本ブログで連載した『住民が手作りする公教育』の番外編として、PTAについて非常に興味深い提案をされている作家の川端裕人さんにお話を伺いすることにしました。
川端さんとのディスカッションは、タイトルが示しているとおり、「ゆるく」進行させていただくつもりです。
現在進行形で不定期な連載ですが、お受けした質問を対話に反映させることもできますので、ゆっくりと気軽におつきあいくださいませ。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、感染症制圧の10日間を描いた小説『エピデミック』(角川文庫)、 数学史上最大の難問に挑む少年少女を描いたファンタジー『算数宇宙の冒険・アリスメトリック!』(実業之日本社文庫)など。ノンフィクションに、自身の体験を元にした『PTA再活用論 ──悩ましき現実を超えて』(中公新書クラレ)、アメリカの動物園をめぐる『動物園にできること』(文春文庫)などがある。サッカー小説『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)は、4月よりNHK総合でアニメ「銀河へキックオフ」として放送中。近著は、独特の生態系をもつニュージーランドを舞台に写真家のパパを追う旅に出る兄妹の冒険物語『12月の夏休み』(偕成社)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる、壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社)(『雲の王』特設サイトはこちら)。
ブログ「リヴァイアさん、日々のわざ」。
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渡辺由佳里(わたなべ ゆかり)
兵庫県生まれ。雑文書き。助産師、日本語学校コーディネーター、広告業、外資系医療製品製造会社勤務など、さまざまな職業を経験。平成13年/2001年に「ノー ティアーズ」で小説新潮長篇新人賞を受賞。翌年「神たちの誤算」を新潮社から出版。そのほか短編、現代詩、エッセイを複数の月刊誌・雑誌で発表。「多聴多読マガジン(コスモピア)」、「月刊アルコムワールド(アルクネットワークス)」など。2010年10月22日「ゆるく、自由に、そして有意義に —ストレスフリー・ツイッター術」(朝日出版社)刊行、糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)翻訳。 「洋書ファンクラブ」にて洋書を中心としたレビュー。現在住んでいるマサチューセッツ州の町で公立学校でのボランティア、町の各種委員会の会員、人権に関する市民グループLexington CommUNITY の運営委員、ブログ管理人などを務める。
ツイッターアカウント @YukariWatanabe
川端さん、お忙しいところをおつきあいいただき、ありがとうございます。
私がアメリカ合衆国マサチューセッツ州レキシントン町に移住したのは、娘がまだ3歳の頃で、公立小学校のPTAに参加したのは娘が幼稚園のときでした。ですから、私は日本の学校やPTAをまったく経験していないんですよ。
質問なんですが、渡辺さんが体験した、PTAは、「固有名詞としてのPTA」でしたか?
ぼくの理解ですと、米国のPTAは、全国組織としてまずあって、州やらカウンティレベルでの支部があり、さらに学校にも……というものです。保護者だろうがなかろうが、主旨に賛同すれば、サインナップできるという。
中には、全国組織としてのPTAが、支部として、個別の学校の保護者・教員組織を兼ねる場合もあるようですが、渡辺さんが体験されたのはむしろ、学校単位で存在する保護者・教員組織ではないでしょうか。
言葉としては、総称としてPTOと呼ぶことが多いそうですね。こちらは全国組織ありきではなくて、学校単位。
でも、米国での生活経験があり、お子さんを学校に通わせた人は、PTOのことを、帰国後それをPTAとして認識していることも多いようです。
実はそんなにはっきり分かれていないケースが多いんじゃないでしょうか。
全国組織のPTA(Parent-Teacher Association)のスタンスが嫌いでPTO(Parent Teacher Organization)だけを持っている学校はその差をはっきりさせていると思いますが、私が体験したレキシントン公立学校の公的文書では“PTA/PTO”と表現されていて、同じ組織が兼任しているんですね。
実際に私たち保護者が日常的に体験するのは学校単位の活動、つまりPTOの部分だけなのですが、通常は「PTA」と呼んでいます。娘が通っていた小学校のPTA会長は学校の組織を「PTO」と呼んでいましたが、今その小学校のドキュメントを確認してみたら、学校単位の組織なのに「PTA」と書いてありました。これでは保護者が混同しても仕方ありませんよね(笑)。
へえ、そうなんですか。面白いですね。
まあ、今、話題にしようとしているのは、学校を中心としてた保護者・教員のコミュニティだと考えれば、それをPTAと呼ぼうと、なんと呼ぼうと関係ないわけですけど。
日本のPTAは、建前として、それぞれの学校単位で自発的に組織されたものということになっています。だから、さっきの話で言えば、PTO的。独自の背景があるので、一言でこうだ、とは言い切れない部分も多い。
しかし、だいたい共通しているのは──
・本来は主旨に賛同した人が入る任意の団体なのに、自動的に全員加入させるところが多い。自分で入会・非入会を決められること、入会した後も継続するか退会するかいつでも決められることを、ほとんどの人が知らない。知っていても、入らなかったり、退会しようとすると、かなり強い圧力がかかったり、軋轢があったりする。
・行政や、地域や、学校に、保護者の窓口としてあてにされています。ここ、なぜかT(先生)の陰は薄くて、保護者代表としての機能が社会的に期待されている。任意の団体なのに、だいたいみんな入っている都合のいい組織です。PTAの連合組織などは、自治体にとっては本当に保護者の窓口として大切なようです。
・PTAの執行側は、会員ニーズを満たさなくても会員が減ったりしないので(自動加入などのおかげ)、行政、地域、学校からあてにされるがままに、前例踏襲の事業を続けることになりがちなこと。
といったこと、でしょうか。
ところで、日本の友人たちからは、「仕事で忙しいのにPTAの役員を押し付けられて辛い」「綿密なマニュアルがあり、そのとおりにこなさなければならない。自分なりのやり方を工夫してやることは許されない。」といった苦しみの声を聞くのですが、川端さんから見た日本のPTAの問題点はどういったものなのでしょうか?
