2007年にTypePadで始めたこのエッセイブログは、当初予想できなかったほど多くの方に読んでいただけるようになりました。
けれども、テクノロジーの変化にともない、このブログプロバイダでは不都合が増えてきました。
そこで思いきってwatanabeyukari.comというドメイン名を獲得して引っ越ししました。
リンク先に行って、ブックマークしてくださいね!
今月14日に母から父が緊急入院したと知らされ、即座に航空券を手配して16日早朝に家を経ちました。
『どうせなら、楽しく生きよう』をお読みになった方はご存知かと思いますが、父とはいろいろなことがありました。
私にとって実家に戻るのはほぼ10年ぶりです。ちょっとしたことで立腹した父に「戻ってきても会わない」と言われ、数年前に父の病で娘を連れて帰省したときには実際に会ってもらえなかったのです。今回は入院中でしたから、前触れなく病室を訪問したところ、一瞬驚いていましたがすぐに何もなかったかのように携帯電話を私に手渡し、「ここにメールアドレス入れといて」と頼みます。それに応じると、その日のうちに5通もメールが来ました。やはり、過去のことにはまったく触れず、病院へのクレームとか、「あれをしてくれ」「これをしてくれ」リクエストです。
でも、すでに心に距離を置いていた私は、ごく平穏にすべてのクレームを耳にすることができ、それらに疲れきっている母の防波堤になることができました。
22日の夜ようやく就寝できたのが午前0時で、その後午前2時半に父からの携帯電話で起こされました。朝病院に着くとそれまでけっこう元気だった父の容態が急変したところでした。でも、午後に状態が安定したために自宅に戻ったところで、病院からの呼び出しがあり「今夜は家族が付き添ったほうがいい」ということで全員がかけつけました。
けれども状態が悪いなりに安定して長期戦になりそうだったため、姉がひとりで付き添い、その間ほかの家族は近くのホテルで仮眠を取ることにしました。
私は午前2時くらいからすっかり目が覚めてしまったので4時に姉と交代しました。そのときにはバイタルサインが安定していたので、姉と「長期戦になりそうだね」と語り合っていたのですが、5時ぐらいから呼吸のパターンが変わり、6時半すぎに永眠しました。
早朝の暗い病室で、意識がなくなっている父に「お母さんにはたくさん迷惑をかけたのだから、あちらに渡ったら、これからのお母さんの人生を守る人になってね。それがお父さんの役割よ」と話しました。
息をひきとったのは、その1時間後でした。
父の最期を看取ったのが、家族の誰よりも父によく逆らった私だったというのも、不思議なものです。
アメリカはまだ大晦日ですが、日本では新年ですね。
昨夜、膝を骨折して一人で留守番をしている友人Rの家に夕食を持って行き、二人きりでゆっくりお喋りしてきました。
「一緒にレストランに行こう」と誘われたのですが、すでに家族に早めの夕食を作った後なので、それとワインを1本持って行ったのです。
友人は、フルタイムで働いているうえに、ご主人と子供二人、親兄弟、親戚にいつも頼られていて、自分の時間がまったくない女性です。怪我をしているとはいえ、何もしなくていい夜が嬉しいようです。私も仕事に追われて家にこもっていることが多いので、こうして出かけるのは久しぶりです。
ワインをグラスに注いで「それで最近どう?」という話を始めたところ、彼女が左手を差し出しました。
薬指には大きなダイヤモンドの指輪が光っています。
婚約指輪に見えますが、いまさら、それがどうしたというのでしょう?「私、婚約指輪を持っていなかったのよ。知ってた?」
そういえば、しているのを見たことがありません。でも、そういうことにあまり気づかないのが私です。
だからどうなのか? と訝っていると、Rはこんな話をしてくれました。
*** *** ***
Yukariもよく知っているように、わたしの両親の結婚はうまくいかなかったし、家族は問題だらけ。
そんな家庭で育ったから、J(Rの現在の夫)と付き合っているときも、結婚なんか信じていなかったし、したいと思っていなかったの。
ある日Jが深刻な顔をしてやってきたので、「別れを持ち出すんだろう」と構えていたら、なんとプロポーズだったの。
そこでわたしは即座に「ノーサンキュー」と断ったのよ(ここで私は思わず爆笑)。
だって、わたしみたいな壊れた家庭から来た人が結婚しても続くと思わなかったから。
Jはがっかりして去っていったけれど、また1週間後に戻ってプロポーズしてきたの。
それで根負けして「じゃあ、一応OKするけれど、いつでも気を変えられるように、婚約指輪はいらない」と答えたわけ。
「いつ壊れるか。。。」と思いつつ始めた結婚が今に至っているわけなのよね。
ところが、つい先日、Jがまた深刻な顔をしてやってきたのよ。
そして、ダイヤモンドの指輪をくれたものだから、思わず「浮気でもしているの?」って尋ねちゃった。(ここで、また私は爆笑)
そしたら、Jは「覚えてる? 僕が君にプロポーズしたのは、25年前の今日だよ」って。
「25年続いたんだから、そろそろ婚約指輪をつけてもいいんじゃない?」そうJは言ったの。
*** *** ***
そこで私は感涙。
25年目の婚約指輪のほうが、結婚前のでっかいダイヤの指輪より、ぜったいにロマンチックですよね。
