いつもの夢だった。
どんなにあがいても、筋書きを変えることはできなし、途中で目覚めることもない。
だからといって同じ映画を何度も見るのとはわけが違う。
何度繰り返しても、胃の締めつけられるような焦りや絶望感は、決して擦り切れはしない。
エレベーターは、暗い洞穴のような口を開けて私を待ちかまえている。
乗り込んだら最後、二度と引き返せないと解っているのに、身体は暗闇を目指して歩みを進める。
今度こそはうまくやれるのではないかという楽観的な想いも、どうせ最後には裏切られる。結末を知りながらも自ら進んで足を踏み入れたのは、それ以外に選ぶ道がなかったからだ。
ゲームは、私の意志とは関係のないところで始まり、勝敗も最初から決まっていた。
私は、他人のゲームに必要な駒の一つにすぎなかった。
エレベータはあの階に付、音もなく扉が開く。
部屋のドアに手を伸ばすと、ノブのほうから、まるで触手を持つ生きもののように私の掌に吸い付いてきた。
それは、”あの日”に向かってゆっくりと回転していった……
1
一インチほど開いたカーテンから差し込む朝日を避けたのか、うつぶせのまま羽根枕に顔を埋めていた。
夢の動悸はまだ耳の中に響き、掌には金属の冷たい感触が生々しく残っている。目を開ける前に右腕を伸ばして隣を探ったが、そこにあるのは、ひやりとしたシーツの感触だけだった。
汗で湿った枕から重い頭を持ち上げ、壁に掛かったドロシア・タニングの絵を確認して安堵の溜息をついた。裸の女は、今朝は穏やかな顔でゆったりと微笑んでいる。
ちゃんと自分のアパートメントに戻っていた。
しかも、マンハッタンではなく、ボストンのビーコンヒル。
この部屋ではいつも私ひとりで目覚める。
それが決りなっていた。
毎朝セットされているが決して鳴ることのない目覚まし時計に目をやると、七時二十八分だった。いつものようにベルが鳴り始める前にボタンを押し、勢いよくベッドから飛び起きる。
立ち上がった瞬間、胸の奥からこみ上げてきた澱に咳き込み、身体を折り曲げて舌に残った苦い吐き気を呑み込んだ。
土曜の朝のハングオーバー(二日酔い)だ。
共有スペースのリビングに入るともうコーヒーができていた。ブラックのまま、AT&Tのロゴがついたぶ厚いステンレスのマグカップに注ぐ。
先週インターネットの展示会でオルランドに行ったときに獲得してきた販促物だ。正確に言うと、そのとき獲得したのはFreshspot.comのヨーヨーだったが、レアものだったから販促ヨーヨー・コレクターのプログラマーとトレードできた。これで長年こき使ったウォールストリートジャーナルの黒いマグはお払い箱だ。
今度のは大きさといい、保温力といい申し分ないのだけれど、ルームメイトのナイーラらからは「ジューンったら、私の目の前でそんな美的センスのない物ばかり使わないでよ」と非難されている。そもそもコーヒーなんて、手っ取り早くカフェインを血液中に送り込むためのものでしかないから、ナイーラみたいに陶芸家のマグカップに二百ドルもかけるつもりはない。不味いのを我慢してタイマー付きのコーヒーメーカーを使っているのも、起きたとき即カフェインを身体に入れるためだ。
マグカップから湯気を立てるコーヒーを啜ると、まだ淹れたての香りが残っていた。胃の中に流れ落ちる黒い液体は、粘膜から直接吸収されて血管に流れ込み、体中を駆け巡って全身の温度を上昇させる。バラバラだった手足は胴に繋がり、頭も胴に接続される。二カップ目には煙って見えた部屋の風景が輪郭を取り戻してくる。ものの五分で、ゾンビが人間に戻れるのだからコーヒーの力は偉大だ。
タイマーを見ると七時二十五分にセットされていた。
ウィークデーにはかっきり五時に起きるから、昨夜帰ってからセットし直したに違いなかった。
「Jesus.......」
私は舌打ちした。
正気でないときの行動があまりに正気なのはかえって不気味だ。
(後省略)
追記:「ノーティアーズ」と「神たちの誤算」は現在廃刊になっております。米国在住でご希望の方は、筆者が献本用に購入したものが何冊か残っておりますので、ご希望の方には在庫がなくなるまで直接販売いたします。Eメールにてご連絡ください。
日本在住の方は、Amazonのマーケットプレイスで中古品が入手できますので、廉価なそちらをご利用ください。もしどうしても、というご希望がありましたら、Eメールにてご連絡ください。