先に語ったPTA組織に適応できる人もたくさんいて、後に学校運営協議会の委員とか、青少年委員とか、民生委員とか、さらには教育委員になったりする人もいます。議員さんはよくあるパターンですね。
また、そんなに適応できなくても、無理目の肯定感をもって「役員」をやりとげて、やらない人を見ると「不公平!」とか思ってしまう心理状態になる人もたくさんいます。こういう人たちは、適応できたというよりも、サバイバルに成功した、みたいなかんじです。嫌々なのにやりきってしまって、その嫌な組織を温存してしまったり、やらない人/できない人に批判的になったり。
しかし、適応できない人は、困ります。苦しんで苦しみ抜いて、病気になっちゃう人も実際にいますから。
問題点というのは、たくさんありすぎるんですが、なにはともあれ、できない人/やりたくない人にまで、無理矢理網をかけてしまって、毎年、全国各地でPTA悲劇を生んでいる。この状況はそろそろおしまいにしたいです。ここの点に気づいて頑張っている人はぽつぽつ出てきているんですけど、まだ、浸透していないです。一向におしまいになる気配がないですね。
保護者たちがそれほど辛い思いをしてこなしている日本のPTAの活動は、子供や学校、教師にとって役立っているのでしょうか?
これは、おいおい語るべきと思うのですが、今のままのPTAは、日本の保護者コミュニティを分断してしまっていると思うし、教員にとってあまり助けになっていないことが多いと思います。
役に立っている例はいくらだって見つけられるんですよ。PTAの取り組みの事例集などを見ているとそれは素敵なことが書いてあります。でも、別にそれは全員加入前提のPTAでなくてもできることがほとんどだと思っています。
ちょっと詰め込み過ぎの質問でしたから、具体的な問題に絞ったほうがいいですよね。
まずは、PTAのメンバーシップと「ボランティア」の違いについてです。
レキシントン町の公立学校では、PTA/PTOへの加入は自由選択でした。新学期に子供を通じて学校から申し込み用紙が保護者に渡され、希望者は用紙に書き込んで20ドル程度の会費を支払います。これを払うとその年の全校生の名簿がもらえるので、名簿代だと思って会費を払っている保護者も多かったと思います。
大多数の保護者にとってPTA/PTOの活動はそれだけです。
名簿を作ったり、数々の行事を運営したりするのは、自ら手をあげた保護者のボランティアです。PTAの会長は立候補と選挙で決まります。
川端さんが体験された学校ではどうでしたか?
ぼくが体験したPTAは、小学校と中学校の2つですが、それぞれ、自動加入方式です。
1年生の保護者が最初の保護者会(学校主催)に出た時、そのまま、PTAの役決めが行われます。その時点で、保護者はメンバーになるかどうかという確認がないまま、役を割り振られます。
「ボランティアだと人が集まらない」という意見についてはどう思われますか?
ボランティアだと人が集まらない、というのは、「ボランティアだと今の規模の活動はできない」という意味では本当だと思います。
とにかく「役」が多いし、その「役」によっては拘束時間が半端ではないですから。
1クラスから、学年学級委員2人、広報委員、文化厚生委員、校外安全委員、役員選考委員、それぞれ1人。さらに、運動会やらPTA総会やら地域行事やらに対応した「係」もぜんぶで10人以上。
とくに「なんとか委員」(なんとか部と呼ぶ地域も多いです)になると、かなりの時間拘束があります。本部役員になったら、フルタイムの仕事とはいいませんが、その半分くらい拘束される場合も結構あるようです。個人的な体験として自分で集計してみたら、ぼくが本部役員の副会長をした時は年間400時間以上、学校やその他の場所に出向いて会議や打ち合わせ、イベントの準備、後片付け、講演会への動員などの拘束時間がありました。
フルタイムの半分くらい拘束されるというのは大変なことですよね。
私だったら、それだけで精神的に追いつめられてしまうと思います。
私がレキシントンの小学校で体験したPTA/PTOの仕事もけっこう手間がかかりましたが、体験の大部分が楽しいものでした。
日本人ゆえの失敗も沢山しましたが、それを通じて「ゆるく」恊働することの価値を教わったと思っています。
ですから、友人から日本のPTAの苦情を聞いて「日本でもゆるくやってゆけないのだろうか?」と思ったわけです。
「ゆるく」といっても、日本に住んでいる方には想像しにくいと思います。
そこで、次回からは、レキシントン町のPTA/PTOでの私の体験と、日本とニュージーランドでの川端さんの体験を比較しながら、「ゆるいやり方」の提案をしてゆきたいのですが、いかがでしょう?
(つづく)
***次回は、「小学校のPTA/PTOを通じて保護者がやっていること」について語り合いたいと思います。
お楽しみに。
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