今年もクリスマスが終わりました。
そこで、思い切って告白しますが、私はクリスマスが好きではありません。
どちらかというと、嫌いなほうだと思います。
季節的なイベントとしてクリスマスツリーを飾り、家族のイベントとしてクリスマスディナーは楽しみます。でも、プレゼントをあげるイベントとしてのクリスマスが嫌いなのです。
アメリカ人の夫の家族は全員経済的に恵まれていて、甥や姪たちはふだんから欲しいものは何でも買ってもらっています。そんな子供たちにとって、クリスマスは「贅沢なプレゼントをもっと沢山もらう日」でしかありません。
私は以前からその年令の子にあった本を贈ってきました。でも、子供たちは包を開けたときに大きくて派手なプレゼントでないと嫌な顔をします。
そこで、彼らの親に「ふだんはどんなものが好き?」とあらかじめ尋ねるようになったのですが、すると「プレゼント希望リスト」がやってくるようになりました。小さいときは「レゴシティの◯◯と◯◯」、大きくなったら「Xbox」といった10項目くらい並んでいます。その中から親戚一同が「私はこれ買う」「じゃあ、私はこれ」という感じで分担するのです。
これは、夫の家族特有の現象ではありません。現代のアメリカではよくあることです。
クリスマスについて私が一番嫌いなのは、贅沢に慣れた子供たちに親が「良い子にしていたらサンタが(Xboxといった高価で物質主義的な)プレゼントをくれる」というメッセージを与えることです。
子供たちは学校でプレゼントに何をもらったのか比べます。
お金持ちのワガママなイジメっ子がサンタから素晴らしいプレゼントをもらっているのに、貧乏な家庭の子は、どんなに行いが良くても何ももらえません。もらっても同級生に自慢できるようなものではないでしょう。
こんな不公平な行いを平気でやるようなサンタなんか、いないほうがいいと私は思っているのです。
私と夫はこの点ではまったく同じ意見なので、娘には「サンタからのプレゼント」は贈ったことがありません。また、幸いなことに娘も言葉が話せるようになった時から「サンタなんかいない」と自分から言っていました。だから、特にサンタを肯定せずにすみました。
私はどんなにがっかりした顔をされても、アメリカ人の甥や姪には本を贈り続けました。リストにある玩具にかけるのと同じだけの本とアマゾンのギフトカードを贈ります。本であれば、友だちに貸すこともできるし、お金持ちでない子でも同じ本を図書館から借りることができるからです。
今年の選択は洋書ファンクラブのほうに載せました。
幸いなことに、「Yukariおばさんは本を贈る人」というイメージが定着してきて、彼らも「この本が好き」とか「面白かった」と言ってくれるようになりました。たぶん親のほうが「なんだ本か」という態度をやめてくれたからでしょう。
子供って、親の態度で変わるものです。
クリスマスを子供にとって楽しみなイベントにするのはいいことだと思います。
でも、「高価なプレゼントをサンタからもらう日」にすることだけはやめて欲しいと心から願います。
ツイッターなどのソーシャルメディアで嫌な思いをすることはよく話題になりますが、楽しく使っていると、思いがけない出会いもあります。
音楽プロデューサーの亀田誠治さんとの出会いもツイッターでした。
亀田さんのブログにありますように、初めてお会いしたのはボストンです。
そして、10月に私が日本に戻ったときに対談させていただきました。
その連載がケイクスで始まりましたので、ぜひお読みになってください。亀田さんのお話は、聞いているだけで元気が出てきます。全部をお伝えできないのが勿体ないくらいですが、連載は全部で5回。全部面白いことをお約束します。
そこでご紹介したいのは、日本に長く住んでいて浦島花子だった私が亀田さんの人柄を知るきっかけになった本、『カメダ式J-POP評論 ヒットの理由』です。
これを読んですごく共感を覚えたのは、何かへの情熱と愛です。私の場合は、ブログ「洋書ファンクラブ」で洋書をご紹介していますが、これは「洋書をもっと多くの方に読んでいただきたい」「良い本と読者を繋げたい」という本への愛と情熱から生まれたものです。
そして、それが『ジャンル別 洋書ベスト500』という本になったわけです。
亀田誠治さんの『カメダ式J-POP評論 ヒットの理由』には、日本の音楽や海外の音楽という狭いジャンルにこだわらない、音楽全体への愛があふれています。
この本で紹介されているミュージシャンやアルバムを読むと、「これは聴かなくちゃ!」という気持ちになり、そこにも共感を覚えました。
途中に挟まれているエッセイ(たとえば健康管理とか)にも「そうそう!」と頷き、心がポカポカに温まったのでした。
NHK Eテレにて音楽教養番組「亀田音楽専門学校 SEASON2」に出演していらっしゃるし、根強いファンが多い方です。でも、これまで知らなかった方もいらっしゃると思います。
人間としての亀田さんに惹かれたら、亀田さんがプロデュースした音楽、演奏している音楽を知りたくなってきます。本を読んだ後だと、さらに「なるほど!」と思う部分が出てきます。私は以前の音楽をいくつか聴かせていただき、「ここ、すごい!」と何度も頷いてしまいました。
残念なことに日本訪問中にまだ発売されいなかった最近の二作を日本から取り寄せています。到着がとっても楽しみです!
