学(Legacy Admission)
親族がその大学にコネクションがある場合(教授、理事、卒業生、寄贈者、など)優先的に入学を認められる制度。特に、古く伝統がある大学でこの傾向が強いと言われる。
7. 人種/社会経済的背景
黒人、ヒスパニック系アメリカ人、アメリカ原住民(アメリカ・インディアン)と都市部の社会経済的にハンディキャップのある学生の場合、SATスコアが他の学生よりもきわめて低くても入学を許可されることがある。
その目的のひとつは、社会的にハンディキャップがある学生に成功のチャンスを与えることである。潜在的能力を持っていても、高等教育を受けていない親に育てられた子供のSATスコアが低いことはすでに多くの研究結果で明らかになっている。優れた大学にとっては、そういった学生の潜在能力を見極めて成功に導くことが、ひとつのチャレンジなのである。 もうひとつの目的は、現実社会全体を反映したバランスのとれた環境で学ぶことで、恵まれた立場の学生もかえって多くのことを学べるという考え方である。
ただし、一般的にテストの成績がよいアジア系学生は社会的にハンディキャップがあるマイノリティとはみなされない。特に、アジア人が好むハーバード大学やMITにはアジア系の志願者が多いので、アジア人であることは有利にはならない。中西部のあまりアジア人が多くない大学では、有利になるかもしれない。
これらはあくまで一般的な検討項目であり、どの項目がもっとも重視されるのかは、それぞれの大学が求める学生像により異なるだけでなく、時代の流れに従い変移している。 入学試験という白黒がはっきりした選択方法に慣れているアジア系の移民にとって、このようなアメリカの大学入学選考を完璧に理解することは難しい。システムの差を頭で理解しても、感情的な部分では、生まれ育った国の価値観をひきずってしまう。