試したい方は、こちらのビデオをどうぞ。
ロバート・ストーン監督は、核実験の恐ろしさを世にしらしめたドキュメンタリー映画『Radio Bikini(ラジオ・ビキニ)』の監督です。
解説がひとことも入らないこのドキュメンタリー映画は、映像の組み合わせだけでアメリカの核実験の脳天気さと、人道に外れた行い、そして放射能の危険を観る者に伝えます。
観客の頭をガツンと殴るような問題定義をしたこの映画は、アカデミー賞の候補にもなりました。監督のサイトではトレイラーを観られます。
(日本ではDVDを買えないので、どうしても観たい方は、海賊版のYouTubeビデオをご覧ください)
そのストーン監督の新作『パンドラの約束』は、原子力発電所とエネルギー問題をテーマにしたものです。
自分自身の疑問への答えを探そうとして多くの人を取材し、福島にもでかけた監督が作ったのがこのドキュメンタリー映画『パンドラの約束』です。
日本での原発の問題は、賛成派と反対派が両極端に偏っていて、互いの意見には耳も傾けず、互いを悪者扱いしているところでしょう。そういった環境では、現在わかっている事実や根拠に基づいた公平な意見を提唱する人は両側から人格攻撃をされ、社会的に孤立してしまいます。
だからたいていの人は黙っています。
それで損をするのは、国民自身です。
なぜなら、対話がない場所には、バランスが取れた解決策が生まれないからです。
私は賛成派と反対派のどちらの味方でもありません。対話にオープンな人だけを応援したいと思っています。
ストーン監督によると、サンダンス映画祭では、映画の前後で観客の考え方がすっかり変わっていたそうです。
ですから、極端な立場の人、無関心な人、どちらにもぜひ観ていただきたいものです。そして、そのうえでオープンに、そして相手へのリスペクトを忘れずに何が私たちにとって、地球の未来にとっていいことなのか、語り合って欲しいと心から願います。
偶然の出会いや発見って、本当に「偶然」ではなく、これまで自分がやってきたことの積み重ねで見つかるべくして見つかったものかもしれないと思ったりするのです。そして、それがまた次の「偶然のような出会い」をもたらしてくれます。
今回の帰国中にも、いろいろな本と人、人と本に出会いました。
●拙著『どうせなら、楽しく生きよう』について雑誌の取材してくださった林公代さんは、実は宇宙関係に詳しいライターなのです。私の夫は『月をマーケティングする』を書いたくらいのアポロおたくですし、私も宇宙が大好きです。ですから、林さんのこの本を読ませていただくのがとっても楽しみです!
● 拙著『どうせなら、楽しく生きよう 』をお読みくださり、「会いたい」とお声をかけてくださった素晴らしい青年 税所篤快さんが書いた『「最高の授業」を、 世界の果てまで届けよう』という本です。彼が持ってきてくれた『どうせなら、楽しく生きよう』は、ページの耳がいっぱい折られていて、線がいっぱい引かれていました。こんなにしっかり読んでくださっていることに感激!
ランチをしながら「人生は、うま くいかないときもあるよね、でも。。。」と語り合いました。私にはとうていできないような大きなことを実際にやっている税所さんを、これからも応援していきたいです。
●京都のイベントに来てくださったミステリ作家の福田和代さんの本です。
アメリカに戻る飛行機の中で読みましたが「この設定はすごい!」と感心。ほんとに面白かったです。そして、福田さんはとっても素敵な方でした。お友達になりたい!
● 以前から気になっていて、「日本に行ったら買おう」と思っていた岡田育さんの本。
でも、あまりにも忙しくて書店で買う機会を逸し(書店でイベントしていてもゆっくり買いものをする暇はなかったのです)、月曜の朝にキンドルで「ハジの多い人生」をポチっと押したら、その夜、知人の編集者が企画した「秘密のトークイベント」に岡田育さんご本人がいらしてたんです! これってすごい偶発性ですよね。信じられないくらい。
●「洋書ファンクラブ」の「これを読まずして年は越せないで賞」審査員で私の電子書籍の編集をしてくださった 岸麻矢さんの翻訳書。このタイトルと表紙には惹きつけられずにはいられませんよね。奇妙な感じが素敵です。
●「洋書ファンクラブ」でご紹介し、「これを読まずして年は越せないで賞」のグランプリ候補にもなった書の邦訳版『ペナンブラ氏の24時間書店』。翻訳者の島村浩子さんに、また再会できて嬉しかったです。
●トークイベントには、主人公とウルフハウンドの愛が素敵なIron Druidシリーズの翻訳者 田辺 千幸さんも!
翻訳書のほうも読んでくれる人が増えるといいなあ。
●京都のイベントに来てくださったニキ リンコさんが翻訳された『モッキンバード』もまた「洋書ファンクラブ」でご紹介した本です。
●川端裕人さんと三島和夫先生の睡眠本
知り合いの作家の方からご紹介いただき、このブログでも対談をしている作家の川端裕人さんと睡眠の専門家三島和夫先生の睡眠本です。
若い頃からあれこれ睡眠の問題があり、今ようやく自分のパターンを知った私にとっては、すごく頷けることが多かったです。
●教育の視察でボストンを訪問された「フォーラム21」のグループの案内役を引き受けたことがあります。そのときの皆さんと東京で再会し、フォーラム21がまとめられた最近注目の本をいただきました。すごく売れているそうです。そして、面白いです。
● 紀伊國屋書店新宿南店でのトークイベントは、ちょうど私の夫デイヴィッド・ミーアマン・スコット共著『月をマーケティングする 』の発売日でした。
マサチューセッツ工科大学出版から刊行された原書は、写真集のような作りですが、邦訳版は異なるデザインの美しさがあり、読みやすさもバツグンです。ちょっと惚れ込んでしまいました。
ふだん超早寝早起きなのに、午前0時前後に帰宅して午前1時半ごろ就寝し、時差ボケで午前3時すぎに目覚めてしまう毎日は正直ちょっとしんどかったのですが、頭がときおりくら〜っとする以外は、最後まで風邪ひとつひかず、元気に過ごしました。
こんなに元気に過ごせたのは、きっとお会いした方々からポジティブなエネルギーをいただいたからだと思います。
次のお二人との対談では、最初から最後まで「間」がないほどしゃべりっぱなし。
ポジティブで、楽しくて、「私もがんばろう!」と元気になりました。
詳しい内容は、それぞれ異なる媒体で掲載されますので、そのときにあらためてご紹介します。
音楽プロデューサーの亀田誠治さんと初めてお会いしたのは、じつはボストンだったのです。(そのいきさつは、亀田さんのブログ記事をご覧ください)
それまで面識がなかったのに、Alewifeの駅でお迎えした瞬間から、午後にお送りするまで、ずっとしゃべりっぱなしでした。
そして今度は東京で再会。亀田さんって、本当に心底から素敵な方です。お話しているうちに、「私もいい人になりたい。なろう!」と思うようになります。勝間さんは、きびきび、シャキシャキ、歯切れが良くて、前向き。独自のユーモアセンスがある方です。
勝間さんとも、会った瞬間から最後までまったくストップする暇なく喋りっぱなし。
後で知ったのですが、共通の知り合いもいて、世界は本当に狭いものですね!
待ちに待った日本訪問も、あっと言う間に終わってしまいました。
たった6日半とは思えないほどの充実した毎日で、この間に、トークイベント4つをこなし、ほかにも小さなディスカッション、対談、取材で喋り尽くしました。
その合間にも書店の方々や出版社の方々とお会いし、企画やアイディアについて話し合い、初期からの「洋書ファンクラブ」のファンの皆さんや、2年前の日本訪問のときにmeet-upに来てくださった方々とも再会しました。
思い出深いイベントや出会いの一部を連続でご紹介していきます。
まずはイベントから。
すぐに満席になってしまったので、ご希望者全員に来ていただけなくて申し訳ありませんでした。
(それにしても、積んである著作のジャンルがバラバラな私。。。)